図書館ー2

兼好法師、徒然草(その1)

 つぎに引用するのは、『徒然草』の第52段です(現代語訳は野口)。
 
 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思い立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くことおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山に登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参ること本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり

 (京都仁和寺に住んでいる僧が、年をとるまで有名な石清水を参拝していなかったので、情けなく思っていました。ある時思い立って、一人で徒歩で参詣しました。極楽寺や高良などを参拝し、これだけと考えて、帰りました。
 仲間に会って、「日ごろ思っていることを果たしました。聞いていたにもまして尊く思ったことです。ところで、参拝に来た人が誰も山に登ってゆくのを見て、何があるのかと知りたいとは思ったのですが、参拝することが本旨だと思い、山にまではゆきませんでした」と言いました。少しのことにも、案内役がほしいものです。)
  
 142メートルの男山の上にあるのが、本来参拝すべき石清水八幡宮なのです。極楽寺と高良神社は、その山の麓にあります。つまり、この法師は、せっかく石清水の近くまで来ながら、参拝せずに帰ってしまったわけです。   有名な観光地を知らないとは、なんたる田舎者!
 いや、これは、私自身のことでもあります。

 もう大分昔のことになりますが、イギリスでの学会の帰りに、ロンドン駐在中の友人と語らい、「ウエールズのカエルナルフォンCaernarfon城にドライブしよう」ということになりました。写真をみると、海に臨んで立つ威風堂々たる古城です。

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 道すがら、「これはカエルナルフォンへの正しい道でしょうか?」と何度か聞いたのですが、誰も「知らない」と言います。有名な観光地を知らないとは、なんたる田舎者!


 そのとき、せっかくウエールズに来たのだから、プリンス・オブ・ウエールズゆかりのカーナボン城も訪ねたいと思いました。ところが、地図をいくら探しても見当たりません。不思議なこととは思いつつ、途中の町で一泊の後、カエルナルフォンの町に着きました。
 城は外壁しか残っていない廃墟だったのですが、期待通りの素晴らしさでした。城が見えるレストランで夕食をし、歴史を偲(しの)びつつ、「遥けくも、東洋の片隅からカエルナルフォンまで来たものよ」と旅情に浸ったのです。

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 部屋に戻ってベッドに寝転び、日本から持参したガイドブックを開きました。そこにはさっき見た城の写真が出ています。「日本の観光案内書にも登場するほど有名な城なのか」と改めて感心した私は、「アッ」と叫んでベッドの上に正座してしまいました。
 何と、写真の下には、「カーナボン城」と書いてあるのです!
 Caernarfon=カーナボン。ウエールズ語の綴りや発音は英語と全く違うという事実を、すっかり忘れていたのです。
 翌朝われわれは、一夜にして大変身した城に直立不動で最敬礼し、カエルナルフォンの、ではなかった、カーナボンの、町をあとにしたのです。

 この話は、創作と思われるかもしれませんが、正真正銘の事実そのものです。
 カーナボン(またはカナーボン)城にゆきたいと思ったのも、事実です。ウエールズは大ブリテン島の西側で、海岸に沿って古城が沢山あります。コンウイ城、カーディフ城、ボンゴール城などは地図で分かったのですが、カーナボン城だけは、見つかりませんでした。カーナボンは間違いなくウエールズにあるはずなので、見つからないのは、本当に不思議なことだと思ったのです。
 最初に日本から持ってきた観光案内所を見れば間違わなかったのですが、イギリスの観光案内書を見ていたので、発音が分からなかったのです。カーナボンは、英語ではCarnarvonと書くこともありますが、普通はCaernarfonです。ドイツ語と逆にfをvと発音するので、文字から発音が想像できなかったのです。
 途中で道を聞いた時も、Are we on the right way to 「カエルナルフォン」 ? と発音していたわけです。聞かれたほうも、チンプンカンプンだったでしょう。変な東洋人旅行者だと思われたに違いません。
 現場に着いても分からなかったというのだから、本当にどうしようもありません。それは、城が天井のない廃墟だったからです。私は、カーナボン城というのは、英国皇太子のウエールズにおける居城だと思い込んでいました。(英国女王のスコットランドにおける居城がエジンバラのホリールード宮殿であるように)。だから、廃墟がカーナボンであるはずはないと、頭から決めてかかっていたのです。
 城には、チャールズ皇太子の写真が沢山飾ってありました。その中には、戴冠式の写真もありました。ここで分かってもよさそうなものですが、それでも気がつきませんでした。いったん間違った先入観に囚われると、いくら情報を提供されても、思い込みを変えることができないものです。
 カーナボン城は、エドワード1世(在位1272-1307)がウェールズをイングランドの統治下に置こうとして築いた城です。「プリンス・オブ・ウェールズ」という称号もこのときに作られました。最初のプリンス・オブ・ウェールズは、後のエドワード2世で、彼は実際にカーナボン城で生まれました。ただし、この城での戴冠式は昔からあったものではなく、1911年に始められたものです。1969年に行なわれたチャールズ皇太子の戴冠式は、2度目です。

 ついでですが、世界で最も長い駅名 Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch
もウエールズにあります。この町の旅行案内所にいる女性は、「どう発音するのか」という旅行者の質問に答えて、毎日少なくとも30回はこの名前を唱えるそうです。
 ウエールズには、炭鉱地帯があります。映画「わが谷は緑なりき」の舞台も、ここです。宮崎駿の「天空の城ラピュタ」は、たぶん、ウエールズの炭鉱地帯をイメージしたものです。


 カーナボンと同じような経験は、他にもしたことがあります。1980年にパキスタンに講演旅行をし、首都イスラマバードで日本経済についての講演をしました。講演のあと、イスラマバードから30キロほどのところにあるタキシラという遺跡を見学することになりました。治安が悪いので、銃をもった護衛つきという、たいそう大げさな遠足になりました。
 そこには、仏教の遺跡が沢山あります。「そういえば、ガンダーラ遺跡もパキスタンにあるのではなかったかな」と思い出しつつ、「ここもなかなかのところだ」と思って帰ってきました。

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 数年してから、「パキスタン・ガンダーラ美術展」というのが日本で開かれました(1984年)。会場に行って、「アッ」と叫んでしまいました。なんと、タキシラとは、ガンダーラ遺跡のもっとも重要な中心地なのです。
 「あれがガンダーラ遺跡だと知っていたら、もっと真剣に見たのに」と地団駄を踏んだのですが、時すでに遅し。
 タキシラを再訪できるチャンスは、もうないでしょう。こうしたチャンスを与えられたときには、有名な場所であろうがなかろうが、真剣に接しなければならないのです。「一期一会」とは、よくぞいったものです。

 カーナボンの時には現地にいる間に気がついたのですが、このときは数年後まで気がつかなかったわけです。げに、無知とは恐ろしいものです。
 1950年代、フォーロ・ロマーノ(ローマの中心にある古代ローマの遺跡)に案内された日本の代議士が、「日本の都市もだいぶ空襲を受けたのですが、ローマもひどくやられたものですな」と言ったそうです。私もこれと大同小異です。もっとも、アメリカ大陸を発見したコロンブスは、死ぬまでインドに到達したと思っていたのですから、それよりはましかもしれませんが。







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