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「愛がなんだ」の魅力はなんだ

「愛がなんだ」を見ました。日曜日の夕方、家事を片付け子どもたちを風呂に入れ、何とか1日1回の上映時間と折り合いをつける。映画1本見るにもひと苦労なわけですが、全国ロードショー系ではない映画を公開直後から近所で見られるというのは非常に貴重な機会なので何が何でも頑張ったわけです。

ビューティフル・ボーイもグリーンブックも近所はこれから公開。地方は辛いんすよ。

なぜそこまでしたかといえば、Twitter上ですこぶる評判がいいから。バーフバリ・カメラを止めるな!の経験から、TL上で評判な映画ぜったい面白い理論を編みだしたので「愛がなんだ」も最高に違いない!という確信のもと劇場へ。


全員に共感できそうで、あと一歩できない。

この感覚が中盤以降ずーっと続く。

それぞれに「ああ、わかるよわかるよぉぉぉ!」と思う場面やセリフがあるんだけど、いいぞこのままいかせてくれ!と思っていたらハシゴを外される。遊園地のメインの絶叫コースターじゃなく、ちょっと小さいサイズのジェットコースターにずっと乗っているような感情の起伏が続く。

■携帯を見えるか見えないかの範囲に置いて気にしているのに気にしていないフリをしたり(誰にだよ)
■なんで俺みたいな男を好きとかいうんだよ~。という過剰な自意識。
■勝手に解釈して相手のためとか言って好きになるのやめる。とか言っちゃう。

大した恋愛なんてしてこなかったけどあるあるポイントはたくさん見つかり、その度下腹部あたりがきゅ~っとなりました。

でも、そこまで。

特に後半のテルコは分からないし、はっきりと恐ろしさを感じました。監○とか殺○とかまでいっちゃうんじゃないか…。ラストとかそんな感じじゃなかったですか?

僕はどちらかといえば、会社を去るテルコにマグカップを持ってきた同僚の子みたいに現実的(無難)な人生を歩んできたから。(どうでもいいけど、同僚の子可愛かったね)

ダラダラと関係が続くとか、色んなことをごまかしてまで近くにいたいとか、いちばんじゃなくてもいいから寂しい時に呼んでほしいとか、そこまで行ききることはなかった。

だから、同僚の子の「ちょっと憧れます」というセリフが妙にしっくりきたんですよね。20代で見たらまた違った感覚だったかもしれないし、それでもやっぱり「ちょっと憧れます」だったかもしれないし。

葉子ちゃんと仲原くんのその後はとても気になります。うまくいったんでしょうか。葉子ちゃんの「私をなんだと思っているのよ!」は、モテキの土井亜紀を思い出しました。詳細なセリフはうろ覚えですけど酔って、介抱されるときに「私を恐がらないでよ…」って言うんですよ。

強くて美しくて完璧だと勝手に思われて、ヤマアラシみたいな棘があると勝手に思われて一定の距離から入ってきてくれない。自分から入ってきてともいえない。水玉のワンピースが欲しいといえないのと一緒で。

あとなぜか「メゾン・ド・ヒミコ」を思い出しました。たぶん、キスシーンのせい。オダギリ・ジョーと柴咲コウがベッドに座ってするなんともいえない距離感のキスシーンがとても好きなんですよね。「やらせて」のあとのキスがとても良かったです。

象が重要なファクターということで村上春樹の短編「象の消滅」も思い出しました。象は人の中の何かを揺り動かし物語を生み出す動物なのかもしれません。最近の象といえば若冲。こちらも奇想に括られるものだと考えると、何かしらの物語を想起させたのかもしれません。

というわけで

運び屋に続いて、中身のない文章をまたつらつらと書いてしまいました。

こういう文章はなんと括ればいいんでしょうね。ちょっと考えます。

それはともかく「愛がなんだ」です。


同じような経験をしている人は共感しまくり、まったく共感できない人にとっても別世界を覗くような楽しみ方できるはずです。僕みたいに「分かるけど、かなり恐いけど、ちょっと憧れる」みたいな見方もできるでしょう。

明確な答えはでないし、分かりやすい「幸せ」や「不幸」が誰かに訪れて終わるわけでもない。それぞれが自分の歪みを持ち寄り、関わりあいながら生きていくしかないし、それでいい。

誰も救われないけど、誰かの救いにはなる物語。

それが「愛がなんだ」の魅力なのかもしれません。

ではまた、映画の話で。

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