ダニエル・キース,Flowers for Algernon
Daniel Keyes, Flowers for Algernonは、 1970年代、大学院生としてアメリカに留学中に読んだ経済学以外の数少ない本の一つです。思い返してみると、どうやってそんな時間を捻出できたのかと、不思議です。
R.Silverberg ed., The Science Fiction Hall of Fame, Avon Books, 1971. というSFアンソロジーの中に入っています。
これは、アイザック・アシモフの出世作の短編も入っている貴重な本だったのですが、引っ越しを繰り返しているうちに、なくしてしまったのです。 長い間、探していました(いまなら、Amazonで簡単に買えますが、その当時は、アメリカのペーパーバックスを日本で手に入れるのは、大変なことでした)。
だいぶしてから(確か20年近くたってから)ワシントン州ラングレー(Langley)という町の古本屋で、偶然に発見しました。
ここは、アメリカ西海岸、シアトルの北にある保養地です。人口1000人足らずの小さな町で、ピュージェット・サウンドという入り江の北にあるサラトガ海峡に面しています。長い半島の先にあり、本土との間には人気のまったくない不気味な灰色の海が広がっています。町にはホテルの他に店が十軒ほどしかなく、その一つが古本屋でした。
この町にあるホテルで、ワシントン大学が主催する研究会をしていたのです。こういうリゾート地に簡単に行くことができる人々を、心からうらやましく思います。日本ではとても望み得ない場所です。
感激して「奇跡だ!」と叫び、「この店はすばらしい。長年探していた本があった」と言ったら、店の女主人はウインクして、「うちに来る客は誰もそう言うのよ」とすましていました!
外国を旅していてふらりと入った店でふとかわした会話が、いつまでも記憶に残っています。どれも田舎の町や村でのものです。大都市のブランド店や空港の免税店では味わえない買い物の愉しみが、ここにあります。
この類の思い出は、残念ながら国内ではまったくありません。そもそも、私が店の人にあまり話しかけないからですが、もっと大きいのは、店の違いです。日本の新しい古書店で仮に「奇跡」が起こったとしても、若い店員にそう告げる気にはなれません。
Flowers for Algernonは、1959年に短編小説として発表され、翌年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞しました。
知的障害を持つチャーリイが、開発されたばかりの知能増強手術の実験台になり、天才になるという話です。
彼より先に実験対象となったハツカネズミは、驚くべき能力を発揮していました。ところが、あるとき異変が起きるのです。チャーリイは調査を始め、手術は一時的に知能を発達させるだけで、知能はやがて元に戻ってしまうことを見出します。チャーリーは退行を食い止める手段を探しますが、成功せず、知的障害者に戻ってしまいます。
主人公の日誌の文章が、知能の向上に伴って変化していきます。
最初は、“Dr. Strauss says I shud rite down what I think and evrey thing that happins to me from now on." (すとらうすせんせいわ僕わ僕がこれからかんがえることやなんでも僕におこることを書いておきなさいとゆった)という、たどたどしい文章です(野口訳)。
(一つだけ不満を述べさせていただくと、それは、上記の文章が間接話法になっていることです。間接話法はある種の抽象化が必要な作業なので、この時のチャーリなら、直接話法で、“Dr. Strauss says Charlie you shud rite down what you think ・・・" と、ストラウス先生が言った言葉をそのまま繰りかえす(しかも、引用符なしで引用する)ほうが自然だと思います。このようなことを書くと、「差別だ」と批判されそうで怖いのですが、客観的事実の観測として言いますと、公園を散歩していると聞こえてくるおばさん方の会話は、ほとんど例外なく直接話法で行われています)。
ところが、叡知の頂点に登りつめたときの文章は、"I recall your once saying to me that an experimental failure or the disproving of a theory was as important to the advancement of learning as a success would be." (実験上の失敗または理論の反証は、人知の進歩にとって成功と同様に重要であるとの貴方の言葉を、いま私は想起する)という感動的なものになります。
英語の文章の勉強には、とてもよい教材です。これを読んでいると、自分の英語は一体どの段階なのだろうと心配になります。
なお、アルジャノンというのは、実験台となったネズミの名で、“flowers"はその墓への献花です。
邦訳のタイトルは「アルジャーノンに花束を」となっていますが、「花束」は誤訳です。「花束」と訳すと、立派なブーケを想像します。
しかし、ネズミの墓に花束を持っていく人はいないでしょう。flowersは二、三輪の野の花です。「花束」では、この小説の最後の切々たる思いは伝わりません。
Flowers for Algernon はダニエル・キースの処女作の短編です。これが有名になったので、キースはのちに長編を書きました。しかし、ドタバタ劇や恋愛物語が付け加わって、密度が低くなってしまいました。短編がもっていた緊張感が失われて、がっかりしました。恋人だった女性が、有名な女優になった、しかし中身のない女優になってしまった、というような気持ちです。
日本で翻訳されたのは、長編です。
この本が愛読書だと書いたところ、ある雑誌の座談会で、意地の悪い批評家たちに、「いい歳をした男が『アルジャーノン』ですかね」とからかわれたことがあります。反論の機会のない欠席裁判だったのですが、私は「あなた方はどのバージョンを読んだのか?」と問いたい。
私が愛読書といっているのは、短編です。
もう一つ、英語と日本語のどちらで読んだか。これは知能の向上に伴って主人公の書く英語が変化していくという話ですから、邦訳で読んでも感動しないでしょう。
彼らが長編の邦訳を読んで「いい歳をした男が・・・」と言っていたのなら、見当違いも甚だしいと言わざるをえません。
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目次(その1)総論、歴史読み物
目次(その2)小説・随筆・詩集
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