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3.11福島より。コロナウイルスはあの時の「目に見えない脅威・嫌な感じ」と同じ。

あの日から9年。

もう今となっては、あの時感じた揺れの恐怖・その後起きた混乱を思い出すのは正直「しんどい」。日常生活が普通に送れているから、できるならば思い出したくはない。そんなのは無責任だとか意識が薄いと言われるかもしれないけれど、毎日毎日目に見えない放射能といつ飛んでくるかわからない心が傷つけられる言葉や将来の不安に怯えて暮らすなら、できる限り普通に暮らしたい。



だけれど、今年はブログに色々綴ってみようかなと思ったのは

コロナウイルスの混乱を見たときに、
「あの時の福島」と同じ気がしたから。

目に見えない脅威に怯えていたあの時。
怖かったのは放射能だけれど、もっともっと怖かったのは
「目に見えない私たちの生活を暗くする・・・嫌な感じ」だ。

そいつが現れると、「平気で他人に暴言を吐いてもいい雰囲気」になる。「身を守るためには仕方ないんだ」「家族を守るためなんだ」って。


コロナウイルスによる混乱に乗じて、今回も<それ>が現れた。


<それ>を言葉で表すのは難しい。差別でも風評でもない。「根拠のないデマによって被害を受けること」という意味で使う風評被害という言葉には違和感がある。言葉で人を傷つけたり・いまだに福島のものは買わないといっている人たちはそもそも、「根拠のないデマ」だとは思っていないんだろう。私のいう<それ>や「嫌な感じ」というのは、風評被害そのものではなくて、その「個々が感じる”正しい”を信じる故に他人を傷つけてしまう心理」に近い。

でも名前がない。名前をつけたくない。

その「嫌な感じ」は、1億人、70億人もいる人間それぞれが、それぞれの意識で生み出してしまっているものだから。名前をつけてしまうと「私はそんなつもりはない」とか「私の考えは違う」という人が出てきてしまう。そうじゃなくて、その「嫌な感じ」は誰でも生み出す可能性があって、誰でも出会う可能性があるものだと思う。


最初に、私が2011年に出会った「嫌な感じ」のお話をしようと思う。

揺れを感じたその時は、家族の無事がとにかく心配だった。たまたま福島県の実家にいた私と妹(休日だった)。昼ドラを見てゆっくり・・と考えていたその時、テレビから流れた警報音のような音に唖然としている間に感じたことのないような揺れ。(今でこそ聞き慣れた警報音も当時はまだ慣れていなかった)

飾っていた鉢植えが落ち、家が軋む。ガタガタという家具の揺れる音と、ガシャガンガシャンというガラスぶつかり合うの音・・・。

『地震だ、大きい・・・。』

祖母と寝たきりの祖父がいたので、とにかく車の中に避難をすることにした。外は雪が吹雪だし、若干認知症の気のあった祖父は事態を把握しておらず、家から駐車場への少しの道も歩行が大変だった。

祖父はとにかく『家に入りたい・家に入りたい』と言っていて、それを聞いた瞬間とにかく逃げなきゃと思っていた気持ちが冷め、『これからどうなっちゃうんだろう・何が起きているのだろう』という不安が吹き出した。

しばらくすると揺れは落ち着いた。
幸い、我が家はり倒壊どころか瓦が落ちることもなかった。周辺は田園風景のため、情報の波が押し寄せてくることがないのが逆に幸いだった。一気に世の混乱に巻き込まれることはかった。

我が家は水もガスも問題なく使えたが、一時的な停電は起きていた。
停電が収まったのは15時30分より前だったと思う。

電気の復旧後、すぐに着けたテレビに流れていたのは津波からの避難を必死に呼びかけるニュースキャスターの声だった。
「あと●分で到着します!高台に避難してください!」
「こちらが現在の●●港の様子です」
テレビの中はどこか遠い世界・架空の世界を移しているかのようだった。どの局でも状況を伝えるキャスターの声は緊迫していて『大変なことが起きているんだ』というのを感じ、何をしていいかわからず、唖然とそれを見るしかなかった。

夜になると、
宮城県沖で大きな地震があったこと・町は停電していることがわかった。
あとは、沿岸部が大きな被害にあっていることも。


それからしばらくは連絡のつかない親戚の生死を必死で確認したり、食べ物の備蓄を確認したり。『人の死』があちこちに舞い降りてきていて、一気に変わってしまった日常の中で、とにかく生きるために「助け合った」。

物をいただくこともあったし、沿岸部の知り合いに寝袋や運動着を渡したこともあった。何かできないだろうかと訪れた近所の避難所では情報の整理を行なった。そこで中学卒業以来会っていなかった同級生と再会し、みんな助けあって行こうとしている様子がなんだか嬉しかった。

SNSには、フォロワーの方から心配の声や応援メッセージがたくさん来ていた。全国に東北の安否を心配をしてくれる声がある。
確かに大変なことが起きたし、失われた命もあるけれど、幸い内陸地は無事だし、人も食料も時間がかかっても確保できる。『別に日本が滅んだわけじゃない、なんとかなる。あとは事態が好転するだけだ。』本気で、そう思った。



しかし、地震発生後4日目あたりに「嫌な感じ」の存在に気がついた。

福島原子力発電所の事故の話題が大きくなり、避難する町やそれを受け入れる町の今後が決まり始めていた。

福島県に住み、育ったわたしたち。小中学校の授業では社会科などの「地元を知る授業」では産地や特徴と並んで必ず登場していた「原子力発電所」。
それでも、地震発生当時、中通りと言われる県の真ん中のエリアでは「原発の心配」をしている人は、ほぼいなかったと思う。正直、私を含めその周りの人たちは存在を忘れていたくらいだ。福島県は全国で3番目に大きい県なので、県民ですら通ったことすらない街が大量に存在するほど。それに、この事故が起きるまで、首都圏の電気を福島で作っていると知っていた人は全国にどれだけいるのだろう。

津波や火事が収まると今度は急速に新聞やテレビで「原子力発電所」の報道が始まった。いつからか地震のニュースが原発のニュースになり、他の被災した県と福島県の報道が区分されるようになった。

これ自体は致し方ないし、未曾有の事態にどのように対応するのが良いか、一律の方向が欲しくてテレビを見続けた。一刻を争う自体だ、今こそ団結して乗り越えなければいけない危機だ・・そう思った。

しかし、具体的な対処がなされないまま時間だけが過ぎ、日に日に「デマ」と「嫌な感じ」が大きくなり、外部から情報を得るのがしんどくなってきた。

避難所で、発狂する人が出たという話。ボランティアに行った避難所では、ある日突然奥さんと子供だけになっていて、どうしてなんだろうと思っていたら「東電社員だから戻ったらしい。行ったってしょうがないのに。」という話を聞いた。それはとても嫌な言い方だったけれど・・・。

数日前までは、まさに必死に助け合って生き残った・生活していた人たちのはずなのに。

気がついたら、震災の話は原発の話になり、お金の話になり、差別の話になり、他人を妬み・罵り・人に優劣をつけるような話に変わっていた。




まず「嫌な感じ」は人を線引きする。自分を守るために他人を切り捨てる側の人間と切り捨てらる側の人間。

●●町の奴らはお金をいっぱいもらっていたくせに・・・そんな、最初は「ずるい」「不公平だ」みたいな不満のような声が生まれて、
次は、「原発を受け入れて豊かに暮らしていたんだからこの事態は自分達で予測できたでしょうし助ける必要はない」に変わって、
やがて些細なことでも陰口にような悪口が広まって
車のナンバーを見るだけで警戒するようになって。

他人同士が疑心暗鬼になって、福島県から避難してきた人たちが中傷されたというネット記事やブログ記事が上がり、そうするとコメント欄ではまた「身を守るためにやってるだけ」という理由との元に異議を唱える人たちを弾圧する。

リアルの世界でもいざこざが生まれる。

そういう時、おおよそ攻撃的な側には「身を守るためだから仕方がないだろう」と言った理屈が並ぶ。相手に正論をぶつけて、相手の傷には目もくれない。私にはその理屈が「他人を傷つけても良い。なぜなら、未知の物質から身を守るために必要なことだから。」そう言っているように見えた。

その理屈は本当に正論だと思う。未曾有の事態に、誰も責任なんかとれない。だから自分の身を守りたい。という言葉に勝てる理屈なんてない。
だからこそ、線引きされた側は黙るしか無くなる。本当は苦しいだろう。好きでこんなことになったんじゃないって言いたいだろう。でも何を言ったってしょうがない。だから黙って悔やむしか無くなる。社会から責任を押し付けられる。

こうして、「嫌な感じ」は人を線引きするのだ。



そして次に「嫌な感じ」は「本質」を見失わせる。

私たちのやるべきことは目に見えない放射能を防ぐことと、各個人・企業・団体が連携し万が一に備え、事態の収束に向け国民が団結すること。
でも、<それ>はまんまと排除するものを「放射能」ではなく「福島県」にすり替えた。

目に見えない放射能を恐れるより、目に見えるものを排除した方が自分を守れていると安心できるし、「自分が身を守っていると錯覚できる」からだ。

確かに目に見えないもの・未知の病は怖い。
身を守りたいという心理は、私にもある。そのために必要なのは行動で、問題解決に向けた強力であって、他人を罵ることじゃない。

でも、人を迫害したって未知の恐怖が治るわけじゃない。他人を責めたって事態は収束しない。戦うべき・予防すべき相手は「人」ではなく「物質」だ。冷静になって考えればわかることはなずなのに、「嫌な感じ」は目先の不安を本当のターゲットからそらして隠してしまう。
どんなに専門家にも「大丈夫です」と言われたって信じない。「見ていないもの・根拠が定かでないもの」を信じて、他人を平気で傷つける。

ここで嫌な感じに飲まれたら国は一生治らない病気気になる。
有事の際、他人を信用できず・団結できず・批判を恐れ問題を隠すか・自分を安堵させるために攻撃するか・そういう土壌ができる。

粗を探せば、理由をつければ、他人を悪者にするのはすごく簡単なことだ。
〇〇なんだから、自己責任・自業自得。

〇〇に入る言葉はすごく簡単。
住んでいる土地かもしれないし、
仕事かもしれないし、
生き方でもいいし、
過去にちょっとした選択を間違ったことを引っ張り出してもいい。

そうやって他人を切り捨てていったとしても、いつか自分が「そういった線引きされる方」の人間になったときには誰も助けてはくれない。
だって、「嫌な感じ」に満たされた世界では正しいことですら、
粗を探されてしまうのだから。

それって全然解決に至っていない。
あの事故後、日本は一体何を収束させたのか?
今も原発事故は収まっていない。



そして、何より
全員が「線引きされる方」になる可能性があることを覚えておくべきだ。

東日本大震災も、コロナウイルスも、
或る日突然、私たちに困難を突き付けた。

震災から9年。本当に私たちは学んだ?


今回も、’それ’はコロナウイルスではなく感染者を排除しようとしている。
http://www.news24.jp/nnn/news87950084.html
コロナウイルスによって
再び同じことが繰り返されていると思うと悲しい気持ちになる。


大多数とは異なる状況に置かれた人たちに対して、
粗を探して「自己責任だ・こちらは身を守るためだ」と正義をかざし、
その人が降参しても叩き続けるのか。

それは、何十年前・何百年前に世界で人々が犯した過ちとどう違うのか?
それが本当に、身を守るためで、解決するためなのか?

私たちの社会は進化し、日々便利になっている。
スマホは、個人を特定しようとしたり、
追い詰めたり、争ったり、そんな道具じゃない。

震災から数年、インターネット上には様々な情報が踊り、
私も一度は首都圏に住みましたが、「嫌な感じ」はどこににいっても必ずありました。
もちろん大半の人は、復興に向けて前向きでしたが
それでも新しいニュースが報道されたり、
問題の芯が掘り起こされると
ふとした瞬間に「嫌な感じ」はひょっこり顔を出すのです。
特に、匿名で投稿できるインターネットの世界ではよく出会う。

ネット社会でリモートワークが可能となったり、
遠方の困っている人たちの声がリアルに届く世の中になったのは
すごく素敵なことだ。

でも一方で
「嫌な感じ」を急速に広めているのもネットが発達したからな気がする。

嫌な感じを生み出さない。そして広げない。

正しく、道具と情報を扱い、何より、人らしく人に接する。
そんな当たり前のことを、
困難な状況だからこそ大切にしたい。

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