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『マネーの魔術史』はじめに

『マネーの魔術史』(新潮選書)が刊行されました(2019年5月20日)。
「はじめに」を全文公開します。

はじめに

マネーはなぜそんなに強いのか? ビートルズは「キャント・バイ・ミー・ラブ」の中で、「マネーで愛は買えない」と歌っている。そのとおりだ。
 しかし、見方を変えれば、「愛以外なら、ほとんどのものをマネーで買える」とも言える。
 普通の人の場合、マネーがないために辛い思いをすることのほうが、ずっと多い。外出時に財布を忘れただけで困る。それだけでなく、人の一生がマネーによって振り回されることを、(その是非とは別に)認めざるをえない。「マネーで愛は買えない」とは、ビートルズのように巨万のマネーを得た人の嘆きではないだろうか?

 しかし、マネーにはなぜそんな力があるのか? 財布の中にある日本銀行券はマネーの一種だが、これは紙切れに過ぎない。発行元の日銀に持って行ったところで、貴金属に交換してくれるわけではない。印刷は確かに精巧で、透かしも入っているが、素材価値はほとんどゼロだ。それなのに、なぜ愛以外のものなら何でも買うことができ、人間の一生を振り回すほどの力を持つのか?

 いや、マネーは個人を振り回すだけではない。経済を振り回している。
 株価が低迷してくると、日銀の追加緩和が必要だという声が出る。しかし、追加緩和で何をするかと言えば、銀行が持っている国債を日銀がもっと買い上げる、あるいは銀行が日銀に持つ当座預金へのマイナスの付利を拡大するだけのことだ。これでなぜ株価が上がるのか? 報道を聞いていると、日本経済のすべてが日銀の追加緩和にかかっているような気にさえなってくるのだが、緩和はなぜそれほど強い力を持っているのか? いや、そもそも本当に力を持っているのだろうか?
 金融が経済を悪くするのに大きな影響力を持っていることは、間違いない。実際、ここ数年の経済危機とは、金融危機である。
 2008年にリーマンショックがあった。2015年夏には、世界の株価が下落して大きな混乱があった。経済活動に伴ってマネーが動くのでなく、マネーの流れの変化が経済を振り回している。尻尾が犬を振り回しているようなものだ。
 もともと経済の問題は分かりにくいが、マネーが関係すると、さらに分かりにくくなる。テクニカルな専門用語ばかり出てくる。自動車を作ったり家を建てたりするのは目に見えるので、理解できる。しかし、金融は抽象的で目に見えないから、とらえどころがない。
 例えば、異次元金融緩和で「おカネがじゃぶじゃぶに供給された」というのだが、おカネはどこにあるのか? 日銀が発表しているデータでマネーがどのくらい増えたかを見ると、異次元緩和で格別増えたわけではない。増加率はこれまでとあまり変わらず、「じゃぶじゃぶ」には程遠い。テレビや新聞で流されているニュースや解説の大部分は、これらを理解しないままの表面的なものなのだ。

マネーはマジックか? 高度なテクニックか?
 金融やマネーを理解するには、歴史を振り返るとよい。歴史上の具体的な事例は、抽象的なマネーの問題を理解するために、大変有用だ。しかも、個々のストーリーは面白い。マネーを適切に運営して経済が発展した例もあるが、失敗して国が衰退した例も多い。
 国は、マネーの発行を独占してきた。そして、そこから巨額の利益を得てきた。これで国の出費を賄うことは、マネーの歴史と同じくらい古くから行なわれてきた。
 マネーが硬貨(金貨や銀貨)だった時代、その方法は、硬貨の品質を落とすことだった。歴史に記されている最初の改鋳(改悪)は、ギリシャ時代に見られる。ローマ帝国でも、ある時期から、改鋳が頻繁に行なわれた。その後のヨーロッパでもそうだ。イングランド国王ヘンリー8世による改鋳は有名だ。江戸時代の日本でも行なわれた。
 そして、紙幣の時代が始まる。中国では10世紀の北宋の時代から紙幣があったが、遅れたヨーロッパでも次第に紙幣が使われるようになった。
 最初は金の預かり証だったし、兌換銀行券だったが、ジョン・ローのシステムやフランス革命後のアッシニア紙幣を経て、不換紙幣が発行されるようになり、次第に金との関係が薄れてくる。また、ナポレオン戦争でポンドの兌換が停止された。その後、アメリカ大陸でも、紙幣が発行されるようになる。
 硬貨の改鋳も不換紙幣の発行も、国の濫費を賄ったり、軍事費を調達するために行なわれた場合が多い。紙幣を増発すれば、経済が活性化し、国の財政が救われるとされた。確かに、一時的にはそうなった。しかし、結局のところは、乱発されて経済を混乱させた場合が多い。それが革命の原因になったことも少なくない。
 こうしたことから、マネーを巡ってさまざまな論争が行なわれた。
 そもそも、マネーは、なぜ価値を持つのか? 政府が発行する紙幣と銀行券は違うのか? どのように管理したらよいのか? 等々。為政者がマネーを操作し、人々がだまされるだけのことなのか? それなら、レーニンが言うように貨幣のない社会を作るべきだが、それはいつの日か実現できるのか?
 こうした問題は、硬貨の時代にもあったが、紙幣の時代には格段に複雑なものとなった。硬貨を改鋳するメカニズムは分かりやすいが、紙幣増発はそうでない。金本位制は理解できても、管理通貨制は分かりにくい。紙切れに過ぎない不換紙幣が、なぜマネーとして通用するのか?

 マネーを巡る問題は、現代に至るまで最重要の経済問題の1つだ。例えば、金融緩和をどう評価したらよいか? 日本では、2013年から異次元金融緩和措置が行なわれている。報道では、これは「輪転機を回してお札を刷る」ことと説明している。確かに、18世紀頃の紙幣増発はそうだったが、現代の金融緩和は、そうではない。では、実際には何が行なわれているのか? ごく一部の専門家しか、本当のメカニズムを理解できない。「追加緩和を」と叫んでいる人は、何を求めているのか分からずに、そう叫んでいるのだ。マネーを巡る政策は、イカサマなのか、マジックなのか、それとも、極めて高度の専門理論に基づいたテクニックなのか?
 問題は、ここで止まらない。ビットコインなどの仮想通貨が登場してきたからだ。これらには、価値の裏づけがないだけでなく、管理主体さえない。これまでのマネーが国によって管理されていたのに比べて、まったく異質だ。ニュートンが獲得できなかった錬金術が、ついに実現したのだろうか?
 こうした問題を無視したり、軽視したりすることはできない。なぜなら、誰もマネーから逃れることはできないからだ。そして、マネーは、経済変動の基本的な要因になっており、その重要性がますます高まっているからだ。
 本書では、マネーが関わる歴史上の具体的な事件を、ごく最近のものまで取りあげる。それを道具として、いま世界で起こっている現象を解き明かすことにしたい。

 本書の各章の概要は、つぎのとおりである。
 第1章では、人類の歴史とともに古くからあったマネーの魔術について述べる。
 第1の魔術は、金属貨幣の時代に、権力者が貨幣品位を切り下げたことだ。これによって権力者は利益を得ることができる。
 第2の魔術は、信用をマネーにすることだ。これは、中世のイタリアで始まった高度なテクニックだ。これによって、マネーは貴金属から解放されることとなった。メディチ家は、この魔術を駆使することによって巨万の富を築き上げた。
 銀行が部分準備制で運営されると、「信用創造」という実に不可思議な魔術が可能になる。

 貨幣を増発して経済を浮揚させるべきか? それとも貨幣供給量をコントロールして物価を安定させるべきか?
 これは金融政策をめぐる基本的な論争だが、この問題は、古くから議論されてきた。第2章では、まず、イングランドとスペインが対照的な政策をとったことを見る。エリザベス女王は、それまでの貨幣品位切り下げを停止して貨幣価値の維持に努め、イングランド繁栄の基礎を築いた。これに対してスペインは、南米植民地で発行された銀をもとに貨幣の増発と軍備拡張を行ない、結局、没落した。
 同じような論争が、江戸時代の日本でも行なわれた。新井白石と荻原重秀の対立や、田沼意次の貨幣増発をめぐる論争がそれだ。

 第3章では、18世紀のフランスとイギリスで行なわれた摩訶不思議なマネーのマジックについて述べる。
 物理学者ニュートンは、造幣局長官でもあり、錬金術の魔力に取りつかれていた。ちょうどその頃、イングランドでは「南海会社」という国策会社の株式がバブルを起こしたのだが、ニュートンはこれに投資して巨額の損失を被った。
 南海会社のモデルになったのは、ルイ15世のフランスで行なわれた「ローのシステム」だ。これは、ジョン・ローが考案した紙幣発行の複雑な仕組みで、それによってフランス王室の財政問題は解決されたかに見えた。しかし、これは、いかさまに過ぎなかった。

 第4章では、マネーをめぐる英仏の覇権争いについて述べる。イングランドは戦費調達の仕組みとして中央銀行であるイングランド銀行を設立し、優位にたった。フランスは、財政改革に失敗し、これがフランス革命を引き起こした。ナポレオン戦争においても、戦費調達が勝敗の帰趨を決した。ロスチャイルド銀行の創始者ネイサン・ロスチャイルドが、この過程で大活躍した。

 第5章では、アメリカにおいてマネーがどのように扱われたかを見る。独立戦争においても、南北戦争においても、政府が発行する紙幣が重要な役割を果たした。
 ヨーロッパでは中央銀行が確立されたが、分権思想が強いアメリカでは、中央銀行に対する反対が強く、その設立にはさまざまな障害があった。紆余曲折の末に設立された「連邦準備制度」は、ヨーロッパの中央銀行とはだいぶ性格が異なるものだった。

 ナポレオン戦争後、イギリスがリードして、世界的な金本位制度が確立された。第6章では、金本位制度のメカニズムを解説する。この制度の下で世界経済は繁栄した。しかし、第1次世界大戦の勃発によって、金本位制度は停止を余儀なくされた。

 第7章のテーマは、社会主義経済とマネーだ。レーニンは貨幣の廃絶を唱えたのだが、ソ連革命政府は、マネーを発行し続けた。それのみならず、その増発に頼った。それが高じて物々交換になり、さらには暴力的奪い合いになった。自由主義経済的要素の導入によって、ソ連は一時的な繁栄を享受できたのだが、スターリンが権力を握り、経済原則を無視した計画経済の強行と恐怖政治の時代となった。

 戦争とマネーは、いつの時代においても、密接に結びついている。第8章の1では、数度の戦争における明治政府の奮闘ぶりを見る。日露戦争では、外債によって戦費を調達できるか否かが、勝敗に重大な影響を与えた。
 第8章2のテーマは、第1次大戦後のドイツで生じた異常なインフレだ。
 第2次大戦では、戦費調達の重要性はさらに高まった。このときの日本は外債に頼ることができなかったので、現地での軍票発行を行なった。そのメカニズムはかなり複雑なものだった。これについて、第8章の3で述べる。
 終章では、現代と未来の世界におけるマネーについて述べる。現代の日本でも、金融緩和政策が行なわれている。しかし、これによって日本経済が抱える問題を解決することはできない。情報処理技術の進歩は、仮想通貨という新しいマネーを作り出した。これは、国家の基本的な仕組みを揺るがすものなのだろうか?

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