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社会に関わる


「叱らない」が子どもを苦しめる

何度も登場させてしまうこの本!
ようやく読み終えて
自分が社会に適応できない理由が
仮説だけど、理解できたような気がします。

私は本当に
親にちゃんと育ててもらえなかったと思う。
小学校の宿題、夏休みの宿題チェックなんてしてもらってなかったし、普段の生活で歯磨きだってうるさく言われなかったし、何にも言われてこなかった。

私が、小学校1年の時に
両親は居酒屋をオープンさせて、それからほぼ毎日昼は仕事、夜は居酒屋で仕事
かまってもらえる時なんて本当になかった。

何でそんなに働いてたのか謎。
お金がなかったのかな?
やりたかったことなのか知らないけど。

社会で大事な事を教えてもらった記憶があるのは
少年自然の家での野外活動。
5年生から中学2年まで毎年参加してた夏のキャンプ。
それで、少年自然の家のカウンセラーになりたいってすごく思ってた。(大学にいかなかったから叶えられなかったけど。)

要するに親からは
ほったらかされていたのです。
そうとしか思えない。

そしてお母さんも放ったらかされたんだろうとも思う。三人兄妹の末っ子だったのもあるのかな?
前に
「おばあちゃんは何もしてくれへんかった。」
と言ってたから。

お母さんからしたら、仕事があったから構いたくても構えなかっただろうけど。
私が小学3年か4年の時に親が離婚して余計に放ったらかし。
そりゃぁお母さんの事、恨むよ。
私はお母さんにすごく怒っている。

だから今でも
お母さんにはめっちゃきつい。
いつになったら優しくなれるんだろう?と自分でも思う。

だけどこんな恨みつらみばっかり書いてても何にもならない。

自分はここでつまづいたんだと理解します。

で、

自分なんて必要とされない
いる意味がない

と心の奥底でずっと思ってることに
この本を読んで気付いた。


今の職場でも

自分なんて必要とされてない

と思っている。


どこにいても
私なんていてもいなくても変わらない
と常に思っている。

それが強いからか
人の役にたとうとするのかもしれない。
例えばボランティアとか。



昨日に引き続きもう一つ
救われた部分がある。
最後の最後
「常に『私自身』が関わり続けてきた」


『関わっている』
という考え方に
( ゚д゚)ハッ!
としたんです。

少なからず私は社会に関わっているということ。

必要とされてるかされてないかとかではなくて、関わるか関わらないか
言い方が違うだけで、心の負担が全然違う。

*

昨日、先生に自分の気持ちを伝える事ができて

もしかして、
私はいてもいいのかな?

と思える事ができた。


うーたんには
自分に自信を持ってもらえるように
社会でちゃんと生きていけるように
導いていかなきゃいけないと思う。

昨日、うーたんが
自信はあるけど恥ずかしい
って言ってて、なるほどと思った。
恥ずかしいは私はもうなくなってしまったなー。
恥ずかしいより後悔する方が多いかな。


ま、2月から2ヶ月ほど、不真面目(逃げて)に生きてみて
社会に認められないというのは理解できた。
(自分はこれがいいと判断したのですけど)
やってるつもりでもやってないと判断され
軌道修正がかかりました。
今日からまたがんばろう。

いや、いつもがんばっている。
いつも全力でやっている。

自分が関わっているすべてに
感謝します。