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ジャポニズム~世界に与えた日本という衝撃。

これは75回目。私も知りませんでした。かくまで日本の浮世絵というものが、世界の芸術・建築文化に衝撃を与えたという事実を。読みかじりのことを、いろいろ考えてまとめてみました。

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世界に大きな影響を与えた日本人といったら誰だろうか。すぐ思いつくのが、映画の黒澤明が、その影響度という点では誰も否定しないだろう。現在の各国の映画監督のほとんど全員が、黒澤映画の洗礼をうけているといっても過言ではない。

残念ながら、黒澤映画は、黒澤映画に留まっており、映像文化そのものを根底から覆すような決定的な革命を起こしたものというには、やや力不足かもしれない。

「ゴジラ」という創造物も、確かに衝撃的な日本人の手によるものだといえる。しかし、これはあくまで「ゴジラ」で自己完結しており、影響は甚大だったものの、残念ながらティム・バートン、ヤン・デ・ボン、スティーブン・スピルバーグなど、幼年期にゴジラ・シリーズを見て夢中になり、大きな影響を受けたというようなところまでだ。

黒澤にしろ、ゴジラにしろ、映画文化や映像文化、さらに異分野の価値観を引っくり返してしまうようなインパクトにはなっていない。

次にアニメが思い浮かぶが、その表現形態としては、日本のものが世界を圧倒していることは間違いないものの、百年に及ぶディズニーの貢献に対して、まだそれは影が薄い。宮崎駿(みやざきはやお)は、どこまでの影響度か、よくわからない。

ここに、「LIFE」誌が行った、「過去1000年の世界で最も重要な人物100選」Life's 100 most important people of the second millennium、というリストがある。これを以前、ネットで紹介されていたので見ていたら、驚愕した。

この100人は、良いか悪いかという点を度外視して選ばれた人物たちだ。良かろうと、悪かろうと、世界に決定的な影響を与えた人物という意味だ。

だから、12位にナポレオンも入っているし、13位にはヒトラーも入っている。中国人は、14位の鄭和、28位の毛沢東、45位の朱熹、67位の曹雪芹(清朝の作家、紅楼夢の作者)など合計5人だけである。

ちなみに、このリストの筆頭、1位はエジソンだ。2位がコロンブス、3位がマルティン・ルター、4位ガリレオ、5位ダ・ヴィンチ、6位ニュートンと続く。

では、日本人はというと、ここに驚くべきことに、たった一人だけ選ばれている。86位に、なんと葛飾北斎が選ばれているのだ。アジア人では、先の5人の中国人とこのたった一人の日本人を除けば、皆無といっていい。

意外感のあるノミネートだが、北斎の影響度というものは、われわれ日本人の認識を、とてつもなく超えたものらしい。いったい、どういうことだろうか。

北斎は、『富岳百景』で有名だが、89年の生涯にわたり、森羅万象を描いた。版画、肉筆いずれでも傑出した作品を残したが、その浮世絵という日本独自の文化を完成させた画人といえる。

この北斎の浮世絵は、後にゴッホやゴーギャンを始め、印象派画檀を皮切りに洋画に根本的な衝撃波となった。平面画法だけではなく、その色彩感覚も、モネやドガに濃厚な影響を与えている。

ゴッホなどもそうだが、19世紀の欧州の画家たちは、みな油絵による浮世絵の模写もしている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけだという。

色鮮やかな紙、精緻な彫りがなされた版画群は世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが高い評価につながっているらしい。高品質の芸術品がこれほど庶民の間で広まっていたのも世界に例がなく、大衆のための美術としては世界で初めてのものといえる。また、中世・近世の庶民を中心に多様な生活を描き、記録している資料は世界に浮世絵しかないことも貴重とされているようだ。

1865年(明治維新の3年前)、フランスの画家ブラックモンが、日本から輸入した陶器の包み紙に使われていた『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで、当地の美術家の間にその存在を知られるようになった。これが最初だ。

これに夢中になったフランスの詩人ボードレールは、友人から入手した一箱分の日本の工芸品(かなり北斎が含まれていたと思われる)を、欲しがる知人たちに分け与えていた。彼が、そう手紙に書いている。

日本では庶民の娯楽であり、読み古されたものやミスプリントが船便の梱包材に使われるほど安値で取引されていた浮世絵は、ヨーロッパで当時の日本人には考えられないほどの高値で取引された。その後、様々な作品が正式に日本から渡るようになり、印象派の作風に大きな影響を与えることとなった。いわゆる「ジャポニズム」の流行である。

なんと、北斎の浮世絵は、19世紀末の建築文化であるアール・ヌーヴォーにも影響を与えた。アール・ヌーヴォーには、明らかに浮世絵のような平面的な意匠がみられる。

そればかりではない。印象派音楽のドビュッシーも、北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲している。1905年に出版されたスコアの表紙になっている。影響はクラシック音楽にも及んだのだ。

1870年には、すでに欧州ではジャポニズムの影響は顕著となり、1876年にはjaponismeという単語が、フランスの辞書に登場している。

ジャポニズムは、北斎の浮世絵だけではなく、日本の市松模様や家紋のような意匠まで含めた、より大きな日本文化の潮流に発展していった。これが、ルイヴィトンのデザインである「ダミエ・キャンバス」や「モノグラム・キャンバス」に影響を与えたことはよく知られている。

19世紀から20世紀にかけて、ちょうど欧州美術文化が写実主義を脱し、印象派の時代を経て、抽象的なモダニズムへと進む過程で、100年に及ぶ影響を与え続けたジャポニズムは、いわゆる一過性の流行では終わらなかったのである。

ざっと北斎などの浮世絵に根本的な影響を受けた画家を並べてみよう。ボナール、ロートレック、マネ、ルノワール、ホイッスラー、ピサロ、クリムトなど、ゴッホやゴーギャンばかりではない。

あの、ピカソですら、北斎の影響から免れることはできなかった。北斎の春画『蛸(たこ)と海女(あま)』と同様のテーマの作品を、ピカソも1903年に制作している。初期の影響であるから、後年のピカソ芸術が完成されていく上では、まさに土台となる重要な部分を北斎が与えたことになる。

浮世絵というのは、線で構成されており、何もない空間と図柄のある部分に輪郭線がくっきりと分かれ、立体感はほとんど無いに等しい。(これが、アール・ヌーヴォーに影響を与えた)この浮世絵の直線と曲線による表現方法は、その後世界中のすべての分野の絵画、グラフィックで当たり前のように見ることができるようになった。つまり、浮世絵から取り入れられた形状と色彩構成は、現代アートにおける抽象表現の成立要素の一つと考えられている。

それまで西洋絵画というものは、縦横ともに、シンメトリー(均等比率)が原則であった。が、浮世絵というものは、中心線は必ずしも、縦横一線ではなく、完全に斜線であったり、上下左右のバランスは、ときとしてまったく崩れていた。いや、崩していたといったほうがよい。

作品の中心が、必ずしも、幾何学的な中心にはないのだ。極端に上であったり、斜め横に激しく寄っていても、バランスが崩れないこの芸術性は、ほとんど奇蹟に近かった。これは、北斎のみならず、広重、国芳、歌麿、写楽とどれをとっても、顕著な特徴であった。

どういうことかと言えば、ご自身で、安藤広重の東海道五十三次 の一つ、『庄野』をご覧いただけば、何を言っているのか一発でわかる。あるいは、国芳の『相馬の古内裏』を見ても、すぐわかる。

ちょうどそれは、形而上学的な表現に例えてみれば、西洋人は、「しょせん一粒の砂と膨大な質量をもった地球は、バランスが到底とれていない」と思うのに対し、日本人は平気で、「その二つはバランスが見事に取れている」と認識するようなものだ。

これは、造形という世界において、まさにコペルニクス的転換であった。絵画という平面世界において、ニュートン力学もユークリッド幾何学も、見事に破砕してしまったのである。それがジャポニズムの衝撃だといっていい。

このジャポニズムによって、その後の家具、衣料、宝石にいたるまで、あらゆる工芸品のグラフィックデザインに、知らず知らず日本的な要素が取り入れられるようになった。こうしてみると、葛飾北斎(だけではないが)が、ライフ誌の「過去1000年で最も重要な人物」に、たった一人だが、日本人としてノミネートされた理由がわかってくる。

すべては、150年前に一人のフランス人が北斎の浮世絵を一枚手に入れたことから始まった。現在、わたしたちが当たり前のように思っている現代芸術・建築・意匠のほとんどすべてに、ジャポニズムの血が流れている。

19世紀の欧州人たちが、感動と衝撃をもって「発見」した北斎と同じような奇蹟を、果たして今後われわれは世界に与えうる日が来るだろうか。もしかしたら、わたしたちが日常取るに足らないとしているようなものの中に、それは密かに息づいているのかもしれない。何も力で世界を屈服させるだけが能ではない。

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