見出し画像

赤穂事件は元禄赤穂事件以外にも色々ある

12月14日は赤穂四十七士討ち入りの日なので、赤穂事件についてつらつらと書いてみます。
ただし、元禄赤穂事件以外の赤穂事件です。
あそこ、土地柄ヤバいのか、なんかちょくちょく事件が起きてるんですよ。

なお、基本的にwikipedia調べの内容なんで、参考文献もなんもないです。
自分用のメモで時系列順にざっくりまとめたかっただけなんで、詳しいこと知りたい人は、検索とかで調べてください。

1645年 正保赤穂事件

藩主・池田輝興が急に発狂して正室や侍女数人を斬殺、改易。
池田輝興は、姫路城の池田輝政の六男です。
突然発狂して惨殺ってなんやねん、怖すぎる…
赤穂城の博物館では「池田輝興の狂気により改易」みたいなボカされた書かれ方してました。
詳細知りたかったんだけどなー
まぁ、陰謀説もあるみたいで、よくわかってないみたいです。

ここで池田家から浅野家になります。

1650年 慶安赤穂事件

浅野家お預かりの大久保数馬・水谷山三郎の両名、喧嘩して双方絶命。
この辺からすでにヤバい。
発狂の次は喧嘩で絶命…
まぁ、お預かりになるくらいの連中だし、生類憐れみの令出る前だと、まだまだ室町人の血の気の多さが抜けてなかったのかも。

1701年 脇坂赤穂事件

浅野内匠頭の刃傷事件が起こり、浅野家から赤穂城を脇坂家が引き取ります。
で、引き取った重臣が突如乱心して刃傷事件を起こし、赤穂城内で死傷者を出したそうです。

慶安事件といい、これといい、赤穂で育ったわけじゃなく、外から来た連中が死者を出す事件起こしてるあたり、なんなんでしょうね…
塩っ気の多い食事でかっとなりやすいとかあるんですかねぇ…
それか、なんか変なのが憑いてるのか…

脇坂家の龍野城

1702年 元禄赤穂事件(討ち入り)

松の廊下事件

超有名なアレなのでカット。
この過程で、浅野家→永井家を経て、1706年に森家が藩主になります。
森蘭丸の弟で津山藩主の森忠政の子孫です。
森忠政もエピソード豊富で面白い人なので、興味ある人はニコニコ大百科でも見てみてください。

1862年 文久赤穂事件

尊皇攘夷と佐幕で揉めての暗殺事件。
尊王派の西川升吉を含む下級武士13名が、佐幕派の家老・森主税と側用人・村上真輔の2名を暗殺。
一番問題だったのは、勤王の名のもとに殺した側が正義になって称賛されて、被害者側の遺族が閉門処分とかいう、わけのわからない事態になったことです。

殺人事件を犯したほうが正義になるとかヤヴァすぎです。
幕末怖い。
身内殺された上に、なぜか閉門処分とか、こんなん殺された方も黙っちゃいません。

赤穂城二の丸門跡の解説文

1871年 日本最後の仇討ち「高野の復讐」

明治に入って、文久赤穂事件の被害者側の冤罪が確定。
それを受けて、被害者の息子のの村上行蔵らが仇討ちしようとします。
暗殺に加わった6名と同行者を加えた計7名が高野山に登るとの情報を得たことで、山中での待ち伏せして仇討ちに成功。
村上方の処罰は、一審で全員死罪となりましたが、最終的には「禁固10年」又は「准流10年」の判決になったそうな。

1873年 明治政府による仇討ち禁止令が出る

高野の復讐を機に「仇討ちなんて野蛮なことしてたら西洋に見下されちゃう!」ということで仇討ち禁止令が出ます。
というわけで、結果的に高野の復讐が日本最後の仇討ちになったのでした。
忠臣蔵の仇討ちで有名な赤穂だけど、日本最後の仇討ちも赤穂の人だったんですねー


以上、江戸時代の赤穂事件まとめでしたー
赤穂に行った時に調べて「なんじゃこりゃ」となったけど、結構忘れてて、やっぱこーいうのはちゃんと書いてまとめておかないと忘れちゃうんだなーとか思いました。

余談ですが、赤穂城の博物館はなんか作りが古くてイマイチだなーとなった記憶があります。
忠臣蔵という超有名なネタがあるのに、うまく活かしきれてなくてもったいなかった感。
元禄以外の赤穂事件には触れてませんでした。
せっかくネタの宝庫なのに勿体ない…
文久赤穂事件と高野の復讐くらいは史料つきで紹介してもよいんじゃ…

なお、近くには塩作りが出来る「赤穂市立海洋科学館・塩の国」があったり、塩田見学が出来たりで、そこは楽しかったのでオススメですー

塩田見学オススメ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?