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周期性ということ

これは177回目。人間にも、社会にも、あるいは自然現象や宇宙の天体においても、おそらくなんらかの周期性というものはあるのでしょう。今回はそのお話です。

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周期性というと、すぐに日本人は地震災害で考える癖がついている。たとえば、江戸時代末期の安政の大地震が1855年。ここから70年後の1923年が、関東大震災。さらに80年後には、東日本大震災2011年に続く。地震という自然災害であるから、多少のずれは誤差に過ぎないということになろうか。

たとえば、景気というもの一つとっても、キチンの波と呼ばれる40ヶ月平均の消費(在庫)循環、ジュグラーの波と呼ばれる10年の設備投資循環、クズネツの波という20年の建設循環、そしてコンドラチェフの波と呼ばれる50年の技術革新(イノベーション)循環、さらには、100年というスーパーグランドサイクルと呼ばれる世界の覇権循環というものがよく言われるものだ。これは、在庫の過剰・逼迫、機械設備や建築物などの耐久年数が原因で発生するといわれるわけで、それなりに根拠ははっきりしている。

ただ、世に言われる周期説は、冒頭の地震災害のそれを見てもわかるように、結果論、そうだったという「こじつけ」に近いものがある。もちろん、周期があると解釈できそうな歴史的事実は、確かにある。一体、なぜそうした循環が繰り返されるのだろうか。人間というものは、そういうバイオリズムというものと切っても切れない存在なのであろうか。

経済学者チャールズ・キンドルバーガーの名著『熱狂、恐慌、崩壊~金融恐慌の歴史』によれば、オランダのチューリップ・バブルとその崩壊以来、平均して4年に一度、世界はバブルと暴落を繰り返してきたことになる。まるでオリンピックだ。人間の社会・経済活動は、明確に天国と地獄を繰り返してきた。キンドルバーガーに言わせれば、「人間の記憶とは、そのていどのものでしかない」ということになろうか。学習効果が無い、と言われる所以だ。

そうした物事の周期性を探そうという試みは、常に行われてきたし、そのたびに、はしごをはずされてみたり、あるいは的中といって驚いてみたりと、悲喜こもごもだ。最近、東欧からスラブ圏に、キナ臭い匂いが立ち始ていることもあってか、この国際紛争や戦争といったものの周期性も、取り沙汰されている。

その一つが、25年周期説だ。第一次大戦1914年、第二次大戦1939年、ベトナム戦争1964年、ベルリンの壁崩壊(冷戦終結)1989年ときて、そこから25年後が、今年2014年ということだ。

よく言われるのは、太陽の黒点周期11年と、戦争周期の関係だ。過去120年ほど振り返ってみると、11年周期で繰り返される太陽黒点と、ほぼ同じタイミングで戦争が勃発している。しかし、完全に一致したのは、911同時多発テロだけで、あとは1-2年前後していることから、ぴったりというわけではない。

戦前の日本は、見事なほど10年周期で戦争を繰り返していた。1894年日清戦争、1904年日露戦争、1914年第一次大戦、1924年は無い。前年に関東大震災があったから、戦争どころではなかったということは確かに言えるが。この後は、1937年日中戦争、1941年第二次大戦と、ピッチが早まっていった経緯が見られる。

ちなみに、米国でもこの10年戦争周期説というのがある。1941年の太平洋戦争から、1950年朝鮮戦争、1961年ベトナムに軍事顧問団派遣、1970年デタント、1980年新冷戦、1990年湾岸戦争、2001年アフガニスタン紛争あるいは2003年イラク戦争とこのへんはややズレがある。

一方、日本においては、もっと長い40年周期説というものもある。1868年の明治維新から、国運そのものが40年ごとに栄枯盛衰を繰り返しているというものだ。1868年明治元年から1905年の日露戦争終結までの40年が、「国運上昇」の40年である。

この1905年から1945年の太平洋戦争終結までが、国運下降の40年。1945年から1988年のバブルの絶頂期までが、再び国運上昇の40年。そして、1988年から2028年までは、国運下降の40年ということになる。つまり、今は国運下降の真っ只中であり、アベノミクスは、その間の、麻疹(はしか)のようなアダ花に終わるという結論にでもなりそうだ。冗談ではない。

ちなみに、国運下降の40年の中間には、1923年の関東大震災と、2911年の東日本大震災といった、大震災が起きるというとんでもないおまけまでついている。この40年周期説というのは、正確には1サイクル80年であり、本来80年周期説というべきなのだろうが、なんといっても当てはまるのは明治維新以降、サイクルが終結したのがわずか一回だけであるから、果たして参考になるものか、わかったものではない。

より国際経済の人口動態や経済との周期から、モデルスキーによって指摘されたのが、大規模戦争の100年周期説である。これはあらゆる秩序のエントロピー的衰退、国際的な秩序形成の衝動などが理由として挙げられているものだ。

この周期説というものには、カテゴリー別に個々の事象だけで該当するものをピックアップする試みもある。それが、70年周期説だ。

たとえば、こんな感じである。列挙してみよう。

1920年の世界恐慌から70年後に、1990年のバブル崩壊が発生。
1923年の関東大震災の70年後に、1995年の阪神淡路大震災。
1927年の金融恐慌の70年後に、1998年山一・長銀倒産。
1930年の昭和恐慌の70年後に、2000年のITバブル崩壊。
1931年の満州事変の70年後に、2001年911テロ事件。
1939年の第二次大戦の70年後に、2008年のサブプライムショック。
1941年の太平洋戦争の70年後に、2011年東日本大震災と欧州金融危機。

戦争と、金融・経済といったような異種のカテゴリーを、ときにごっちゃにしてみている部分もあり、どうも信憑性はない。が、まことしやかに70年周期が語られることが多いのは驚きだ。強いて言えば、わたしならこうする。1955年経済白書の冒頭、「もはや戦後ではない」からちょうど70年後は、来年2015年だが、「もはやデフレではない。」としたい。それなら、70年周期説、信じてみようかな、と思ってしまったりする。

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