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「自分にしか書けないこと」は難しいことじゃない

こんなこと書くのは世界で俺だけだろうな。

映画評を書いていると、こう思うことがある。それが何よりの快感だったりする。

僕は決して文章がうまいわけでもない。映画の知識が豊富にあるわけでもない。毎回ヒーヒー言いながら書くわけだけど、それでもやはり「自分が書く意味」みたいなものがないと寂しい。ほかの誰もない、自分自身が。

田中泰延さんは、だれかが書いているなら読み手でいよう。と言っている。「わたしが言いたいことを書いている人がいない。じゃあ、自分が書くしかない」と言っている。

うまくも美しくも書けないなら、自分にしか書けない何かを見つけるしかない。

たとえば「ROMA」を評するのに「ゆず」のことを書いたのは世界で僕だけだと思う。調べたわけではないので他にいたらごめんなさい。

「自分にしか書けないことを書く」というと難しそうだけど、人は自分の過去から何かをひっぱってくるしかないと思う。

同じものに触れたとしてもそこから何をひっぱってくるのかは、人によって違うはず。だから、それを書けば「自分にしか書けないこと」になると思う。自己満足で十分。ROMA評で書いたゆずについてだって、どれだけの人に届いているかは分からない。それでもいい。自分がそう思ったんだから。

大事なのはそれが出るまで調べること、考えること。

今書いている「ペット2」ではオジー・オズボーンを登場させるつもり。それがうまくいくかどうかは分からないけど、どうなることやら。

そもそもまだ原稿ができていない。なのにこんなnoteを書いてしまった。

5歳サロンのみんなが楽しそうに30分でnoteを書くというあそびをしていたから、おもわずやってしまった。だから、原稿が遅れても僕のせいじゃない。

お前のせいだって? ですよねー。

いやあ、30分で書くのってむずかしいですね。

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