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ドストエフスキイ、『カラマーゾフの兄弟』

カラマーゾフの兄弟』は、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキイ(1821~1881)の最後の長編小説。1880年に刊行されました。
 
人物とストーリ
 最初に、主要な登場人物を紹介しておきましょう。
 フョードル・カラマーゾフは、地主で、物欲と淫蕩の権化。
 ドミートリイ(ミーチャ)はフョードルの長男。28歳の退役軍人。直情型で野生的な魅力があります。婚約者がカチェリーナ
 次男のイヴァンは、無神論者で知識人。カチェリーナを愛しています。そして、父を深く嫌悪しています。
 三男のアレクセイ(アリョーシャ)は、純情で真面目な修道僧。ゾシマは、アレクセイがいる修道院の長老。
 スメルジャコフは、カラマーゾフ家の使用人。フョードルが白痴の乞食女に生ませた子だと噂されています。てんかん持ち。

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 小説の本篇は、「フョードルが殺された、犯人は誰か」という推理小説になっています。
 嫌疑は、フョードルとグルーシェンカを張り合っていたドミトリーにかかり、彼は捕らえられます。
 しかし、実は、スメルジャコフの犯行でした。これには、イワンの思想的感化と間接の教唆が大きな影響を与えていたのです。
 裁判でドミトリーは有罪とされ、シベリア流刑懲役20年を言い渡たされます。イワンは発狂の兆しを見せ,スメルジャコフはイワンに失望して自殺します。

 イヴァンは、『罪と罰』のラスコーリニコフや『悪霊』のスタヴローギンの系統の人物です。
 スメルジャコフは、『罪と罰』のスヴィドリガイロフを想起させます。
 アリョーシャはそれまでのドストエフスキイには登場してこなかった人物です。あえて言えば、『罪と罰』のソーニャでしょうか。
 ドストエフスキイの小説におけるラスコーリニコフやスタヴローギン、、あるいはスメルジャコフやスヴィドリガイロフのような人物は、極めて強烈な印象を与えるので、記憶に残ります。それに対してソーニャやアリョーシャのような人物は、弱い印象しか与えません。しかし、本当の主人公はソーニャでありアリョーシャなのだと考えることができるでしょう。

 小林秀雄は、『ドストエフスキイ』(講談社、1966年)の中で、「イヴァンは二十四歳の青年である、と言ったら不注意な読者は驚くであろう」と書いています。私も「不注意な読者」だったので、これを読んで、驚きました。
「カラマーゾフの兄弟」のイワンは、実は20代の初めです。物語の最初に、「数えで24歳」と明記してあります。満でいえば、23歳ではありませんか!

 私が『カラマーゾフの兄弟』を読んだときは、イワンより年下だったので、この部分をさして気にもせず読み飛ばしたのです。「大審問官」のような深遠な話をしているので、大分歳上の人だという漠然たる思いしかもっていませんでした。
 文学作品の主人公は、多くの場合、意外に若いのです。読んだときに自分より年上だと、非常に年上であるような錯覚に陥ります。そして、自分自身が歳をとっても、この差が変わらないで残ってしまうのです。
 そういえば、『アンナ・カレーニナ』のアンナは、何歳なのでしょう?人妻であることから、30代であるように思っていたのですが、もっと若いのかもしれません。
 主人公が自分より年下だと思うと、どうしてもしらけた気持ちになってしまいます。歳をとってからは、文学作品の初読は難しくなります。再読、三読は、いつになってもできるのですが、初読は、是非、登場人物より若い時代に行う必要があります。

大審問官
 小説は、表面的には、殺人事件の犯人をめぐる推理小説となっているのですが、実は、この小説はもう一つの側面を持っています。
 それは、アリョーシャの魂を奪い合う、イワンとゾシマ長老の思想上の争いです。これは、本筋の物語を離れた2つの挿話によって語られています。これらは、一見するとサイドストーリーなのですが、実は、こちらのほうが『カラマーゾフの兄弟』の中核になっています。

 最も有名なのが、イヴァンがアリョーシャに語る劇詩「大審問官」です。
 ここで、「神は存在するか?」「もし神が存在するなら、どうして世界に悪が存在するのか?」という問題が、イヴァンによって語られます。

 イヴァンは、まず、 世の中でいくらもある幼児虐待の例をあげ、もし未来の永遠の調和のためにこの幼児たちの苦しみが必要だというのなら、そんなに高価な犠牲を払って入場しなければならない未来社会の入場券など急いで返したいと言います。

 そして、大審問官の物語が語られます。
 時は16世紀のセヴィリヤ。カトリック教会の大審問官が、多くの異端者を処罰していました。
 そこにキリストが降臨します。キリストは死んだ少女を生き返らせるなどの奇跡を行ないます。そこに通りかかった背の高い90歳に達しようという老人が、「この者を捕らえよ」と命じました。彼は、セヴィリヤの大審問官です。衛兵たちはキリストを捕え、牢獄につなぎます。

 夜になって、大審問官はキリストと対決します。大審問官が持ち出したのは、かつて悪魔とキリストの間で交わされたとされる3つの問い(マタイ傳福音書、第4章、1-1)です。洗礼を受けたイエスは、精霊に導かれて荒野におもむき、2日間、悪魔に試みられたのです。

 悪魔の第1の試み荒野の石をパンに変えよ」に対するイエスの答えは、「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」でした。
 第2の試みは、「高い宮殿から飛び降りて見よ。もし神の子であるなら、途中で天使が受けとめてくれるだろう」。これに対してイエスは、「主なる汝の神を試むべからず」と答えました。
 第3の試みとして悪魔は、山の上から諸国を示し、「我にひざまずけば、これらは汝のものとなる」と言いました。これに対してイエスは、「主なる汝の神を拝し、ただ之にのみ事へ奉るべし」と答えたのです。

 大審問官はこれらのキリストの回答を批難します。
 大審問官は、「人はパンのみにて生くるにあらず」というイエスの教えを人間に要求するのは酷だと言いいます。
 「かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい人間種族の目から見て、天上のパンを地上のパンと比較できるだろうか?」「ほかならぬこの地上のパンのために、地上の霊がお前に反乱を起こし、お前とたたかって、勝利を納めるのだ」
 そして、奇跡を基礎として地上の王国を建設すると宣言するのです。

1989年天安門事件
 大審問官は、現実の歴史の予言でした。
 ロシアにはスターリンが現れ、共産主義の天国を建設すると約束しました。
 しかし、この試みは失敗しました。人民にパンを与えることができなかったからです。

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