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視野

僕が中学生の時、とても臭い先生がいた。
コーヒーの匂いとタバコの匂いが入り混じった何とも言えない異臭感。。。

今だったら「スメハラ」で問題になるんじゃないか…?
というレベルだった気がする。

ある日、僕が
「◯◯のやつ、臭すぎるよな〜。吐きそうだよほんと!!」
と廊下で悪口を言っていたら、なんと後ろにその先生が立っていた!

「うーわ、終わった…」

もう完全に怒られるのを咄嗟に覚悟した。
すると先生は、一言だけ自分に言った。

「おい酒井よぉ〜、視野がせめえぇ!」

えっ。。。
は?それだけ?

ってきり、「誰のこと言ってんだ?」と言い、
げんこつや張り手の1つかましてくれるものだと思っていた。


それから10年。

今日電車に乗っていたら、お婆さんがドア付近に立っていた。
駅に着き、降りようとした時にハンカチを落とした。
お婆さんの後から他の人も続々と降りて行くが、誰もお婆さんが落としたハンカチに気付かない。

目線がもう、ホームから改札へ上がる階段を、皆が皆見ていたから。

僕は向かい側の席に座っていたので、気がついた。
誰も拾わないので、僕が拾い、お婆さんにハンカチを渡した。

別に日常的にあるなんともない一コマだけど、あの中学の時の事をふと、思い出した。

「あ〜、こういうことを言ってたのか、あの人は。」

皆、自分のするべきことややりたいことが目の前にある時は、自分の視座に埋没する。
すると視野が極端に狭くなる。
自分のすぐ近く、辺りで起こっていることさえも気付かなくなってしまう。

先生はあの時、

「酒井、視野を広げればお前、俺に怒られずに済んだじゃないか。愚痴を吐くなら学校の外で吐け。」

と言っていたんじゃないか…?

これは自分の勝手な解釈なので、先生が本当にそう言いたかったのかはわからない。

でもなんとなく、そんな気がしている。



僕は、どこかでよく聞かれるような、「正解」を言う人がとても嫌いだった。

「人は挨拶がとても大事です。挨拶をする人間は社会に出ても信用されます。」

「応援される人間になるには、その人の人間性がとても大切になってきます。礼儀や礼節を重んじましょう。」

体育会な世界にいた自分は、おそらく人一倍聞いてきたのではないか。
いや、間違ったことを言ってるわけじゃない。
事実、社会はそういう側面があるのかもしれない。

でも、こういうことを言ってくる大人は、どうにも好きになれなかった。

あなたの答えを押し付けられている気がして。


ただその先生は違っていた。
その先生はとても変わっていた。

いつも中学生相手に、意味のわからない弁舌をする。
話は長いし、答えがない話を永遠と。
中学生の僕たちは誰も聞いていなかった。
朝礼や集会が終わると、毎回「話が長い」と愚痴を言っていた記憶がある。

でも、たまにその先生の言葉が浮かぶ瞬間がある。
なんとなく、ぼんやり、その先生が語りかける "問答" が。


あの時は、臭かったけど、今はその先生にとても感謝している。


僕に気付きを与えてくれて。

僕に「答え」を見つけさせるタネを蒔いてくれて。

10年経って、成長した自分がいることに、少しホッとした。


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