図書館ー2

クラシックの押し売りに参上しました(その2):古典を読むほうが「効率がよい」

◇古典は淘汰過程をくぐり抜けてきた
 「モーツァルトやベートーベンの音楽は古くならない」と述べました。それは、これらが時代に縛り付けられていないからです
 60年代のポピュラーミュージックは60年代に縛り付けられていて、そこから抜け出すことができません。だから、「古くなった」と感じるのです。しかし、モーツァルトやベートーベンの音楽は時代を超越しています。

 同じことが、文学作品についても言えます。
 トルストイやドストエフスキイを読んでいて、それらが古くなってしまったという感じを持つことはありません。
 もちろん、そこに描かれている社会は、現代の社会とは違うものです。社会の豊かさも、人々の仕事の中身も、生活様式も、価値観も違います。それにもかかわらず、「これは昔の話で、いまとは関係がない」とは思わないのです。
 古典とはそのようなものです。

 60年代ポピュラーミュージックは素晴らしい。それらは、いま聞いても素晴らしい。しかし、それらは古くなっています。そこが古典と違うところです。
 60年代ポピュラーミュージックを聴くことによって、私は「古典とは何か」を把握できましたと感じました。
 古典とは、時代を超越した作品であり、決して古くなることがないものなのです。
 それは未来の社会においても生き続けるでしょう。

◇ 古典を読むほうが「効率がよい」
 もちろん、「昔作られたから、質が高い」というわけではありません。
 「昔作られたもの」の数は膨大です。そして、その中の大部分のものは、忘れられてしまっています。その存在さえ、知ることができません。
 つまり、「昔作られたもの」の中で、現在、われわれが見たり聞いたりすることができるのは、長い淘汰の過程をくぐり抜けてきたものなのです。
 「淘汰されなかったものは、淘汰されたものに比べて価値が高い」と言えるでしょう。ですから、古典は、平均すれば、「淘汰されたものに比べて価値が高い」ということができます。
 そうであれば、「現在生産されているものと比べても、多分、価値が高いだろう」と推測することできます。

 したがって、われわれが限られた時間内に鑑賞するのであれば、「現在生産されているものよりは、古典を観賞するほうが、平均して効率がよくなる」と言えるでしょう。
 これは、全く単純な算術計算であり、実に単純な功利主義です。
 ただし、この結論は、多分間違っていないと思います。

 「組織がどのように動いているのか」のメカニズムを知りたいのであれば、経営学の本を読むよりは、トルストイの『戦争と平和』を読むほうが、ずっと効率的でしょう。
 人を説得する術策を知りたいのであれば、シェイクスピアの『マクベス』で、魔女たちがどのように巧みにマクベスを操っているかを見れば、説得術という売れ込みで書かれている本を100冊読むよりもはるかに効率的でしょう。新訳聖書も、説得術に関しては、最高の教科書です。
 あるいは、謎解きであれば、そのトリックや方法論において、コナンドイルの『シャーロック・ホームズ・シリーズ』を超えるものはないでしょう。

 もちろん、昔書かれた本には、PCやインターネットをどう使ったらよいかという類いのことは書いてありません。ですから、そうしたことについては、いまの時代に発行されている書籍を読むしか方法はありません。

 しかし、人間が作った組織や、人間の心理は、この当時と基本的に変わっていないのです。ですから、トルストイやシェイクスピアのような洞察力を持った人が書いたものを読む方が効率がよいことは、もともと明らかなのです。

◇ 自然淘汰の過程と同じ
 以上で述べたことは、自然淘汰、ないしは「適者生存の法則」の観点から解釈することもできます。
 自然は、進歩のためにさまざまな突然変異を試みます。その中で、環境に適さなかったものは淘汰され、環境に適合したものが次の世代を作っていきます。
 生き残ったものは、淘汰されたものに比べて、価値が高いということになります。
 それと同じことが、音楽や文学作品についてもいえるのです。
 200年間生存し続けた作品は、まさに生存し続けたという事実によって、現在生産されているものに比べて、平均すれば優れたものであるという評価ができるはずです。

 では、「現代においても古典は生産されているのか?」が問題となります。これについて、つぎに考えたいと思います。



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