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映画は終わりが肝心(その4) ポランスキイの「マクベス」

 シェイクスピアの悲劇で最高傑作は、『マクベス』だと私は思っている(ついでに言うと、喜劇では『12夜』)。

 スコットランド王ダンカンの忠臣マクベスは、ダンカン王を殺害して、スコットランド王になった。しかし、殺害をそそのかした彼の妻は、精神錯乱に陥る。
 そして、ダンカンの長子マルコムが、イングランドの助力をえて、マクベスを破る。
 
 映画化されたマクベスは、沢山ある。それらのうちで最高傑作は、何といっても、天才ロマン・ポランスキイ監督の「マクベス」(1971年)だ。オーソン・ウェルズのマクベスなど、足元にも及ばない。
 これは、数多いシェイクスピア劇の映画の中でも、たぶん最高峰だろう(ただし、批判も多かったし、興行的にも大失敗だった)。

 私は、この映画の公開直後に、エール大学で見た。町の映画館で見たのでなく、大学の建物の中での上映だった。
 せりふがまるきり分からない。人名を除けば、分かったのはdaggerだけ。ショックを受けた(いま台本を見ても、完全には分からない。個々の単語が分かっても、文章全体としてどういう意味なのか、分からないところが多い)。

 日本では長らくDVDが発売されていなかったが、いまではBLDで見られる。

 画面が素晴らしく美しい

 これは、マクベスの居城インヴァネス城
 現在スコットランドの東部にある実際のインヴァネス城とは大分違うが、いかにもダンカン王殺害の場所らしい。城の内部のセットもよくできている。

 レディ・マクベス(マクベス夫人)は、フランチェスカ・アニス実に魅力的

 彼女はあまり有名ではないが、デイヴィッド・リンチ監督の「砂の惑星」(1984年)で主役を務めた。また、「クレオパトラ」(1963年)では、クレオパトラの侍女という端役で出演している(当時19歳)。

 魔女たちは、マクベスにいくつかの予言をしたが、その一つが、「バーナムの森がダンシネインの丘に向かってくるまでは、マクベスは滅ぼされない」"Macbeth shall never vanquished be until / Great Birnam Wood to high Dunsinane Hill / Shall come against him" (107-09)。それを信じて、マクベスはマルコムの大軍に対抗したのだ。

 しかし、バーナムの森は動き始めた

 これに似た場面が、トールキンの『指輪物語』にある
 第2部「2つの塔」で、エントの森がサルマンの城を襲うという場面だ。ここでも、トールキンはマクベスからアイディアを借りたのかもしれない。

 しかし、バーナムの森はダンシネインのマクベスを襲うわけではない。マクベスは、魔女の予言に陥れられたことを悟ったのだ。

 魔女は、「マクベスは安泰」と予言したわけではない。「ダンシネインの森が動いたら、マクベスの安全は保障されない」と予言したとも考えられるのだ。
 それに気づいたマクベスの絶望は、いかばかりであったろう。

 予言の落し穴は、マクダフとの決闘でも続くマクダフは、woman born(女から生まれた者)ではなかった

  ポランスキイは、マクベスの首が切り落とされて転がるところまで、きちんと映像にしている。

 シェイクスピアの原作は、マルコムが、Hail, King of Scotland!の歓声のなかでスコットランド王に即位するところで終わる。

 ところが、ポランスキイは、その後に、原作にはないショッキングな場面を入れた
 いかにも不満分子という雰囲気のマルコムの弟ドナルベインが、雨の中を一人で魔女の厨を訪れるのだ。
 ポランスキイは、物語を「めでたし、めでたし」では終わらせなかった

 この場面は、新たな悲劇の始まりを予言している。
 これは、シェイクスピアの原作よりすごい終わり方だ。原作と同じように終わるだろうと思っていた人は、この場面を見て、氷ついてしまうだろう。

 そして、魔女たちの予言にある矛盾語法:Fair is foul, and foul is fair: When the battle's lost and won. が新たな意味を持ったことに気付いて、震えが止まらなくなってしまうだろう。

物語りの最後が、決して忘れられない場面になっている。ひょっとすると、ポランスキイは、この点でトールキンから影響を受けたのだろうか?

    なお、シェークスピアの『マクベス』は、全文がMITのサイトにある。


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