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書くことは Vtuber だ

書くこととVtuberは似ている。

今日、会社で経営者の講演会があった。渋谷の講演会があったITベンチャーで、Vtuberのようなアバターを使ったサービスを提供している会社だった。YouTubeはよく見るけれど、たいてい東京03かサンドイッチマンのコントや、警察24時のようなドキュメンタリーばかりだ。Vtuberの動画は一度も見たことがない。全く馴染みのないジャンルだったけど、未知の世界を知れるのは面白いだろうと思って参加した。

ただVtuberは、身近にある「書くこと」の根底にかなり似ていた。

講演の中で印象的だったことばがある。(ちょっと曖昧だけど)

人は案外自分の体や歴史にとらわれて生きている。だからネット上で違う姿になり、声色を変えれば、全く違う自分をさらけ出せる。アバターによって魂の解放ができるのが、Vtuberの魅力だ。

今の自分から離れ、新しい姿に生まれ変わる。「人は簡単に変われない」というけれど、Vtuberの世界ではすぐに別人にもなれる。キャラや自分らしさにとらわれる人にとって、Vtuberは居場所であり救いだ。

書くことも同じだ。ことばの中では誰だって自由になれる。普段は自信のない内気な少女でも、文の中では猛々しく毒を吐いてもいい。男らしい人が、繊細で儚いエッセイを綴ってもいい。普段の自分は関係のない、全く新しい場所でことばを生み出せる。話し言葉ではそうはいかない。自分自身とは切り離して文をかけるのは、書くことの立派な魅力だ。

そういえばわたしも、かわいい女子になりきってチャットに参加していた過去がある。(名前は♥さやか♥みたいな)かなり頑張ってピュアな女子を演じたつもりが、結局真面目に声をかけてくる人はいなかった。。自分から完全に遠ざかってはだめなのかもしれない。。新しいって難しいな……

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