10年間、私は一貫して同じことを伝え続けていました。 「誰でも描けるアートをあなたに」 このキャッチフレーズで丸シールアートを長年作成し、表現し、皆さんにわかりやすい作品を作ってきました。実際共感される方は大変多く、たくさんの方から関心を寄せていただき、それによって多くの経験を積ませてもらい、実にたくさんの作品を作成しました。 おかげさまで今後も全国各地のギャラリーや美術館で展覧会を予定しています。正直とっても恐れ多く、自らの実力不足を感じながらも、期待に応える作品を作
どうもこの頃、作家ならこうしなきゃならない、あーしなきゃならないという呪縛から離れられているようです。 たくさんの人がいろんなアドバイスをしてくださり、そうだね、それは必要なことだねと思う一方で、できない自分にとても敗北感を感じてそれがすごい重荷でした。 そんな時偶然テレビで見た熊谷守一特集を見て、なんだかとても心が救われたので、自伝書を購入し、最近は外出時のお守りのように持って読んでいます。 自分という存在を究極に俯瞰してみている人の本は今まで読んだことがない、というほど
皆さんたくさんのフォローをありがとうございます。 このコラムが少し人気になりました。この記事がきっかけでフォローしてくださった方がいる事が本当に嬉しいです。 この文章は、私が夜景作品を発表した時から一貫して言っていた話で 長年私のことを知っている友人は相変わらずだね、と笑っていました。 おかげさまでそれからもテレビに出させていただいたり、展示をさせていただく機会が増え、作品制作に奮闘する日々を送っています。 実は環境が大きく変わりました。コロナのおかげと言ったら変ですが
美術を志した理由はいくつかあるけど 勉強ができなかったというのが理由の6割を占めている。 私は小学生のころから勉強に才能がないことに気づいていた。 日能研に通っていた頃は毎週末テストがあり、どんなに文章をしっかり読んでも、理解できないし楽しいとも思えないし出来ないことをやろうとしても無意味だ、、。という思いを常に抱えていた。 もちろん塾のクラスは毎回最底辺。 懇切丁寧に説明をされても、理解する気が無いので全く頭に入らない。 これを解ければ良い学校に入れるんだけど! と言われ
愛にまつわる作品を作った ガラスの仮面という漫画に ”紫の薔薇の人”という人が登場する 私にもそんな人がいた 美術家になるぞ!と思っていた時から励まし 支えてくれた人だった でも私は支えてくれていたことにずっと気づかないでいた 周りが見えていなかった 自分の成功は自分の実力だけで勝ち取ったものだと驕っていた ありえないことだ 誰かに相談したり声をかけてくれた優しい方たちの顔を 私はいくつも忘れてきた または架空の敵を作り被害者意識どっぷりで攻撃していた 多くの人の笑顔
コロナのせいだと思いますが仕事が減りました! とっても暇! なので表現に対して考えているアーティストの愚痴でも書きます。 私が表現している軸にあるのは、 個人的な記憶や感情や自己内省を通して見えてくる、社会的な問題、親子の問題、消費社会の矛盾、行動心理学による歪みの告発、または揶揄、そして嘲笑です。 世の中は多くの矛盾と冗談の繰り返しでできていると思っています。 安倍政権はいつまでも権利主義で上位社会に優しい社会しか作らないし 世界中で差別はいつまでもなくならないし、 痴
戦時中のような緊迫感が日常に溢れる中、 私は幸せの絶頂にいる。 今年に入ってから急に制作への情熱が溢れ スタートダッシュを決めるボルト選手のように 作品のアイディアが閃き これまでなかなか動かなかった手が ウソみたいに動き出し あらゆる可能性を探って 実験的なことを試したり、 誰かの言葉に惑わされなくなった。 これまでは芸術家というポジションに戸惑いつつも その職業に固執していたのかもしれない 私のキャリアは大学4年生からスタートした 東京ミッドタウンアワードで入賞した
イライラした状態で朝起きて朝ごはんを用意し、子供に食べさせていると 息子が 「パパ、ママをいじめちゃダメだよ。ママ怒ってるよ」 といきなり夫を咎めてドキッとした。 確かに私は夫に怒っていたが顔や態度に出したつもりがなかったので 幼児といえど、人の観察力が優れていることを実感した朝だった。 息子は3ヶ月後には4歳になる。 いつの間にかゲーム操作もできるようになっていて 人の成長を細かく観察しないと あっという間に何もかもできてしまうのだなと 少し寂しく感じた
2019年2月7日 豪華客船ダイヤモンドプリンセス号内で41人の感染が認められた報道をみたとき、これはヤバイ、、、とイヤな汗がサアアアアアと出てきました。 約3700人の中の41人とみれば一見大したことないかもしれませんが、一人の感染者から急にここまで広がるというのは、異様だなというのが率直な感想でした。それからテレビのニュースだけでなくネット記事、ネットニュース、YOUTUBE動画Wechatで親戚(中国の東北に住んでいます)に連絡と色々情報を収集し、、、、 素人の決断で
2週間前、娘がしつこい風邪に冒されて5日間の病床についた後、少し肺炎ぽくなってしまいさらに4日間の入院になりまして、 ここしばらくは通常の生活ができませんでした。 子供がいると思うように過ごせなくなるのものですが、 地獄とはこのことかしらと思うほど、娘と私の精神と体力が消耗されました。 その結果 医療費無償化によって子供の医療費を懸念しなくなったから思考停止になってしまったんだ! だから娘の入院をもっと早い段階で食い止められなかった!国が悪い!!!!!! と明後日の方向に銃
昨日は都内のとあるワークショップで鹿を捌きました。 以前から狩猟、屠殺に興味がありました。 例えば焼肉屋に行って 好きな部位を選ぶとき どこがどこにくっついてた部位なのか検討もつかず とりあえず聞いたことあるお肉を頼むという日常に こんなんでいいのかなという気持ちがありました。 もし自分が今里山に放り出されたら 肉の捌き方も知らずに 肉を前に飢えて死ぬに違いない。 肉が肉になる前の状態を知りたい 知ってから自分の気持ちがどう変化するのも知っておきたい 好奇心をいっぱい抱
私が映画に求めているのは 娯楽よりも人生の教訓や道徳心や教養なのですが 昨日見た「女の一生(1967/松竹映画)」という作品は 上記三つのどれにも当てはまらない物でした。 しかし大変感銘を受けたのでどうにかして伝えたい。 主人公は信州の名家に育った世間知らずの美しい女性で、 この女性が次々と不幸に遭うだけの物語なのですが 身も蓋もないラストを観たとき この女性が心底愛しいと感じました。 そして映画を観る姿勢を正されたのです。 その前に枕として紹介したいのはこちらのドラマ
今日は映画評を先に ストーリーが少し複雑です。 ~あらすじ~ 主人公のエミリア(ナタリーポートマン)は若手弁護士で、同じ職場の妻子持ちの上司と不倫関係に陥り、子供を妊娠して略奪婚します。 しかし女の子を出産した三日後SIDS(乳幼児突然死症候群)で赤ちゃんをなくしてしまいます。 悲しみから立ち直れないエミリアですがそんな中でも、残された7歳の継子と家族関係を築かねばなりません。愛情を示そうとしますが継子はエミリアが気に入らず、わざと赤ちゃんの話題を振る等してエミリアを逆上さ
夕飯後に子供達としまじろうを見ていたら お父さんお母さんの懸命な仕事風景に感動したしまじろうたちがいつも以上に両親を労う、という話が流れてきて あまりに不意打ちだったので泣いてしまった。 以前も同じようなことがあった [子供目線のあらすじ] 兄妹で冒険する話 [親目線のあらすじ] お母さんが何かと妹にかまい、しまじろうを「お兄ちゃん」というカテゴリーに当てはめてしまい、それにしまじろうがガチギレする話 ほとんど子供が観る映画なので、中盤は退屈でほとんど覚えていないのだ
朝子供達の送迎を終えて仕事場に向かう途中、2歳の女の子を肩車して歩くお父さんを見かけた。 お父さんは背広のスーツを着ていたので、出勤前子供を保育園に預けに行く途中なのだろう。その親子とは1週間のうち2回くらい見かけるので、すれ違うときは時たま軽く会釈するのだが、 会えばほぼ必ず子供を肩車している。 同じく1歳と3歳の子供を育てているので、2歳の体重はなんとなくわかる。 11キロか12キロはあるだろう。 決して軽くない重さを軽々と肩に背負い、 女の子はいつも嬉しそうに笑ってい
昨日子供達を迎えに保育園に行ったら 3歳の息子が最近お友達に攻撃するようになったと報告を受けた。 グーパンチであると それもかなり執拗に、年上年下関係なく飛びかかると これは穏やかではない。 家庭内では当然、子供を殴ることなんてしていないし 殴る行為もいけないと伝えているつもりだが 何が彼をそうさせてしまっているのか ご飯を食べたあと私が子供達の遊び相手として十分じゃないストレスからなのか それとも私が仕事や自分のことにかまけてしまい放置しているのがストレスなのか 夫の帰