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何もせずに休日が終わっても、反省すべきじゃない。必要なのは……

土曜日、気づいたら18時だ。今日は何もせずにダラダラした休日になってしまった。

平日の寝不足を解消するために12時ごろまで寝続け、スマホの無料マンガを見た後は昼ドラを見ながらラーメンを食べ、YouTubeの動画を半エンドレスで見続けていた。時々書かなきゃいけない原稿を進めたものの、集中力が保たれず、紅茶とお菓子を楽しみながらYouTube視聴を再開してしまった。そして気づいたら18時……。誰が見ても怠惰な休日だ。

またやってしまった……。本当はもっとやりたいと思うことがあった。書かなきゃいけないものとか、本とか、勉強とか。そのどれもまともに出来ないまま、貴重な土曜日の時間をダラダラと過ごしてしまった。罪悪感でいっぱいだった。

ただ、ふと思った。なぜ罪悪感があるんだろう?休日は自分のもので、どう過ごしたっていいはずだ。何もせずに過ごした休日に、なぜわたしは反省しないといけないんだろうか?

「やるべき」と「やりたい」は似て非なるもの

考えた結果、気づいたことがある。わたしは自分の中で勝手につくりあげた「あるべき休日」にとらわれてしまっているのではないだろうか?

たしかにわたしは、本来自由なはずの休日にたくさんの「べき」を作っていた。そしてその「あるべき姿」をクリアできなかった休日の自分を責め、罪悪感を抱いていたのだ。

▼わたしの「あるべき休日」の一例
・早起きするべき
・休日は読書をすべき
・YouTubeに夢中にならないべき
・1日中家にこもらず、外出すべき
・勉強すべき

この「やるべき」って、「やりたい」とはちょっと違う。本当にやりたいことなら自然に体が動いている(YouTube視聴みたいに)。やるべきと考えるのは、他人や周りの価値観に影響を受けて出てきた義務感なのではないか。あんまり認めたくはないけど、語尾に「べき」がついたものは、自分にとってものすごく重要なことではない。

早起きした日はとても気分がいい。でも10時ごろに1回起きて、また2度寝して、自然に目覚める12時までうとうとしているのだって楽しい。読書もスキだけど、一番好きなのは本屋をぐるぐる歩いて本を選んでいる時間だ。タイトルや表紙から中身を想像し、それを読み終えた自分の姿を描きながら本を購入する。その前段が本当は好きだったり。

YouTubeも昔からずっと大好きだった。視聴する動画のジャンルは日によって変わるけど、今日は不倫や嫌がらせなどの修羅場がメインだ。男女のLINEとかエピソードとか、短めの動画を何本も見た。(今日たくさん見てたのはこんなの↓。比較的しょうもない笑)

YouTubeには他人事だから楽しめる世界が広がっている。不倫やマルチ、出会い系、詐欺、犯罪、浮気など……。不幸コンテンツは、人間味があるので見る分にはとても楽しめるものだ。わたしはあんまり人が近づこうとしないドロドロした世界が好きで、無意識に人間臭い動画ばかりを見てしまっていたのかもしれない。

何もしない休日を反省するより「べき」を捨てよう

成し遂げられなかった「あるべき」の裏には、自分の意志や思いが隠れている。自分のやりたいことを無視してまで、守った方がいい「べき」なんてあるんだろうか?むやみに「あるべき姿」を守って罪悪感を持つのではなく、まずは自分の中にひそむ「べき」を洗い出してみるのが大事だと思う。

なんかムダに意識高い内容を書いてしまった…。まあ、たまには意識高くてもいいかも。3連休だし。

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