ソシャゲと夢の終わり

今日もインターネット上に流れる、どこかのソーシャルゲームのサービス終了のお知らせ。それを見るたび、たとえ自分のやっていないゲームだとしても、どこか寂しさを覚える。

私は、自分のプレイするソシャゲのサービス終了を経験している。すでに数か月後の終了が予告されているゲームもプレイしている。それ以外のゲームも、正直、いつ終わってしまうか分からない。

サービス終了を知ったとき、私は急に現実に引き戻されたように感じた。夢が終わる、と思った。

私は無課金ユーザーだ。だから、むしろ、サービス終了に加担してしまった人間なのだ。この先何を言っても、「無課金勢がゴチャゴチャうるせえよ」としか思われないのは、重々承知している。
その上、私はあまりグッズを買う方でもなかった。もう、顧客と呼べるのかどうかすら怪しい。

そのゲームが好きだったことは、事実だった。好きなキャラクターもいた。
サービス終了を悲しいと思うのだから、きっとそれは事実であるはずだ。

私の「好き」は、モノの形をなしていなかった。魔法のカードを買ったことなどなかった。

推しが必要とするのは、百回の「愛してる」ではなく、一回の課金。
わかっていたはずなのに。所詮、私の「好き」はその程度だったのか。

愛の真贋は金じゃないと、そう信じていたかった。

この夢は、金額に関係なく、続いていくと思っていた。

夢を見続けるには、金が要る。サービス終了が発表されたとき、私はそんな当然の摂理を認識しなくてはならない。
だからこそ、現実に引き戻されるように感じるのだろう。

こんなことを考えているのに、私は今日も懲りずに、リリース予定のゲームをチェックしている。
公式ツイッターで最新情報を手に入れ、キャスト発表に一喜一憂し、PVを見ては笑顔になっている。友人と「あのゲーム気になってるんだ」と話すのが、とても楽しい。

私がしているのは、途切れかけている夢を、別の夢でつなぎ、無理やり延命させる行為だ。
私の夢は、趣味は、すべてつぎはぎで出来ている。
この先、ずっとそれを続けていくだろう。

それでもまだ、私は夢から醒めたくない。

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雪乃

スローペースで生活する女子大生。エッセイや小説を書いています。ハンディキャップがありますが、「無理しない」をモットーに今日も生存中。
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