見出し画像

ボクはいま、ベトナムにいます。

ストローをやめることにしました。」と書いてから、約2ヶ月。

多方面からご心配のご連絡を頂いて、「お前はちゃんと生きているのか?」「今は何をしているんだ?」「身体は大丈夫なのか?」など、お声掛け頂きました。

その節は関係者の方々、大変ご迷惑をお掛けし申し訳なく思っています。 私自身でも把握しきれないくらい日々揺れ動く生活を送っていて報告が遅れましたが、相変わらず自分にとって無理ゲーなことにチャレンジしています。

自分はいまどこで何をしているのかというと、ベトナムのホーチミンにあるIT企業で働いています。Vitalify Asiaという会社です。日本人6名ほど、ベトナム人80名ほどの、Web・スマートフォンアプリのオフショア開発、AIソフトウェア開発を事業ドメインに置いている会社にジョインすることになりました。

なぜこんな決断をしたのか?
そもそもなぜベトナムなのか?

今回はだいぶエモい内容になるかと思いますが、順を追ってお話したいと思います。

今に至るまでの経緯

前回も書きましたが、学生起業をして3年半ほど事業を運営していましたが、2017年の7月から椎間板ヘルニアを発症しました。そこで仕事もできず何も進捗が起きない、起こせない毎日に憤りと空虚感を感じるようになっていました。

ヘルニアを発症した原因ははっきりとはわかっていないのですが、原因として考えられることとしては心理的なものではないかと医師に言われ、その心理的な原因のおよそ8~9割は仕事であろうと結論付けました。ただヘルニアが原因なのではなく、結局はヘルニアになってしまった背景は間違いなく自分の不甲斐無さだと思っています。

幼少期から私のことを知っている人から見れば、またかよ、と言われるかもしれません。何かしら壁にあたると、その壁を乗り越えられることなく辞めてしまう。ファーストステップを踏んでも2歩目3歩目が踏み込めない。
そんな人間なのです。もう25年も生きていてさすがに気づいています。社会不適合な自分がいることを。

話を戻すと、体調を崩し始めてから頭の中では堂々巡りの日々でした。去年から今年にかけての年末年始は一歩も歩けない、立てない、座れない。そんな状態でずっと布団に籠もっていたら、さすがに暇すぎて「今年は何かを変える年になるかも」を書きました。 この時は「半年後にはベトナムに移り住む」とは想像すらしていませんでした。

ただ何かを変える年にしたいし、変わらなければいけない、そう思いながら、寝ながらぼんやり思うことをただパパっと書いただけでしたが、これを見た一人の中学校の同級生から連絡を貰います。

「おれは今タイのバンコクで働いているんだ」

彼は、自分が海外との接点をもちたいというワードに目が止まって、連絡をくれたようです。中学の時、そこまで仲良くなかった奴なのに、なんで連絡をくれたんだろう?疑問に思いつつも、そこから数ヶ月、彼とは密に連絡を取るようになりました。

「なぜバンコクで働くことになったのか」
「今どんな仕事、生活をしているのか」

これまでの経緯を聞いたり、自分の想いを共有していたりしました。 連絡を取り始めてから数ヶ月経って体調も回復し日常を取り戻し始めた頃、何を思い立ったか、彼に会うためにバンコクに行くことになりました。

現地で彼に会って、色んな話をしました。また現地で働いている知人を紹介してもらったり、私個人でもバンコクで働いている人に何人かコンタクトを取って色んな話をしました。数日の滞在でしたが、何かピンと来たのです。

「あ、おれ海外に出よう。」

帰国後、すぐに会社のメンバーにも相談をしました。

「おれ会社辞めようと思う。なぜならかくかくしかじかで、こういうことがあって、おれはずっとこう考えていて、道半ばだけど今はこう考えているんだ。どう思う?」

なにが正しいのかわからないまま、でもこのままでは私自身も会社も関係するステークホルダーの方々も皆幸せになれない。何かが足らない。それだけはわかっていて、自分の想いを正直に伝えたら、彼らは謎に、すんなり自分の想いを受け入れてくれました。恐らく自分が思い悩んでいること、現状を変えたいけど変え方がわからない自分を、毎日一緒に仕事してきて見ているので、わかっていたのかもしれません。

「お前が気持ちよくまた戻ってこれるよう、こっちも頑張るから。」

そう言ってもらった時は、本当に申し訳無さと自分の非力さを感じると共に、感謝の気持ちをただただ噛み締めながら。これだけは言えました。

”人生を共に共有し合う最高の仲間に出会えたことだけは確か”だと。

3年半前に一歩を踏み出してみたことを、本当によかったと心から思える瞬間でした。

画像1

海外へ

「ハッピーになるために、ハッピーになる人を増やすために、アプローチを変える」

こう宣言してから、じゃあ具体的に何をどうしよう、、となったので、ひとまずありとあらゆる情報のインプットをして、どうやって海外に行こうかと考え始めました。 とは言っても身体は治っていなかったので(今でも完治はしてないですが)、カイロプラティックの治療を受けたり、磁気治療を受けながら無理をしない形で少しずつ行動に移し始めることに。

何かあった時に比較的すぐに日本に帰れる距離で、かつ市場環境がキテる所は東南アジアだろうと踏んで海外転職専門の求人サービスに登録したり、
知人から紹介を募ったりして、シンガポール・タイ・マレーシア・インド・インドネシア・ベトナムを中心に探し始めました。良さげだなと思う会社数社とSkypeで面談したり、直接会ったりと自分が想像していたよりも早くチャレンジしてみたい・行ってみたいと思える会社を決めることが出来ました。 ベトナムを選んだ理由は「行く先の会社がベトナムにあったから」そんな単純な理由で他にはなにもなかったです。

ベトナムに対する事前の知識もほぼ皆無だったので面談でも、
会社:「酒井さんはベトナムに来たことはありますか?」
酒井:「いえ、ありません」
会社:「日本人にとっては比較的住みやすい土地ですが、一度下見で来られることをオススメしますよ。」
酒井:「いえ、多分、イケると思います。(下見に行く金銭的余裕がもうなかった...)」

2回ほどSkypeで話し、住む住居も決まらないまま1週間はホテルに泊まれるとのことだったので、まぁなんとかなるだろうと思い6月下旬にホーチミンにやってきました。 そして来越してから3週間が経ち、今は腰の痛みよりもお腹のゆるさと戦う日々を送っています。 どんな料理にも香草をバンバン入れるのでどれが何かもわからないまま食べてます。パクチーのような癖の強い草も毎日のように食べているので、鼻も麻痺してきたのか何も感じなくなりました。もうただの草です。

人間、住めば都、慣れればなんとでもなる感じは掴めてきました。

画像2
ローカルのベトナム料理

今後について

私の場合、行動を自ら起こしていく中から自分の視野を少しずつ広げていき、情弱の判断ながらも自分の中から生まれた声を大事にして生きてきましたし、これからもそうして生きていくと思います。

「自分は何がやりたいんだ?」
「どんな人生を送りたいんだっけ?」
「許せないことって、吐き出したい怒りって何だ?」
「誰を助けたい?誰の力になりたいんだ自分って?」

そんな小さな声を辿っていくと、いつの間にか起業していたり、いつの間にか海外で働いていたり、傍から見れば突拍子もないことを、それお前にできるの?と言われたとしてもやりたいんだから仕方ないと思ってやってきました。 ですが、いつもやったあとに最初は思います。

「なんてことをやってしまったんだ。どうしよう。。」

現状を維持しようとするホメオスタシスの機能は恐ろしいです。。 でもそこを乗り越えると必ずやってよかったと辿り着けます。 今はまだ、いつまでここにいるのかは全然決まっていません。ここで活動しているうちは、

・ホーチミンの色んな現地情報や自身の気づき
・どんな仕事、働き方、暮らし方をしているのか
・目的や目標、今後のビジョン
・小ネタ

などなど...
追々発信していきたいと思います。

ただ、私はこの環境の変化をあくまできっかけにして「何度でも自分を変え続けることを止めない」ということだけは決めて、継続して実践していこうと思っています。

変え続けることを変えない。
正しいことかはわかりません。
無駄かもしれません。
遠回りかも、本当に求めていることとはまた違うのかもしれません。
フラフラしています。
でもそんな自分でも、自分を変えていく「点」は、いつでもどんな時でも始まったばかりです。

もがきながら生きています。
車とバイクの排気ガスにまみれた汚い空気の中で。
ガタイの割に弱い身体と心を叩いて。



そんな感じで、ご報告でした。
これからも旅をするように生きていこうと思います。
みなさん、ホーチミンに訪れた際はぜひ私にお声掛けを。

待っていますよ〜。

画像3
自宅近くの市場をパシャり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?