ほろ苦い新宿の思い出



乗り換えで降りる度に過去の記憶がふと蘇る。
自分にとって楽しい記憶とそうでない記憶が混在する街、新宿。

20代の頃は常々 "新宿こそすべて" だと思っていた。
「新宿」という街が死ぬほど好きだった時期がある。あのゴミゴミとした凄まじい雑踏に東京を感じ、そこに紛れることで東京に生きていることを噛みしめるように実感していた時期がある。

あれからもう何年も経ったが、死にたいくらいに憧れた街に今では用がない限り近づくことはなくなった。




"ここで「笑っていいとも」がやってるんだ...!"

初めて新宿を訪れたのは小学生の時。
アルタを見た時の感動は今も忘れていない。印象的だったのは、とにかく人の多さと街のほとんどが看板に見えたことだ。小5の夏休みに初めて都庁の展望台に連れて行ってもらった時のことはよく覚えてる。もしかしたらあの体験がのちに新宿に染まっていく第一歩だったのかもしれない。

大好きなゴッサム・シティの幻想を西新宿にそびえる新宿副都心に抱いていた。あれこそが東京の摩天楼だと。

物心ついてからずっと大都会・東京に憧れていたものだから社会人になると同時に調布市内に住み始め、休日は最初こそゲーム三昧の引きもりだったが、写真に目覚めてからは何かと新宿に行って写真を撮って過ごすようになった。京王線で30分足らず、往復しても500円かからない。毎回最後は必ず都庁の展望台に立ち寄り、都心を見渡した。

買い物をしたり、写真を撮ったりと休日を新宿で過ごすことがステータスになり、通えば通うほどあの街と雑踏を好きになっていった。


やがて勤めていた会社が新宿の西口に移転することに。
心の中で歓喜した。好きな場所に会社があることがどれほど嬉しいことか。通勤で新宿に通う日々は満員電車でもそれほど苦にならなかった。残業して帰る日は時期によって変わるライトアップされた都庁をスマホで撮影することが日課となり、副都心のビル群の夜景には心底癒されたりもした。


今ではインスタに溢れかえっている歌舞伎町や新宿住友ビルの展望レストランにもなにかと出入りするようになったが、中でも職場の人と行った歌舞伎町の店で1時間飲んだだけで17万も取られたことは生涯の思い出の一つである。あの場所では何も知らないとただのカモだ。今では笑える話。それでも仕事帰りにスーツであそこを歩くことにステータスを感じていた。


同僚や上司と昼も夜もいろんな店を食べ歩き、新宿の街を満喫した。そんな日々が楽しく、愚痴を言いながらもなんだかんだ充実していたように思う。

30歳になるとそれまでの自分を変えようと思い、新宿駅界隈で開催されていた朝活に参加するようになった。朝活には英会話やら読書やら不動産投資やらさまざまなジャンルがあるが、知らない人たちと仕事前の時間を活用してコミュケーションを図りながら学ぶができる。

そんな朝活で紹介してもらった『金持ち父さん 貧乏父さん』というその界隈では有名な本にいとも簡単に触発されて次第にお金や仕事に対する価値観が変わっていき、もっとお金が欲しいという金銭的欲求が芽生える。
不動産や株、FXなどの投資を勉強し、そっちにお金を回し始め、多少損をしても勉強代と割り切った。今思えばかなり浅はかではあるが、単に金持ちになりたい、という一心だけであらゆるセミナーに参加した。

そんな折、友人を介して飲食店をやらないかという話が舞い込んできたのは少し経ってからのこと。オーナーの想いに突き動かされ、色々あったが4ヶ月ほど考えた挙句、思い切って会社を辞めてそっちの方向にシフトチェンジ。会社員より稼げる気がした。


さらにそのタイミングで思い切って憧れの新宿についに住まいを移す。狭い1Kで家賃は85,000円だったが、不動産屋のコネで72,000円に。こんなチャンスは二度とない。築年数はそこそこのマンションだったが、内廊下が気に入った。

そして、なにより住所が都心5区のひとつ「東京都新宿区」になったことは自分にとって天にも昇る思いだった。だが、家は主に寝るためだけの用途と考えていたこと、家賃だけに惹かれて住環境を重視しなかったことがのちに仇となる。


店を軌道に乗せて、お金を稼いで投資に回し、勝どきのタワーマンションに住むという理想を描いたのも束の間・・・

人生、そう簡単にうまくいかせてはくれない。


気心の知れた昔からの仲ではなかったオーナーとは最初こそ良かったが、時間の経過とともに次第に人間関係にズレが生じ、心はみるみる疲弊していき、店に向かうのが鬱になったことから自らその道を降りた。
退職前の職場や友人・知人に張り切って店の宣伝をしていた自分はそれ以上どうしようもない程の自己嫌悪に陥り、ベッドから出ず、誰にも会いたくない日々がしばらく続いた。その時は希望も何もなかった。


そんな時に限って嫌なことは続いたりする。
家にいる時間が長くなったことでそれと重なるように繁華街にほど近い立地による騒音や人の雑踏に苦しめられた。酷く心が疲れている時、マンションのエントランスの外を大勢の人が行き交う様子を見るのは吐き気がするほどに辛くしんどい。



精神が限界に近づき、初めて新宿の街に濃い疲労を感じた。



東京に来てから何もないのに実家に帰ったのはその時が初めて。
親には会社を辞めたことすら言わないでいたが、すべての経緯を話すと黙って聞いてくれ、精神的に楽になったのを覚えている。
ほどなくして新宿を離れたのは言うまでもない・・それを機に、ほど近い池袋と渋谷も敬遠する対象になっていった。


色んな出来事が重なり、死ぬほど好きだった街でもそうでなくなる現実。何年もの間、ずっとホームのように親しんだ街だけに嘘のようでもある。


苦い経験はそう簡単に忘れることはできない。もし会社員を続けていたら今も高揚しながら新宿で写真を撮っていたかもしれない。けれど、これまでのあらゆる決断に後悔は微塵もなく、失敗したとも思っていない。強がりではなく。なぜなら"人生経験"として得たものがあったとはっきり言えるから。



楽しい記憶とそうでない記憶が混在する街・新宿。
まばゆいネオンがいつも手招きしているように見える。


乗り換える時、足早にそこをあとにする。




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Yukinori__833

写真撮ってます。 https://twitter.com/833__3/

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