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旅にカメラが欠かせない理由 2/2

前編はこちら


世界一のスナップ写真家のすごさ


カルチェ・ブレッソンが傑作が生まれる条件として書いています。
目と頭と心がひとつになる瞬間だ

ブレッソンは鷹の目と称されるほど視線が鋭いことで有名ですから、それが心と頭を挙げているところに感動しました。一般的には、鋭い視線と素早いカメラの扱いでスナップを量産していたことになっている。あとは頑固なほどの構図へのこだわりと。
ブレッソン=決定的瞬間+幾何学的構図+50mmのついたライカ
これだと大事なものを見てないってことですね。

余談ですが、ブレッソンはいつ見てもどこで見ても「やっぱすげえな」と感動します。どこで見ても、というところがポイント。
残っているプリントはほとんどが大四つ切りくらいで、美術館のような空間でサイズ的には見劣りするのに、巨大な絵画や派手なオブジェと並んでいても美しさが際立っています。
トレードマークの黒フチに囲まれたモノクロ映像は腐ることがない。
あの黒フチはデザイナーや編集者が触れない領域として生み出されたという逸話があるように、ホルマリン級に中の世界が守られています。

何も知らずに最初に手にした写真集がブレッソンで「うわっ、俺のやりたいこと全てもうやってるよ」と驚き、影響から逃れようと避けていた時期もありますが、唯一無二の存在でスナップの原点であり頂点。
いつも感動するのは「よくこの瞬間に出会えたな、よくこの瞬間より前にカメラを構えていたな」ということ。
ブレッソンの人生の長さからすると写真を撮っていた時期が短いのが残念です。亡くなって20年になりますからWikipediaを貼っておきます。


ブレッソンに学ぶ、良いスナップ写真とは



「目と頭と心がひとつになる」というのを、見ているものと考えていることと思っていることがひとつになるのだと受け止めていました。
ここ数年はそれに変化があって、生まれてからずっと蓄積されて自分を形成しているものに、そのとき見たものが火をつけて、感情を燃料にして燃え上がるようなことなのかな、と。
どれかひとつが欠けていたらつまらない。
見栄えのいいスナップを撮るコツ、みたいなものが確立されつつあるため、余計にそう思うようになったのかもしれないです。

ブレッソンの写真はほんとうに軽妙で、軽く撮っているように見えるし、生産システムが確立されて被写体を料理するレシピがあったように感じられる時期もあります。
けれども写真を見て最初に思うのは「こんなに日常的な場面なのに、こんなに美しく撮れるなんて」という驚き。この目で世界を見てみたい、と思います。

我ながらブレッソンの影響がすごい
スナップを撮っていてブレッソンに影響を受けてないと言うのは
ロックをやっていてビートルズの影響を受けていないと言うのと同じ


自転車が呼び覚ますもの



ロードバイクの運動強度と速度のバランスがちょうどいいのか、なにかの感覚が鋭くなるのか、逆に鈍ることで活性化される部分があるのか、やけに昔のことを急に思い出したり、書きかけの原稿のアイディアが浮かぶことが多いです。
景色だけじゃなく脳が更新される速度も心地よい。

そういえば村上春樹さんが、ヒッチコックの「白い恐怖」みたいな体験だとして、日本で雪が降ったときに運転していたら右側を走っていた記憶が蘇って危ない目に遭ったと書いていました。
アメリカ在住のときに運転を覚え、そのあとで雪の中を走っていなかったから雪の視覚が保存されたまま上書きされず、急に呼び出されてしまったわけですね。

学生の頃に自転車を漕いでいた記憶なのか、川沿いの匂いや風のせいか、いつもと違う目線の高さなのか、ぼくにも似たようなことが起こります。

つまりは 頭と心が刺激される

ここに見たものがうまく火をつけてくれると、傑作が生まれる条件が整う。
ほんとうに傑作が生まれることなんて稀だけれど、少しでもいい写真を撮りたいと思って試行錯誤したり、その光景を観察したり、そうして深く関わることがいちばん大事だと思っています。
ゲームじゃない。人生の一部だから。

このとき持っていたのが8mmというのも意味がありました。
世界の見方、世界との関わり方を、無理矢理にでも変えてしまわないと撮れない。すごく難しいけれど、うまくゾーンに入ったとき、世界を独り占めしているような感覚があります。


佐原ライド、略してサワライドが教えてくれた



佐原に着いて、念願だった鰻屋さんの開店を待って美味しい鰻重を食べ、ひどい雨に降られて自転車も自分もびしょ濡れになり、古い建築物で雨宿りしているときちょっとした出会いがあって大切なことを思い出します。

元気をもらって香取神宮まで走って、また雨に降られて「どうして佐原から素直に電車に乗らなかったのだろう。せっかく輪行できるのに」と悔やみました。
さっき大切なことを思い出したばかりなのに。

サイコンの不具合があり、でももうその頃には何キロ走ったとか数字で表せることはどうでも良くなっていて、今ここで思ったことを忘れないようにしたいと、それだけ願っていました。
どうせ忘れちゃうんだろうな、これまでだってそうだったから。

やれることはひとつだけ。
ぼくにはカメラがあって、写真を撮ることで深く心に刻むことができる。


見つけた
何を? 
人生を
空と交わる太陽を

ランボーの有名な詩を、ぼくはゴダールの映画で記憶しています。

見つけた
何を?
人生を
光と交わる記憶を


説明できないことのほうが魅力ある


#写真家が自転車に恋をして  #09

道シュラン



02  中山道 ★★★

トラックが多くて路面コンディションが良くないところは前回の水戸街道と同じだけれど、風化した景色に出会えるので退屈しません。エリアごとに栄えた時代が違うのか、いくつもの時間の層があるところも好きです。

ロードバイクを漕いでいると「今日は撮影のほうに重点を置こう」と思っても、前に進みたい、早く漕ぎ出したい、という気持ちが強くなってしまいがちなので、それがうまくコントロールできるようになったら、ここはじっくり撮りたい。


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