くじら

くじらの話

これは206回目。鯨というと江戸の浮世絵師、歌川国芳(うたがわ くによし)の絵を思い浮かべます。地上最大の哺乳動物を描いた国芳のデッサン力は、今でも比類がないほど圧巻でした。ちなみに鯨といいますが、イルカとは別種ではありません。体長4メートルより大きくなるものをクジラ、それ以下の物をイルカと呼ぶだけのことです。

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地球が誕生して陸と海が出来てから、最初の生命は海で生まれた。鯨の祖先は海で生活していたと思われがちだが、実は鯨の祖先は陸で生活していた。

鯨の祖先を辿っていくと、約3900万年前の「パシロサウルス」に辿りつく。パシロサウルスは、海で生活したので流線型の体で胸びれがあったが、退化した後ろ足が少し残っていた。しかし、約3400万年前には、その後ろ足はなくなった。

そのパシロサウルスの祖先を辿ると、約4900万年前の「アンビュロケトゥス」に辿りつく。アンビュロケトゥスは、4本脚でワニに近い体型をしており、エサの捕り方もワニと同じように、水辺で動物を待ち伏せして捕まえていたとみられている。これは、耳の骨がみな同じで、骨振動で音を感知するという特徴があったことで分かるらしい。

鯨がどのように海に進出したのかは、長年の謎だった。しかし、今やインドやパキスタンなど限定された地域で、鯨の祖先の化石が次々と発見されている。今から5000万年前、その辺りの地域はとても広く、そして恵み豊かな浅海があった。当時、インドとアジアは陸続きではなく、その間に今はなきテチス海(古地中海)があったのだ。そこは「鯨の祖先」の生息の場、そして進化の舞台となった。

インド亜大陸とアジアが衝突して、大地がせり上がった。そこには世界最高峰のヒマラヤ山脈が形成され、テチス海は消滅した。そして、海に押し出されるような格好で進出した鯨の祖先たちは、大海原を回遊することになる。

この過程で、鯨は長く細い尾を持ち、4本足の半水棲の祖先から、前足は胸ビレとなり、後足は退化して尾ビレになる。現在の完全な水生動物へと進化してきたのだ。

鯨は睡眠も水中で取るが、研究結果によれば、右脳と左脳を同時に睡眠状態とせず交互に休ませるらしい。このため、睡眠状態であっても溺れることなく泳ぎ続けることができる。なお、右脳と左脳を交互に休ませる睡眠の取り方は、鳥類や多くの哺乳類には一般的なものであることが知られている。

長年、妙だと思っていたのは、「ミンククジラ」という名前だ。その由来は、ノルウェー人のマインケ【Meincke】という捕鯨船員の名からきているという。マインケはシロナガスクジラ(鯨の中では最大)と思い込んで銛(モリ)を放ったが、それはシロナガスクジラではなく、小ぶりなミンククジラだった。それを見ていた船員がからかい半分で、「マインケのクジラ」と呼んだ。この「マインケのクジラ」がミンククジラと訛って呼ばれるようになったらしい。毛皮のミンクとは、まったく関係ないようだ。

鯨のうんちくを調べていくと、いろいろ面白い話にたどり着く。抹香鯨(マッコウクジラ)は、体の三分の一が頭だが、あの中には脳油と呼ばれるワックス状のものが詰まっている。これを暖めたり冷やしたりして比重を変え、潜ったり浮いたりしているのだそうだ。だいたい50歳くらいで、最大全長にまで生育するようだ。雄が圧倒的に大きく、雌は半分くらいの大きさでしかない。

抹香鯨の、「抹香」という名前の由来も、対内から採取される竜涎香(りゅうぜんこう)から来ている。要するに腸内にたまった結石なのだが、非常に良い香りがするので珍重され、抹香鯨の乱獲の一因にもなったようだ。ただ、すべての抹香鯨から取れるわけでもない。通常、排泄されたものが海岸に流れ着く程度の量だったから、大変貴重なものだ。

ちなみに、抹香鯨の英語名はSperm Whaleである。Spermは精子のこと。形が、おたまじゃくしのような精子とよく似ているということから名付けられているのだが、あまりいただけない。抹香鯨のほうがよほどセンスがある。

鯨の中でも、この抹香鯨は興味のつきない材料を最もたくさん持っている。このほかにも、その特殊な深海潜行性で、高度に進化適応を遂げた点が挙げられる。この進化がどのような条件下で引き起こされたものであるかについては、未だ詳らかにされないものの、潜水能力は全鯨種の中で群を抜いている。

ヒゲクジラ類の潜水深度は200~300メートル程度とされる。抹香鯨の場合は、全身の筋肉に大量のミオグロビン(タンパク質)を保有している。これに大量の酸素を蓄えているので、1時間もの間、呼吸することなく潜っていられるのだ。さらに、肺を空にして深海の水圧を受けないことも明らかとなった。通常では、1000メートル近くの深海に潜ってから、息継ぎをするため水面に上がり始めるまでの間( 20分ほど)、深海において大王イカなどの捕食活動を行なっていることが分かっている。 また、3000メートル潜ったという記録もある。

一方、抹香鯨の弱点は深海潜行の後、浮上した瞬間だと言われる。唯一の天敵シャチなどは、集団でこの瞬間を狙う。息継ぎの邪魔をし、抹香鯨を窒息に追い込んで捕食するようだ。体の大きさがシャチと変わらない雌や若い抹香鯨などは、シャチの格好の捕食対象になる。しかも、子供を連れた雌の場合は致命的だ。子供の抹香鯨は、なかなか深海潜行ができないのだ。嫌がる子供に、雌は乳を与えながら深海潜行を教えるそうだ。雄のほうは、一対一の場合は、その攻撃力のある歯や、何より破壊力が絶大な尾びれの一撃でシャチを返り討ちにする。

このほかにも鯨のうんちくは尽きない。北極圏に生育する小型の鯨、「イッカク」の角は、通常オスに伸びる。が、稀にメスに伸びたり、あるいは2本伸びる個体もいる。この角だが、実は「牙」だという。この牙の役割については、反響定位(エコーロケーション)のための器官であるという説が有力だ。反響定位とは、音の反響を受け止め、それによって周辺の状況を知ることである。最近では牙の電子顕微鏡検査によって、内側から外へ向かう神経系の集合体と判明し、高度な感覚器として知られるようになった。

この牙を高く空中に掲げることにより、気圧や温度の変化を敏感に知ることが、イッカクの生存環境を保つ手段となっている。 また、大きな牙を持つ雄は雌を魅了することができるようである。ゾウの牙と同様に、イッカクの牙はいったん折れてしまったら、再び伸びることはない。

まだある。「ザトウクジラ」が奏でる歌(泣き声)は、地球の4分の1の距離まで届くという。ザトウクジラの歌のうち、数十ヘルツから数百ヘルツの周波数音は、遠距離通信が可能な低周波の音だ。海中には「音の道」と呼ばれる階層構造がある。これは、水深1000メートルほどの場所に広がる層状の領域で、ここに音が入ると音はこの中に閉じ込められてしまう。

この層は「音速極小層」とよばれ、水温と水圧の関係で生じる。この層をたどると、赤道付近で南極から発せられたクジラの声を拾うことが出来る。事実、ハワイ沖のクジラと南極のクジラが、お互いの“ソング”でコミュニケーションをとっていたという記録もある。

同じ哺乳類の鯨、さすがに巨大だけあって、うんちくも壮大なものがある。とは言え、豪州人が何と言おうと、これで「鯨を食ってはならない」という理由にはまったくならない。

捕鯨を巡っては賛否両論あるが、鯨が哺乳動物だからとか、可哀そうだからというのは、あまり根拠としては説得力が無い。感情論でしかないからだ。

感情論に、どう理屈で対抗しても、話がかみ合うわけがないのだ。捕鯨を是とする意見も、表面的には調査捕鯨の統計データなど並べるものの、そもそも反対派は、捕鯨不可という結論が先にたっているから、議論にもならない。

わたしはどちらでもいいのだが、ただこうは思う。捕鯨反対派の人たちは、牛や豚や鶏は人間が殺して食しても構わないのだと、大多数が思っている。彼らは果たして一度でも、その屠殺現場を見たことがあるのだろうか。恐らくないだろう。

だからとくに日本人は、生き物を殺して生きていく人間として、食事の前には「いただきます」という、世界のあらゆる言語にはない、特殊な祈りの言葉があるのだ。そんな深いものが、日本人の捕鯨の根底にも流れているなどと、豪州人には到底理解できない違いない。平行線で当たり前である。食べ物を有難いと思う感性そのものが、白人種にはないからだ。

まず、屠殺現場を見ることだ。反捕鯨の意見を言うのは、それからにしたほうがいい。それを見て、それでも牛や豚や鶏は殺して食べてもいいのだ、と言うだろうか。しかも、牛や豚も哺乳動物である。犬や猫は虐待してはいけないが、牛や豚は殺していいというのは、どこに線があるのだろうか。それが線引きできたら、初めて反捕鯨の旗を揚げたらいかがだろう。

いいのだ、議論が一貫していれば。わたしのような「どうでもいいじゃないかそんなこと」と思ういい加減な人間をも納得させることができないようでは、捕鯨反対はただのゲバルトと変わらない。

書いているうちに久しぶりに、からし醤油で鯨を食してみたくなった。

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