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人を磨く孤独

しばらくの間、人に会っていない。最後に誰かと面と向かって会話をしたのは、もう一週間以上も前のことになる。元いた会社の同僚や部下たちと4人で夕食を共にした時のことだ。

その時私は普通にオーダーしたつもりだったのだが、「生ビール一つ」の声が目の前に立つ店員の耳には届かなかったらしい。私自身そのことに気がつかなかった。店員が腰を折って私に再度注文を促してきた時、初めてそれを理解した。そして驚いた。それほどまでに私の喉は弱っていたのだ。しかし私は、声のボリュームを下げさせた原因には心当たりがあった。

それは、孤独だった。


人は一人では生きていけない

これは今の時代で考えれば、物理的な意味では成立しなくなってきている言葉なのではないかと思う。インフラが整備され、住環境の整った場所であれば、一人でも生きていけないことはない。こじんまりとした部屋に引きこもり、日々進化する家電に助けられながら、モニターの向こう側にいる顔も合わせたことのない相手から仕事をもらい、やはりモニターを通して生活費を得る。

可能なのだ。そして今の私はほとんどこれに近い。

私の場合、諸々の事情から意図せずにそうなってしまった部分もある。しかし半分ぐらいは自分の意思で今のこの孤独な状況を選んでいる。その結果、「孤独」と「自分を磨くこと」の関係に気づくことができたのである。そう、孤独は人を磨くのだ。


孤独は人を磨く

説明を要する表現になってしまうのだけど、特に対象が自分である場合、何かを鍛えたり、覚えたりする時は、孤独でなければならないのだと思う。

そうは言いながら、小さい頃はよく友達同士集まって、同じ机にノートを広げて勉強した記憶がある。

わからなければ教えてくれる仲間がいる。この子には負けたくないというライバルがいる。みんなでやるというそれだけで楽しくできる。もちろんそういう状況もあるのは知っている。ただこれはモチベーションの話なのだと私は言いたい。

その証拠に、みんなで集まって、「よしやろう」という気分になって、結果それぞれが「もくもくと」やる。記憶の中の旧友たちの姿が全てを暗示している。モチベーションさえあれば、あとは孤独で良いのである。(もちろん、誰かと一緒に励まし合いながらそれぞれを磨くということを否定するものでは全くない。)つまり孤独をコントロールできる人は自分を磨く技を持った人なのだという説である。


ぼっち最強説

普通、孤独な状況は意図して作るものだ。静かな自分の部屋にこもって勉強したり、横からチャチャを入れられないような場所でトレーニングをする。ところが今の私の状況には孤独しかない。孤独な状況を作ろうとコントロールする必要がないのだ。(いや、SNSがあるといえばあるのだが…)

しかし、こうなってくると問題はモチベーションの方になる。前段のように友達の存在に影響されてモチベーションをあげるのを、マッチやライターで火をつける様子に例えるとするならば、孤独の中でモチベーションを産むのは自然発火に等しい。これ成功させるには自分の意志から種火を起こさねばならない。その意味でも孤独は人を磨くと言えるのではないだろうか。

ただし全てうまくいけばの話である。


人は一人で生きてはいけない

孤独の中で生きるのは24時間瞑想しているようなものであると思う。常に自分と向き合うことを強制されるのだ。したがって孤独は人を蝕むこともある。

自信や不安には根拠が存在し得ないと私は思う。しかしたとえ根拠がなかろうと、自信があれば人は活発になるだろうし、不安があれば人は沈んでいく。気をつけなければならないのは、孤独はどちらも等しくその背中を押してくるという点だ。

たとえ物理的には可能だとしても、精神的に人は一人では生きていけないのだと思う。こうして自分を磨くのも、結局は自分以外の誰かとの何かに期待する喜びや楽しみを求めてのこと。他人との関係の中にしか自分の価値を見出せないのだと思うのだ。

他人との関係から逃れる先に、孤独という選択肢は用意するべきではない。そう思う今日この頃である。

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