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動く歩道の「歩き続けろ!圧力」に今日も屈した

やめられない、とまらない―――お菓子ではなく、動く歩道を指す言葉だ。乗換駅の武蔵小杉駅には「動く歩道」がある。10分ほどの長い乗り換えの中間地点にあり、足を動かさなくても移動ができる。帰り道、わたしはいつも動く歩道で立ち止まりたいと考えている。仕事帰りで疲れた時、マンガや本を読みたい時、本当は立ち止まりたい。動く歩道のゆった~~りとした速度に身を任せてすすみたい。

しかし周りは違う。よっぽど家に早く帰りたいのか、急ぎ癖がついているのか、多くの場合は立ち止まらずにサクサク歩き続ける。片方だけ人の流れができることもあれば、通路の左側・右側どちらの列も歩いている場合もある。みんな歩いていると、もう歩くしかない。ここでわたしが漫画のために立ち止まってしまったら、後ろの人に迷惑をかけてしまう。「急いでいるのにふざけんな!」といわれるかも。遅刻魔だからこそ、急いでいるのを邪魔される苦しみは理解できる。そんな心配や共感から、立ち止まって休みたいと思っても、いつも歩き続けてしまうのだ。

本当はゆったり移動したいのに、動く歩道であるくのを「やめられない、とまらない」。いや、「とまれない」が正しい。その理由は、わたしが動く歩道で立ち止まることで、状況の分からない後ろの人々に大きな影響を与えるからだ。

もし後ろに急いでいる人や早く帰りたい人にとって、立ち止まる人間は大きなストッパーだ。立ち止まった人を避けるだけのスペースがあればいい。ただ右も左も立ち止まってしまったり、道が狭くて抜かしにくかったりすると、動く歩道でずらずらと行列を生み出してしまう。本来動く歩道は立ち止まって使用するものなので、わたしは何も間違ってはいない。ただ後ろからの「歩き続けろ!圧力」を勝手に感じ取ったわたしは、なかなか立ち止まる勇気が出ない。まさに「やめられない、とまらない」である。

ただ動く歩道では、地面がせっかく動いてくれているのだから、たまには自分自身は立ち止まってもいいのではないか。これからの時代、周りに流されない「やめられる、とまる」人材が必要かもしれない。今度こそは動く歩道で立ち止まり、列の先頭を生み出してみようか。歩き続けろ圧力は感じるけど、自分が本当にしたい行為ができるので、案外楽しいかもしれない。そんなことを思いながら、今日もわたしは動く歩道を歩いていた。。

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