継続に必要なのは変えない意思だという話

初めて無料で書くnoteにこの内容を選んで、早速次の記事がなかなか出ないとなればなんの信憑性もなくなるだろうけど、その点は全く心配していない。この記事を最後まで読めばその辺りの私の心理状態も理解していただけるだろうと思っている。


変化の本質は苦痛

今からほぼ4ヶ月前、私はパートナーとの離婚という、人生の中で1度あるか無いかの大きなイベントを経験した。そんな経験をすれば人は自然と変わってしまう。自分の側から大きな存在が一人いなくなるという、物理的環境の変化から始まって、精神的、心理的な変化が次々と連鎖反応を起こしまくる。

経験してみてわかったことだが、この変化の連鎖を止めることは不可能に近い。否応無しに生活スタイルは変わり、次に価値観が変わり、そして考え方が変わり、最後に習慣として色々なものが新しい自分の体に染み付いていく。それがあるレベルまで到達すると次の変化が現れなくなり、ようやく安定した状態が訪れる。

ここで強調しておきたいのは、次々と起こる変化は自然と発生するものなのだが、しかし精神的な負担はいちいち大きいということだ。要するにめちゃくちゃ辛いのである。

なぜこんな話をしたのかというと、変化には多大な心的ストレスが伴うということを確認しておきたかったからだ。このことを頭に置いて、本題の「継続」についての話を進めたい。


継続して変化を手に入れる

ダイエットしたい。綺麗になりたい。マッチョになりたい。美声を手に入れたい。新しい技術を学びたい。健康になりたい。英語が話したい。

私たちは常に少なからずやりたいことを抱えて生きている。しかしそのうちの一つであっても、実現するのは簡単ではないことの方が多い。だいたいの場合、私たちの体は鈍感で、変化のスピードは著しく遅いからだ。もう本当に遅い。私たちはすぐにでも結果が出ることを望んでいるにも関わらず、である。

したがって私たちは何かを継続しなければならなくなる。ダイエットなら食事と運動のバランスをマネジメントするだろうし、綺麗になりたいならトレーニングやスキンケアにも注意を払うようになるだろう。いずれにせよそれまでの自分から新しい自分へと変わるまでの間、何かしらやり続けることになる。

ところが人によっては、これを続けられないという人が出てくる。というかそういう人がかなり多いと感じる。一方で、きちんと継続できる人も確かにいることを私は知っている。この両者の違いは何だろうか?と考えてみた。


継続を左右するものは

前段で挙げたような目的で何かを継続する場合、たいていはそれまで慣れ親しんだ自分の習慣や生活スタイルを変化させ、それを継続することで目標を達成しようとする。

この過程でうまく継続できる人となかなか続かない人の間に明確な違いが生まれるのだと私は思う。

継続がうまくいかない人は「結果的に」ではあるが、習慣や生活スタイルだけを変化させてしまう。一方で、継続できてしまう人は習慣や生活スタイルを変えるその前に、自分の価値観や考え方などの内面にまず変化を起こしているという差である。

両者の違いは大きい。前者の場合は単に自分の取るべき行動を変えるということになる。対して後者の場合は、自分が取り入れようとしている行動自体の自分にとっての価値から変えることになる。わかりにくいのでダイエットを例に挙げてみようと思う。


やってることは同じ、でも

ダイエットの場合は食事と運動、もっと端的に言えばエネルギーの摂取量と消費量をいかにコントロールするかという話になる。

前者の場合は行動だけ変えているので、「脂っこい食事はもちろん控える」がその食事に対する「食べたい」という価値観は残ったままだし、「運動」に時間を「割いている」という感覚もそのままだろう。

一方後者の場合は脂っこい食事は「食べるに値しないもの」に変わっているだろうし、運動する時間が確保されているのは「当たり前」になっているという具合だ。

この説が正しいとすれば、前者は継続すべき行動のたびに自分の価値観と戦い、変化させるという難行をやっているに等しい。それも毎回大きなストレスを伴ってである。一方で後者は行動のたびに感じるストレスなどは無いことになる。むしろその行動にはすでに価値を見出しているのだと考えれば、これは当然である。

ちょうど前者が部屋の電気のスイッチを毎回つけようかどうしようかと葛藤しているのに対して、後者がはなからブレーカーを切ってしまっているような状況に似ている。スイッチを、などと考えることすらない。継続をやめるチャンスがないのだ。


どんな変化にも苦痛は伴う

ただ、最初に自分の価値観を変化させるのにはとてつもない心的ストレスが発生することを私はすでに知っている。そしてその結果として、継続すべき行動自体が「やりたいこと」に変わることも私は知っている。一度こうなると、やりたいことを「しない」という選択に、大きなストレスが生まれるようにもなる。

うまく継続できる人は確かにいて、その継続を支えるものは、一度変えた自分の価値観を「変えない意思」だと思う。平たく言えば「やるべきこと」を「やりたいこと」に変えられるかどうかで、「やりたいこと」だと思い続けられるかどうかだ。


私の継続は

何かを継続するということは、自分を変化させ続けることや続けようという意思の結果だと思っていた。しかしそれが違ったのだと今は思う。

私は今の所、瞑想や体幹トレーニングやプログラミング以外にも夜10時には寝るとか、かかとのケアを毎朝晩するとか、アロマを焚いて作業するとかいろんなことが続いている。しかし、それぞれについて「やらなければ!」という感覚でやったという覚えはない。価値を感じれば自然と「やる」のである。

それらと同じように、私の中で自分の体験などを「書く」ことへの価値観はすでに変化し終わっている。したがって次の記事も遠からず公開することになるだろうと思う。


まとめると

何かを継続しようと思った時に、その一つ一つについて、自分の中での価値をしっかり高めることが継続の成功に繋がるという話。そして、一度高めた価値は簡単に変わらない。しかし「変えない」という意思こそ必要だという話。

本当に継続したいことならきちんと自分と向き合えるはず。

読者の継続成功を祈ってやまない。

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