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作文力

よく文才がある、とか文章力がない、などというけれど、夫はそれとはちょっと違うニュアンスだ。
作文力がない
もう、徹底的にない。
夫のことを悪しざまに書いているようで気が引けるが…

彼(夫)は昨年、転職した。二度目の転職だ。
初めて社会に出て働いたのは、銀行である。
銀行であるが、彼はあまり社外に向けて手紙やメールを出したことが無かったと思う。
彼の場合、そんな必要がなかったから。
まぁ、彼だけではないと思うが。

その後、割と若くして転職した。
ここでもあまり、手紙や依頼の文章などは必要なかったようだ。
他の誰かがやってくれていたのだと思う。
思いたい。
ところで、ビジネスで手紙でというか、文章でお願い(依頼)やごめんなさい(謝罪)または、ありがとう(御礼)をする場合、定形のようなものがあるのはご承知のとおりだと思う。
普通の手紙もそうであるように、書きだしから言い回しから、色々とシバリのようなものがあって、はなはだメンドクサイ。
が、それをやらねばならない。
間違っても、ヤッホー、とか、ちーすで始めてはいけない。

そして2度目の転職。
(この2度の転職については、私もすべて納得ずくなのでこれについては問題ナシ。)
今回の転職では社外にむけて、依頼やらなにやらと色々と自分で文章を作って、送らねばならないハメになった。
彼は、何の気なしに、
「チョット、これおかしくないよね?」
と、書いたメールを見せてきた。
驚愕した。マジか。
文章力、いや作文の域…
マズイ。マズイぞ、これは。
いい年したオッサンが、こんな文章を書いていたら、相手にしてもらえない。

コノヒト、このン十年、これで生きてきたのか?
上司は何も言わなんだのか?
あー、そうか。
若いころはそんな文章を書く必要がなくて、始めの転職では自分で書かずに済んでたもんね。
ここにきて、自分で書くことになっちゃったワケだ。

仕方がない。
添削した。
いちいち書くことはしないが、途中で腹がたってきて、全部書き直した。
心の中では
「貴様ぁ!ビジネス文書をナンだと思っているんだ!!今まで何をしてきたんだぁ!!!」
と鬼の形相になってたこと間違いなし、だ。
一応、ちゃんと説教はした。
ひな形がネットにあるから、それで学習してくれろ。
なんなら、会社の誰かに見てもらうか、私に見せてくれろ。
「なら、書いてよ」
この一言で、私は沸点に到達した。
「バッカモーン!!」
(ホントはバカタレ!!だったかも知れない)

いいオッサンつかまえて、滾々と説教した。
彼も理解したようだった。
そうして、月日は過ぎて私の添削もそれほど赤が入らなくなった今日この頃。
今朝、何気なく彼の放った一言が
「ねぇ、『すいませんでしたが』って、言う?」
え、なに?なんだと?それはなんだ??
どういうシチュエーションだ?いや、関係ない。
それは、

申し訳ありませんが
あるいは
恐縮ですが
ではないのかっ!!
あれだけ教えたのに、助言したのに。
しかも、「でしたが」ってなんぞ?
なぜ、過去形?

さすが、小学校の夏休みの読書感想分を6年間ずっと、「フランダースの犬」で通しただけのことはある。
全部、「フランダースの犬」。
これ、2年続けて受け持った先生もいただろうに、気が付かなかったのか?
気付けよ、と言いたい。
でも、これが我が子だともっと腹が立つのだろうが、夫なので言うほど腹は立たない。
むしろ、面白いとも思えてくる。
さっきの「すいませんでしたが」もちょっと笑えた。
なんなら、怒っている自分自身にも笑える。
バカだなぁ、と思いつつも許せる。

この「ゆるせる」は大切なんだと思う。
ゆるせなくなったり、心底バカにしたりできちゃったら、もうお終いだろうな。
ン十年も一緒に生きてきて、ダメなところもイヤなところもお互いに散々見てきて、ゆるせないくらいイヤだったり、嫌いになったら…この先はしんどい。
年を取ってからの「ゆるせない」はしんどい。
だって、これからの何もかもと、これまでの何もかもがゆるせなくなりそうで。
ゆるせない、と思うことも笑ってしまうといいんだな、きっと。
いいさ、作文なんてヘタクソだって。
だって、間違え方が面白いんだもん。


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