書評『読みたいことを、書けばいい。』~「孤独」と「僕」と「笑い」について
田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』読みましたか? 読んでいない人は今すぐ買ってください。リンクをはりますが、ここから買っても僕には1円も入りません。安心してください。ベストセラーゆえ、定価以上になっていることもあります。注意してください。定価は1620円です。定価以上で買うなら定価でもう一冊買いましょう。僕も買います。
最初に「購入してください」と書いてしまいました。
書評というのは
「これこれこういう筆者がこれこれこういうことを書いていてこれこれこういう部分が有益です。いかがでしたか? ぜひ読んでみてください」
となるものだと思います。
これではいけない。しかし、『読みたいことを、書けばいい。』には、購入することが肝心、もう1冊購入してほしい、10冊購入してもいい、100冊他人に購入させたらいいことがある。と書いてあるのです。
100冊売れたら、書いてあるとおりにすてきな団体からメールがきて、すてきな仕組みを紹介しれくれるものと期待しています。たのしみだなー。
なぜ書いてあることに従うのかって? 帯に書いてあるじゃないですか。人生が変わるからです。本当です。すくなくとも僕は変わりました。
筆者・田中泰延さん(以下、ふだん通りひろのぶさんと記述。いつも気やすく書かせていただいてありがとうございます)のライター講座をうけ、
・物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛
・一次資料に当たる
・巨人の肩にのる
・感動が中心になければ書く意味がない
・思考の過程を披露する
を実践した結果、街角のクリエイティブにて映画評を書かせてもらえるようになりました。自分の書いたものを誰かが読み、時には「おもしろかった」「映画がみたくなりました」と感想をくれるという奇跡が、一介の会社員に起こったんです。
この本に書かれていることは本当です。私が証明です。
「映画評ってどうやって書くんですか?」「ライターにはどうやったらなれますか?」と聞かれたら『読みたいことを、書けばいい。』を買って読みましょう。そこにすべて書いてあります。と答えることに決めています。目標は100人に聞かれて100人に購入してもらうことです。
さて、「購入を促す」という大目的は果たしました。「買いましょう」と書くのがなにより大切です。
ここからは、僕が読みたいことを書くことにします。
「孤独」と「僕」と「笑い」について
ひろのぶさんのライター講座をうけたと書きました。街角のクリエイティブ編集長・西島知宏さん主催「明日のライターゼミ 2018・秋」の第3回講義でした。2018年11月。講義で提出した課題を褒めてもらえたことで映画評を書くみちが拓けることになります。
本とおなじく、脱線し、寄り道し、たちどまり、また戻り、ゲラゲラ笑っている間にとっても大切なことが心に刻まれる。そんな、講義でした。
『読みたいことを、書けばいい。』は、すばらしい時間の記憶を呼びさましてくれると同時に「ああ、あの時はピンときていなかったんだ」という発見もありました。
書くことは生き方の問題である
という、ことばではじまるp.244-248。892文字に僕の心は震えました。本のことばを借りるなら「感動の中心」がありました。
すこし引用します。
人間はだれしも孤独だ。書くことは孤独と向き合うための「手ぐさみ」なのかもしれない。孤独の本質とは、ひとりであるということだ。なぜひとりで生まれ、なぜひとりで死ななくてはならないか、だれも答えられない。だがその孤独の中でしか知り得ないことがある。
その人の純粋なところ、美しいところ、正しいところ、優しいところ、そして寂しいところというのは、その人と会って向かい合っているときではなく、離れたあと、ひとりのときにふと思い起こされ、伝わり、感じるものである。
出典:『読みたいことを、書けばいい』
人はみな、孤独だ。
世紀の大発見ということではないでしょう。古代ギリシャのプラトンだって孤独についての言葉を残しています。最近印象深かったのは「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里さんと対談された矢沢永吉さんの言葉。
だって、孤独、孤独ってみんな言うけど、
孤独だろ? 人は。
出典:ほぼ日刊イトイ新聞
そういえば、ほぼ日刊イトイ新聞のキャッチコピー「 オンリー・イズ・ノット・ロンリー」も孤独についての言葉ですね。
孤独に綴った言葉が、孤独に抗うことになる。人はみんな、孤独だから。
なぜ今、孤独という言葉が染みたのか。多少なりとも僕が「書く人」になったからなんだと思います。映画評を書くようになり、ひとりでキーボードに向かうようになった。「孤独」についてなんとなく理解できるようになった。だから、講義の時にはピンとこなかった言葉に、今、感動したんです。
もうひとつ理由があることを思い出しました。少し時間を昔に戻します。
今から6年前、31歳の時に子どもが産まれました。もちろん、とてもとてもうれしかったです。と同時に、こう思ったんです。
ああ、じぶんはもうひとつ前の世代になったんだ、と。
生物として次の世代につなげられたけれど、はっきりと死のにおいを感じましたし、しばらく鬱々としたような状態にもなりました。
『読みたいことを、書けばいい。』を読んで、あれは「孤独」だったんだなあと気づきました。何かを作ることもなく、遺すこともなく交代して去っていくだけなんだなあと感じていたんだと。
ずっとモヤモヤしていた感情に名前がつきました。
「孤独」です。
本ってやっぱりすごいです。どこかで聞いたことのある話、Webで読んだことがある話でも、本として読むと思ってもいなかった記憶が呼び覚まされて向き合うことができるんです。読んでいる時は「孤独」だから。
孤独孤独、書きすぎて「今、孤独は何回目?」とタイムショックの問題になりそうになってきました。正解は23回目(タイトル・問題文ふくむ)。
孤独ついでにもうひとついいですか?
ひろのぶさんの言葉、文章に笑いがつまっているのも、やっぱり「孤独」が関係しているのかもしれません。『読みたいことを、書けばいい』もページをめくるたびに笑える笑える。
僕は本をつくったことありませんが、ふつうこんなこと起こらないんじゃないでしょうか。なんでこんなに笑いをつめこむんだろう?
孤独への抗いではないでしょうか。
一回しか生きられない人生の意味がわからなかったとしても、意味なんてなかっとしても、笑顔になった、声を出して笑った瞬間はむなしさを忘れ、孤独から解放される。だから、笑いは尊く意義があるものなんだ、と。
いち読者の考察です。
んなわけあるかい! と怒られるかもしれないけれど、ツッコミがあればそれだって笑いになるじゃないですか。
『読みたいことを、書けばいい。』を読んで笑ったその瞬間、人生に小さな意味がうまれるんです。
すごい本です。
え? 笑えなかった? それはひろのぶさんに直接いってください。人としてのルール、マナーを守り、ツイッターで話しかければ大丈夫。引用リツイートを忘れずに。
最後に
『読みたいことを、書けばいい。』は、QRコードからたくさんの文章が読めます。どれも必読です。しかもタダ。調べ、調べ、調べ、調べ、読みたいことを書くことを突きつめたもの凄い文章です。
しかし、あれがない。
「なんでのってないの!?」と思った映画評を紹介しておわります。
僕はこの文章に打ちのめされ、映画評にずぶずぶとはまりこむことになりました。長く、緻密で、ユーモアたっぷりな文章です。
特に、好きな部分を引用します。
僕がやっぱり泣いてしまうのは、これが、「一回しか生きられない人生」を余すことなく描いているからだと思うんですよ。
Another Day of Sun、太陽はまた昇る、だけど、人生はいちどきりです。誰にとっても。
一回しか生きられない我々の人生での究極の体験は、出会うこと、恋をすること、だと思うんです。別の人生を、受け取ること。
一回しか生きられない我々の人生への究極の反撃は、表現すること、創作すること、だと思うんです。別の人生を、生きること。
その一回性の中で、恋に賭ける生命と、表現に賭ける生命を、両方が渾然となった形で、あの響いて消えてしまう空気の振動、つまり音楽と、あの大気に弧を描いて消えてしまう軌跡、つまり踊りで観せつけられたら、そら、泣きまっせ。
読みかえして気付きましたが、これも「孤独」について書かれていましたね。
ラ・ラ・ランドの映画評が僕にとってそうなったように『読みたいことを、書けばいい。』がたくさんの人の指針になればいいと思いますし、それに値する本です。
僕も自分の孤独に抗うために、誰かの孤独とつながるために、これからも読みたいことを書きつづけていきます。
ぜひ、買って読んでください。僕も、もう一冊買います。
サポートありがとうございます!ありがたく受け取ります。次の映画評のための映画鑑賞、資料購入に使わせてもらいます。