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マイケル・クライトンの驚嘆すべきタイムマネジメント


 マイケル・クライトン(Michael Crichton、1942年 - 2008年)はアメリカの作家。彼の著作は、全世界で1億5000万部以上出版されている。

 『エアフレーム』の日本語翻訳書出版のPRで彼が日本を訪れたとき、ある雑誌が私との座談会を企画してくれた。これは、1997年のこと。もう20年以上前になってしまった。

 会う前に、どんな人柄なのだろうと心配した。アメリカの経済学者の多くがそうであるように、尊大で傲慢な人だったらどうしよう。これまで持っていたイメージが壊れてしまったら、とても残念だ。

 会ってみて分かったのは、彼は知的であるだけでなく、最も礼儀正しいアメリカ人の一人であることだ。
 この座談会は、あらゆる座談会の中で、もっとも素晴らしいものの一つになった。

 この時に『アンドロメダ病原体』の翻訳書に貰ったサインは、私の宝物である。


 この座談会では、それまで疑問に思っていたことをいくつか尋ねてみた。
 第1は、「雑誌の連載を書いているか?」 
 こう尋ねたのは、彼のタイムマネジメントに興味があったからだ。

 これに対する答えは、「私の仕事は本を書くことだ。そのために連載は邪魔になる。本の執筆に集中するために、連載はしていない」というものだった。

 私はこの答えにショックを受けた。私は雑誌の連載をいくつか持っていたからである。私にとって連載は意見発信のための貴重な場であり、それ自体が目的といえるものだから、いまでも書いている。ただし、彼の答えがいつまでも耳に残っているのは事実だ。

 雑誌連載はしていないといったマイクル・クライトンは、また、「毎年、一人で外国旅行する機会を必ず作る」とも言った。
 「家族を連れずに一人で」というのは,アメリカ人としては、かなり異常な行動である。これも非常に印象的な言葉だった。
 一人でする外国旅行には大きな意味がある。それは、自分自身を見つめ、普段は考えることのできない基本問題について考えることができるからだ。「忙しい、忙しい。時間がない」と嘆いている人(私自身も含む)は、この言葉を重く受け止めるべきだ。

 10分刻みで面会がある経営者の方は、ぜひクライトンにならって海外旅行すべきだ。そして、「わが社の基本問題」を考えるべきである(言うまでもないことだが、鞄持ちを連れてでは、ダメである。そして現地駐在員事務所のスタッフの出迎えも断固拒否しなければならない)。
 また政府の委員会に毎週出ている人も、それでは本当の研究を進めることはできないと、悟るべきである。

 以下は、タイムマネジメントには関係がないことだが、この機会に紹介させていただきたい。

 彼は映画『ジュラシック・パーク』の原作(1990年)の作者として知られているが、私は『アンドロメダ病原体』が最高傑作だと思っている。

 スタンフォード大学の生物学教授ジェレミー・ストーンの自宅で、パーティーが行なわれている。そこに軍用セダンが横付けになり、降りてきた軍服姿の男が、「火災が発生しました」と告げる。
 『アンドロメダ病原体』のクライシスは、このようにして幕を開ける。いつかSFを書くときがあれば、是非とも真似してみたい情景だ。
 この作品は、マイケル・クライトンの処女作ではないが、彼の名を全世界に知らしめた出世作だ。宇宙から舞い降りて赤ん坊と老人以外のすべての住民を死亡させた原因は、一体何なのか?最初から大きな謎が与えられ、その謎をめぐって物語が進行する。

 ところで、アンドロメダには実に適切な引用が随所にある。例えば:

 イギリスの大政治家グラッドストーンは、『チャイニーズ』ゴードン将軍エジプトで死去の報を聞かされたとき、選りにもよってこんな時に死ななくても、といまいましげに舌打ちしたと伝えられている。ゴードン将軍の死は、グラッドストーン内閣を混乱と危機に陥れた。ある側近が、それを未曽有の、予測を超えた状況と述べたところ、グラッドストーンは不機嫌にこう答えた―「危機はどれだっておなじだ

 これほどぴったりした言葉をどうやって見つけたのか?
 これに対する彼の事もなげな答えは、仰天だった。これらの引用は、創作なのだそうである
 考えてみれば、全体がフィクションなのだから、引用がフィクションであっても、何の問題もない。
 事実、フィクションを読む楽しさとは、「だまされる楽しさ」なのである。「だまされた!」と後になって気付くときが、最高の瞬間だ。したがって、アンドロメダは、楽しさを2度与えてくれたことになる。

 『アンドロメダ病原体』は謎解きの興味で読者を最後まで離さない作品だが、この本のもう一つの魅力は、参考文献だ。ここに偽物が紛れ込んでいることは、ストーン教授の論文が入っていることからすぐに分かるのだが、では、その他の論文は?
 引用に関する彼の言葉からすると、かなりの偽物が紛れ込んでいるに違いない。


 いかにも本物らしい偽物の参考文献リストを見る楽しさは、アメリカの大学院で参考文献の拷問に苦しめられた者でないと、分からないだろう
 講義で配られるシラバスには、大量のリーディングリストがついている。講義までに必ず目を通しておくべき基本文献だ。しかし、それらは異常に大量であり、異常に難しい
 とくに若い助教授が作ったリーディングリストだと、「俺はこれだけ勉強したのだぞ」とひらけかすマゾヒズム的なものが多く、学生にとっては悪夢以外の何者でもない。
 これでパロディをやってみたいとは、誰もが考えることだ。クライトンはハーバード大学医学部の出身だから、リーディングリストに悩まされたことは間違いない(1969年に医学博士号を取得した)。
 アンドロメダの参考文献リストをどんなに楽しんで作ったか、容易に想像できる。これも、いつか真似してみたいアイディアだ。

 一番長生きしてほしい人が一番早く亡くなってしまう。それが世の常であるとはいえ、とても悲しいことだ。


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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/MichaelCrichton.jpg/1200px-MichaelCrichton.jpg


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