甲子園の土を持って帰る高校球児-700x459

「甲子園の土を持ち帰る文化」が失ったもの

1年で一番、土に注目が集まる瞬間だ。周りの土をかき集めて、両手で2~3回袋に入れた。袋の先端がとんがるくらい、土がぎっしり詰まっている。101回目の甲子園、負けたチームは泣きながら甲子園の土を持ち帰る。

甲子園の土を袋に入れる高校球児と、定番のシャッターチャンスに群がる報道陣。そんな映像を見ていた時、ふと疑問に思った。なんで甲子園の土を持って帰るのだろう?今では定番化した持ち帰り行為も、最初にはじめた先駆者がいる。なんでこんなにはやったのだろうか。

ちょうど70年前の福岡県のエースが発祥

ちょうど70年前の1949年、福岡の小倉北(現在の小倉高校)のエースの行為が発祥だった。

エースの福島選手は1947年春から6季連続で甲子園に出場し、5試合連続完封で夏の選手権を連覇していた。1949年のこの日は、3連覇を目指す最後の夏の甲子園での準々決勝だった。しかし肩を痛め9回で無念の降板、延長10回でサヨナラ負けをしてしまった。

その時、福島選手は無意識にホームベースの砂をズボンの後ろポケットに入れた。その光景があまりに印象的にうつり、その後、他の球児たちも真似するようになったと言われている。

大人に見つかると、大事なものが消えた「伝統」になる

甲子園のテレビを見た時、負けのチームが一心不乱に砂集めを始めていた。多くのカメラが構えている。まるで予定に組み込まれたパフォーマンスのようだ。あまりにもスムーズな砂集めの流れをみて、「球児たちは負けを見越して砂用の袋を持ってきてるのか!!??」とすら思ってしまった。実際はスパイクシューズ入れらしいけど、それくらい仕事のようにもくもくと砂をかき集める姿は何だか違和感があった。

「伝統」や「ブーム」になった途端、大事なものが失われて広まっていく。1人の高校球児が砂を思わず持ち帰ってしまったときの感情と、いまの甲子園でのパフォーマンスはやはり違ってしまっているだろう。2ちゃんねるやJK用語が大人に目を付けられ、ニュースで取り上げられたような感覚に似ている。

大人に目を付けられると、本来持つ美しさが変容してしまう気がする。そんなわたしも25歳、どう見ても大人だ。わたしが「いい!」と思ったものも、見つけた瞬間に輝きがなくなるんだろうか。。若い世代の文化にはあんまり立ち入らない方がいいのかもしれない。笑

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