アンドレイ・タルコフスキイ「ストーカー」の謎を解明する

ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキイの名作「ストーカー」(1979年/モスフィルム)。この映画の核心は、「ゾーン」内にあるという「部屋」だが、タルコフスキーは謎かけをしていて、部屋の秘密は容易に分からない。
以下は、私の推理である。

「ゾーン」と呼ばれる地区が、地上に忽然と出現した。宇宙人が来訪したのか、隕石が落下したのか、詳しいことは何も分からないのだが、村が消滅した。ただちに軍隊が派遣されたが、兵士は一人として帰還しなかった。その後、鉄条網が張りめぐらされてゾーンは立ち入り禁止地区となり、警備隊が厳重に守るようになった。

だが、ゾーン内には、そこに行けば心に抱く望みが叶えられる「部屋」がある、と言われるようになった。そこで、ゾーンに侵入しようとする者たちが現われる。彼らを部屋まで案内するのが、ストーカーだ(「ストーカー」とは、「密猟者」の意味)。
「今度捕まったら10年間牢に入れられる」と制止する妻を振り切って、ストーカーは待ちあわせ場所のバーに赴く。

客は2人。「現代社会は法則づくめで退屈だ。ゾーンには、何かインスピレーションを取り戻すものがあるはず」という飲んだくれの作家と、寡黙な物理学者の教授。
もう一人、高価そうな毛皮のショールを羽織った謎めいた女がいる。バミューダ・トライアングルがどうのこうのと、作家とかわす会話が、妙に印象に残る。彼女は作家の愛人のようにも見えるのだが、作家は彼女の名前を忘れている。参加を断られて「バカみたい」と捨て台詞を残し、作家の帽子をスポーツカーのボンネットに載せたまま走り去ってしまう(ソ連にもこういう女性がいたというのは、大変興味深い)。

3人は、ゾーンとの境界を守る警備兵に発見され、銃撃を受ける。かつて工場や倉庫であったと思われる廃墟で繰り広げられる活劇は、なかなか面白い。
工場の片隅にある小さな軌道車を見つけ出し、それに乗ってゾーンに侵入する。軌道車がガタンゴトンと単調な音を響かせて進む場面は、麻薬的な魅力を持っている。音が催眠作用を持っているのだ。通り抜けてゆく廃墟の風景が、異次元世界に向かっていることを暗示している。

音が止まり、ゾーンに到着したことが示される。それまでモノクロだった画面は、ここからカラーになる。目に沁みいるような一面の緑。その奥にある廃嘘が「部屋」があるところらしい。貴族の館跡のようにも見えるし、発電所の跡のようにも見える。
周りには、かつて派遣された軍隊の戦車や砲台の残骸がが雨露にさらされたままだ。車の中には、人間の骸らしきものがある。

「ゾーンは、複雑な罠で、その罠にかかれば命がない」とストーカーは謎めいた言葉を吐く。そして、建物は目の前にあるのに、迂回し、白布を結びつけたナットを投げては道順を決めていく。リボンとナットがなぜ道案内の道具なのか、何の説明もなく、子供だましの悪戯で馬鹿にされているような気持ちになる。
作家は、ストーカーの忠告を聞かずに前進する。しかし、建物のすぐ手前まで来たところでざわざわと不気味な動きを感じ、「止まれ、動くな!」という声を聞く。彼は怯えて立ち戻る。

遠回りのあげくやっと建物に到着し、水が滝のように流れ落ちる「乾燥室」という名のトンネルを、びしょ濡れになって通り抜ける。ここには水力発電所があったのだろうか?
トンネルを抜けたところで、荷物を取りに戻ったはずの教授と再会する。ここでは、空間がねじれてしまっているようだ。

「休もう」と、3人は水辺の地べたに横になって眠る。すると、大地には不可思議な現象が起きる。
風が吹いて砂埃が舞い上がるのだが、地面は水草で覆われた水面のように揺れ動くのだ(このシーンは、どうやって撮影したのだろう?)
「突然そこに大地震が起きて、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は血の色に変わり、星は天から地に落ちた」と、ヨハネ黙示録を読む女性の声が聞こえる。
ストーカーが「音楽は機械的な音の連続に過ぎないのに、なぜ人々の心に響くのか?」と自問する。周囲の風景は、さっきとは様変わりしてしまったように見える。

建物に戻り、これまで何人もの生命を奪ったという「肉挽き機」と呼ばれる長いパイプの中をくぐり抜ける(これはセットでなく、実際にこうした廃墟を見つけて撮影したのだろう。よくもこんな場所があったものだ。なお、「肉挽き機」というのは、スターリン時代に数百万の男女を打ち砕いた強制収容所の別名である)。

そこを出ると、広い部屋。しかし、床には小さな砂丘が連なっている。この部屋の映像は非常に美しい。大きな柱が何本もあり、1本は鉄筋だけになっている。それは、氷の柱のようにも見える。鳥が飛んでくるが、空中で消えてしまう。

井戸がある。作家が石を投げ込むと、10秒たってやっと何かに引っかかった音が聞こえ、それからさらに7秒して水音が聞こえる。ぞっとするほど深い井戸だ。予算を少しも使わずに戦慄的な場面を作り出せるタルコフスキイの面目躍如たるものがある(この点が、国家プロジェクトでエキストラと予算をいくらでも使えたエインゼンシュテインとの違いだ)。

そして、ついに「部屋」の入口にたどりつく。教授は、かって同僚と製作した爆弾をリュックから取り出す。「部屋」が犯罪者に利用されるかもしれないという危倶を彼は抱いており、「部屋」を爆破するためにゾーンに来たのだ。三人の間で争いが起き、結局教授は爆破をあきらめ、爆弾を解体する。そして、三人は坐り込んでしまう。

カメラは、彼らの姿を正面に捉えて引いてゆく。すると、浅い水の下に白いタイルのある部屋が現われる。光が微妙に変化して、部屋の壁や柱が金色になる。実に美しい。ここが、「部屋」なのである!
私はこの映画を何十回も見ているのだが、これが「部屋」の映像であることを、最近まで気付かなかった。

なぜここが「部屋」と分かるか? この少し前に、「電話のある部屋」を正面にしたシーンがあり、そこでは、画面右側が「部屋」だ、と男たちが話しているのである。そして、カメラが引いていく場面では、右側に「電話のある部屋」の前にある鉄格子の床が映っているからだ。
念のために言うと、「電話のある部屋」を正面にした場面の左側は壁であり、そこには縦にスリットの入った白い配電盤のようなものが2つある。この壁は、「部屋」からの映像では、当然、正面に映っている。
このような位置関係が分かると、断然面白くなる。映画にはここが「部屋」だという説明がないので、なおさらそうだ。タルコフスキイは、観客にちょっとしたパズルを仕掛けているのである。
こういう場面は、映画でしか表現できない。音楽でも文学作品でも、舞台でも無理である。

さて、「部屋」の映像に戻ると、突然雷鳴が響いて雨が降り出し、水面に雨が落ちてくる。ここは部屋であって天井があるにもかかわらず!
教授は石を投げるが、水しぶきは上がらない。もう一度やっても、そうだ。ここは、やはり神秘の場所だ。
雨は暫く降ったあと止む。教授はまた石を投げる。今度は水しぶきが上がる。
ラベルの「ボレロ」が列車の音とともに聞こえてくる。なんで「ボレロ」なんだろう?それに、列車だって?ここは、列車も入れない「ゾーン」なのに。

彼らは、バーに戻って来た。そこでは妻が、足がない娘とともに、スト ーカーを待っていた。
ゾーンを出た後、画面はモノクロになっていたのだが、外に出ると、カラーに変わる。歩いているような娘の映像が見える。

この映画では、モノクロは日常、カラーは希望を暗示している。すると、ストーカーがゾーンに行ったために奇跡が起こり、娘は歩けるようになったのか?しかも、ゾーンの象徴である黒い犬がついてきているではないか。
しかし、そうではなく、ストーカーが肩車をしていたのだ。背後は、原子力発電所とその冷却池(やはり!)。奇跡は起こらない。現実は、奇跡なしに進行している。

そして、ストーカーの部屋に戻ると、画面は再びセピア色のモノクロになる。
映画の最初の場面では見えなかったのだが、膨大な蔵書がある。しかも、重厚な本ばかり。乱雑においてあるから、いつも読んでいることが分かる。ストーカーは肉体労働者だと最初から決めてかかっていた観客は、この場面を見て仰天してしまう。ストーカーとは、いったい何者?
彼は疲れ切っていて、案内してきた作家や学者に悪態をつく。そして、ストーカーの妻の諦めの独白が続く。「苦しみがなければ人生は意味がないでしょう」などと言っている。
人々をゾーンへ案内し、人々に望みの実現をもたらすストーカー(つまり、彼は芸術家ということか?)の能力は、いまや尽きつつあるのだ(あるいは、世の中が受け入れなくなったのだ)。人生とは思い通りにならないものだ、と観客も諦めの境地に沈んでいく。

しかし、タルコフスキーは、映画の最後に「救済」を描いた。この場面は再びカラーになる。非常に美しいカラーだ。

綿毛らしきものが漂っており、ストーカーの娘オイスティティが、19世紀ロシアの象徴派詩人フョードル・チュッチェフの情熱的な詩を黙読している(私は、この詩を暗記しようと悪戦苦闘したのだが、短い詩なのに難しい言葉の連続で、覚えられなかった)。

少女が本を置いて机の上のグラスを見つめると、グラスが動き始める。念力移動が始まったのだ!
グラスが机から落ちると、列車の音にかぶさって、ベートーベンの第9交響曲第4楽章が聞こえてくる。女声合唱でTochter aus Elysium(天上楽園のよ)と歌われるところ。Deine Zauber binden wieder,Was die Mode streng geteilt(汝の魔法は、時流が強く切り離したものを、再び結び合わせる)というところまで、はっきり聞こえる(「娘」と「魔法」に注意)。
ストーカーは衰えるが、彼の娘が役割を引き継いだ」というタルコフスキイの明白なメッセージだ。



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映画ほど素敵な世界はない

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野口悠紀雄

映画ほど素敵な世界はない

映画がなかったら、生活はどんなに味気ないものになるだろう。家にいたまま夢の世界を見せてくれる情報技術に乾杯!
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