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平成時代についてのクイズ(その2)

あなたは、どの程度答えられますか?
あなたの周りの人々の正解率を確かめてみましょう。

・1980年代末の日本企業の時価総額は、アメリカに比べるとどの程度だったでしょうか?また世界全体の株式時価総額にして占める比率はどの程度だったでしょうか?答えは第1章の1

・バブル期に、日本銀行は1万円札までしか刷れないが、私は1億円札が刷れると言った人がいます。これはどういう意味でしょうか?答えは第1章の1

鉱工業生産指数の現在の値は、1990年代の初めに比べると、どの程度の水準でしょうか?答えは第1章の1

百貨店の外商ビジネスは、バブルの崩壊によって大きな痛手を負ったと言われます。では、百貨店売り上げが減少したのはいつ頃のことでしょうか?答えは第1章の2

・1991年から湾岸戦争が始まり、日本は派兵できなかった代償として巨額の支出を負担しました。それに対する日本人の評価はどのようなものだったでしょうか?答えは第1章の2

・1990年におけるアメリカの一人当たりGDPは、日本に比べてどの程度の水準だったでしょうか?答えは第1章の3

・日本人の国際的な購買力は、「実質実効為替レート」で表されますが、これはどのようなものでしょうか?答えは第1章の3

・1990年代に、「銀行が貸し渋りするから不況になる」という考えが多くの支持を得ました。もしそうであれば、金利が上昇するはずです。では、実際の金利はどうだったでしょうか?答えは第1章の4

・1950年代に東欧で反ソ運動が出てきたとき、ソ連は戦車で鎮圧しました。しかし1980年代に同じような動きが出たとき、ソ連の戦車は現れませんでした。なぜでしょうか?答えは第2章の1。

東西ドイツの合併後も、旧東独にはソ連兵が残っていました。なぜ残っていたのでしょうか? 答えは、第2章の1。

・1990年代の中頃、中国北京駅には大勢の人が寝泊まりしていました。彼らは誰で、なぜ駅で寝泊まりしていたのでしょうか?答えは、第2章の1。

・1990年代の初めにPCは50万円程度だったのですが、アメリカのコンパックというメーカーが何と13万円で売り出しました。なぜこんなに安い製品ができたのでしょうか?答えは第2章の4。

・アメリカのラストベルトといわれている地帯は、最近では目覚ましく復活しています。なぜ復活したのでしょうか?答えは第2章の4。

『平成はなぜ失敗したのか』(ナビゲーション)


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