図書館ー2

クラシックの押売りに参上しました(その1)

 私は、最近、「超」メモ帳というものを作りました。
 これは、様々なメモをいくらでも書いて、必要になったときに即座に引き出せる仕組みです。 仕事の効率化に大変役立っています。

 ところで、「超」メモ帳は、仕事に役立つだけではなく、趣味にも使えるのです。
 例えば、YouTubeにリンクを貼っておくことができます。通常のブックマークだと、数が増えてくると目的のものを見つけ出すのが難しくなって、機能しなくなってしまいます。しかし、「超」メモ帳のリンクであれば、数がいくら増えても、目的のものを簡単に見いだすことができます。

◇よみがえった60年代ポピュラーミュージック
 このように便利なリンク集を作ってしまったために、YouTubeを見る時間が多くなってしまいました。

 対象は、まず第一にバレエ、第2にクラシック音楽、そして第3に、1950 年代から60年代のポピュラーミュージックです。

 これらのポピュラーミュージックを、その当時どのよう聞いていたのか、思いだせないのですが、多分、ラジオから流れていた音楽を自然に聞いていたのでしょう。
 少なくとも、自分から積極的に聞いていたわけではありません。
 ビートルズにしてもビーチボーイズにしても、世の中は熱狂していましたが、私はほとんど関心がありませんでした。

 しかし、いま聞くと、何ともいえないノスタルジアに包まれます。
 カーペンターズが、Yesterday Once Moreで歌っているとおりです(この歌の主人公のように熱心に聞いていたわけではないにもかかわらず)。

 しかも、YouTubeでは、動画を見ることができます。これらは、当時のテレビの映像です。
 私が50 年代、60年代にこれらの曲を聴いていたときには、テレビの画面は見ていませんでした。いまになって初めて、「歌っていたのは、こういう人たちだったのか」と、感慨深く思うこともあります。

◇失われて、もはや取り戻せない時代
 1950 年代から60年代のポピュラーミュージックをいま聞いて感じるのは、ノスタルジアだけではありません。
 「これらの歌の時代は、もはや失われて、決して戻ってこない」という強い喪失感に襲われます。
 例えば、Peter Paul & Mary Puff The Magic Dragon(マジックドラゴン)。
 「この歌は、昔のものだ」、「古くなってしまって、どうしようもない」と言う気持ちを強く感じます(それにしても、何と切なく、何と素晴らしい歌でしょう!)。

 Peter Paul & Mary は、この歌を60年代以後も歌い続けました。そして、彼らの歌唱力は衰えなかったのです。
 それにも関わらず、60年代の栄光は、そして彼らの時代は、もはや戻らない。
 「懐かしい」という気持ちと、「過去の世界は取り戻せない」という感情が混ざり合って、何とも言えない気持ちになります。

 同じことが、Peggy MarchI Will Follow Himについても言えます。
 彼女は、1963年に15歳の時にデビューして以来、ほぼこの曲だけを歌い続けてきました。そして、彼女の歌唱力も衰えなかったのです。
 衰えなかったために、いくつものアルバムが作られ、そこには彼女の15歳の時からの写真が現れます。
 それを見ていると、「人間が歳をとる」ということがどんなことかを見せつけられて、涙が出ます。

 同じことが、The RonettesBe My Babyについても言えます。
 彼女たちも、ほぼこの1曲だけを歌い続けました。
 その当時には見られなかった動画をいま見て、Estelle Bennett(エステル・ベネット:リードシンガーであるヴェロニカの姉)の魅力を発見しました。
 ヴェロニカが全身全霊で歌っているのに対して、エステルは覚めていて、「妹の売り出しだから、しようがないので、手伝う」といった雰囲気です。しかし、彼女のパフォーマンスがないと、The Ronettesは成立しません。
 そして、彼女の髪形も、服装も、しぐさも、何と古臭いこと!まさに60年代そのものです。60年代だから懐かしく、そして60年代だから、今様ではないのです。

◇ 彼らは60年代から脱却できない。しかし、古典は違う
 要するに、彼らは60年代に括りつけられているのです。そして、そこから脱却することができません。つまり、時代を超越することができないのです。
 彼らの歌唱力はその後も衰えなかったにもかかわらず、時代が変化していくことに対応することはできなかったのです。

 ですから、彼らの歌は、60年代という古きよき時代を背景にしないと成り立ちません
 われわれの世代は、彼らの歌を聴くとき、60年代の世界に立ち戻り、60年代の時の自分になり、その世界に浸っているのです。
 だから、ノスタルジーの温かい空気に包まれると同時に、一方では、その当時を取り戻すことができないという気持ちを感じざるをえないのです。

 上で述べた60年代ポピュラーミュージックに対する思い入れは、われわれの世代に特有の感情です。
 別の世代は、Peter Paul & MaryにもPeggy Marchにも、そしてThe Ronetteにも、たぶん、なんの感興をも抱かないことでしょう。

 しかし、クラシックは違います
 モーツァルトやベートーベンは、古くならないのです。
 これらは、200年も前に作られたものであり、その当時の人々とわれわれとは全く別の世代に属しているもかかわらず。
 どうしてなのでしょうか?
 これについて、回を改めて述べたいと思います。










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