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まったくやりたいとも思っていなかった庭師の仕事をしてみてどうでしたか?~夫亮一からゆっきぃへの回答~

庭師の仕事、

今月の12日をもち、ひとまず離れる事になりました。

約一年あまり続けてきましたが、インドで2ヶ月程フラフラしてみたい、という以前からの思いが高まってきていたので、その為の準備期間(家のペンキ塗りとか、この間の台風での破損部の修理とかも含め)も含めると、3か月以上休むことになるので、この際一度契約を白紙に戻してもらい、今後の事はまたインドから戻ってきてから連絡させてもらう事にしました。(きっと来年の1月以降かな)

一年前まで、ゆっきぃの言うとおり、"庭師"という仕事が僕の感覚の中に一度も現れたことがありませんでした。

自分が"庭師"をやる。

そんな人生になろうとは、

人生の流れは不思議だと思いました。

人に言わせると"整体師"も十分に何故? の世界かもしれませんが。

整体の世界もそうでしたが、庭師もやはりその世界に飛び込んでみれば、当たり前のようにその世界があり、それを生業にしている人達はたくさんいて、中には20代後半でもう庭師として独立していたり。

まあ、本当に当たり前すぎる位当たり前で、"庭師"もやはり仕事であるのです。

木の上の気持ちよさ、鳥の声、ハサミの音、体を通り過ぎる風…

"庭師"には確かに今までの仕事で感じたことのない心地良さがあったり、心が静かになる時間があります。

時には、セメントを練ったり、ひたすら重い石を運んだり、時には神社の鳥居を建てるといったような、スポーツジムに行くよりよほど体力がつく内容も盛りだくさん。

僕がお世話になった造園屋さんはそんな所でした。

でも、やはり当たり前ですが、仕事なのです。

例えば、新たな剪定の仕方を習得したり、また一つ草刈り機の使い方が上手になったり、そういう自分が上達する喜び。

それは、整体師をしていて感じた、新たな矯正法を覚えたり、筋肉を緩めるのが上手くなったりした時に感じた喜びと一緒だし、サラリーマン時代に感じた、難しい見積もりが一人で出来るようになった時、新たな顧客先を任されるようになった時の喜びと同じものなのです。

そしてやはりどの仕事にも、好きになれない作業、責任に対するプレッシャー、人間関係のストレスがやはりあるのです。

どの仕事も同じだなあ、 と思うわけです。

喜びあり、ストレスあり、感謝してくれる人あり、怒られる事あり、です。

だから大雑把に言うと僕的には、「仕事なんて何でも構わない」という感覚があります。

だから、通勤しやすいとか、給料面がどうとか、やっていて健康的だとか、あまり多くの人と話さなくて済むとか、目立てるとか。

そんな程度の条件で職種を決めれば良いと思ってしまうのです、僕的には。

4年位前、前回の仕事を辞めて2年半ほど世の中の流れからドロップアウトしたのですが、"何にも属さない自分“ ”何の生産性もない自分” といった感覚が何時でも付きまとい、40代半ばにして「もう自分の人生は終ってしまったのでは?」という虚無感、やるせなさ、を感じていました。

そして今、また世間との関わりを失った、今。

まだ4日間しか経っていないというのに、一度味わったからこそなのか「人生は終ってしまったのでは?」という空気感が、早くもどこかで、そこはかとなく漂っているのを感じるのです。

しかし、その匂いは懐かしく、またなんとも愛おしいのです。

それは言わば"自由"の匂いだと思います。

何かの制限からの解放を喜んでいる"自由"ではなく、

「何をしても誰にも咎めてもらえない"自由"」

「誰からも放っておかれてしまう"自由"」

「勝手に生きて、勝手に死んでしまう"自由"」

そんな冷徹で厳しさの様なものを含む"自由"の匂い。

それが懐かしく、なんとも愛おしいのです。

その匂いの中に "生きて死ぬ事" とか "人間の本来の裸性" といったものを感じるのです。

「宇宙の中の地球の中の一滴のエキスとしての生」

そんな生き方。

出来ればそんな生き方をしたいのです。

それは、僕が頭で考えて出来る事ではなく、思考を超えていると思うのです。

自分の理想や希望、計画を超えていると思うのです。

全てを諦めてしまった後に起こるような生き方だと思うのです。

そして、そうなってからが本当の人生ではないかと思ってしまうのです。

そんな人生が僕に訪れて、そういう人生自体が生業になればなぁとか思ってしまうのです。

そんな人生が訪れた結果が「庭師でした」「整体師でした」なら何も問題ないのになぁ、と。

しかし、

そんな事を思うと同時に、

そういう人生がもう既に、僕の上に起きているのかもしれないとも思うのです。

「宇宙の中の地球の中の一滴のエキスである僕」

そんな一滴のエキスである僕は、

今自分が何をしているのか、全体の中で何の役目をしているのか、

どこに向かおうとしているのか、どこにも向かっていないのか、

一滴のエキスの位置からは、さっぱり分からないのです。

それは頭で考えても分からないのです。

思考を超えていると思うのです。

ああでもない、こうでもない、と少しでも人生を良く生きようと思い、もがきながら生きる日々。

そんな大した事もなさそうな、何の変哲もなさそうな日常。

それが「宇宙の中の地球の中の一滴のエキス」がどうしても果たさなければならない、かけがえのない一回きりの裸の人生そのものなのかもしれません。

でも、

それでも思わずにはいられないのです。

こんな風に思って生きられればと。

「ああ…これでいいのだ、僕の人生はこれでいいのだ!」と。



藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!