【読書感想文】イチローが引退会見で言った「メジャーの野球は頭を使わなくなっている」の真意【第1回】

 Tweetし始めたら思ったより長かったので、リプし続けるのもナンセンス、かえって読みづらいと思ってnoteにまとめます。「> 」で始まる文は記事からの引用文です。

> この試合を観てわかることは、現代野球がいかに「高速化」が進んでいるか、である。

 この記事で言われている「高速化」とは、「球速の高速化」「凡退or本塁打による試合進行の高速化」と思われる。
 私はもう一つ、データによる「時代進行の高速化」もあると思う。
 つまり、スラット・カーブ理論や守備シフトの最適化、フライボール革命は「SABR metrics」が生まれなくとも将来的に到達していただろう、と思う。それは昨今の映像・分析技術なんてなくとも落合博満が、古田敦也が、なによりイチローが昨今提唱される技術を語り、実行しているからそう思う。

> とにかく不確定要素や人的要素を排除して合理化された野球が、本当に面白いのだろうか?

 お股氏がここに「?」をつけることには疑問を持った。面白いかどうかの感情論は人それぞれなので置いておくとして、プロアスリートという結果を残さなければならない個人事業主たちが明日の仕事を得るには、不確定要素は少ない方がいいだろう。
 だからアウトを取り失点を減らすために投球・守備を合理化し、アウトを取られず得点を増やすために打撃・走塁を合理化するのは、相手より点を取り、相手より点を取られなければ勝てるという野球というスポーツの本質に即している。
 「エンターテインメント」の為に除けるかもしれないリスクを除こうとせずにプレイしろ、というのは、観戦者のワガママだろう。「ドラマ性」なんてなく、淡々と勝てるならばそうする、というのがそれで飯を食う者の本音ではないだろうか。まず、勝つ。明日も野球をするために。次に、楽しい。もちろん、勝つ=楽しい、も成り立つ。

> 何か1つ「正解」があるのではなく、思考停止することなく考え抜け、というのがイチローのメッセージである気がしてならない。

 「思考停止することなく考え抜け」が意味するところは、私と、お股氏では全く異なる気がする。私としては、データで大部分を示すことができるならば、データに従うべきだと考える。
 なぜならば、その方がデータで示せない部分に選手自身のリソース(時間・能力・頭脳など)を割いてもらえるからだ。人間対人間で成り立つイベントにおいて、データにより再現性が認められる事象なんて、そう多くはない。しかし、データで経験的に多くの場合そうなる、と言えることはある。ならば、そこの考察に対して選手が自らの時間を費やすのは多くの場合、無駄かもしれない。ならば、他にいくらでもある選手自身が考えなければならないことを考えることに自らのリソースを割いてほしい。

 実情としては、身体能力が高くデータが言わんとしていることを再現できる選手がデータにおんぶにだっこで思考停止で成績を残している、ということが考えられる。偉大な先人たちが結果を残してきた方法に乗っかるだけなのだから、それはそれなりの確率で好成績を再現しつづけることができるだろう。言ってしまえば、お股氏が提唱したスラット・カーブ理論などの定石ともいえる戦術群は、その通りに再現できるのであれば思考停止で成績を残せるものだろう。その根拠は先人たちの成績である。

 もう一つ考えたくないのは「指導者や球団上層からデータによりプレイを押し付けられている」可能性だが、それは個人事業者と契約先の取り決めによるものだろうから、第三者たる我々はそこを議論する立場にはないだろう。学生野球のように環境を変えた場合に出場停止のペナルティがあるわけでもあるまい。

 昨今のデータ野球は、技術・身体能力があれば思考停止しても成功できる方法を生み出す、あるいは既に行われている数多ある可能性の中から探し出すことを「高速化」していることは確かだと思う。しかし、それは「これまで」であって「これから」を築くのは選手たちが「思考停止することなく考え抜」いた末であることを期待したい。