誰のせいにもしないのが会社の役目だと思ってたけど

朝日新聞映像報道部のTwitterをみて、社会人1年目の嫌な記憶がよみがえった。

朝日新聞映像報道部のアカウントにて、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)に隣接する投てき場が冠水しているとつぶやかれていた。冠水とは、洪水や河川の氾濫で土地が広範囲に水に浸かる状態を指している。

しかしつぶやきで「冠水した」と言われていたのは遊水地だった。洪水等で川が氾濫しそうになった時に、水を一時的に置いておく場所らしい。このつぶやきに対して、多くの人が「事実に反する」「新聞記者として知識不足だ」と批判が殺到した。

問題なのはここからだ。冠水とつぶやいた翌日、朝日新聞映像放送部のアカウントは掲載内容の誤りを認めて謝罪した。でもその内容が残念過ぎた。

確かに非を認めてお詫びしている。でも「取材者は正しく理解していたものを、内勤の者が誤解してツイートしてしまいました」と、この内勤の方だけのせいにしようとしているのが誰にでも読み取れる。きっと社内では、取材者(記者)が内勤よりも上だと考えられているんだろう。そうじゃなきゃこのつぶやきはできないんじゃないか。

いまは営業をしている私は、入社1年目の時は営業アシスタントとして内勤の仕事をしていた。主な仕事内容は、営業マンのサポートだ。アシスタントが社内で細かい作業がするから、営業マンは業務に集中できている。ただうちの会社は社長を含む役員の大半が営業上がりなのもあり、営業の力が圧倒的に強い。だから営業によっては、明らかにアシスタントを「下」だと思っていると感じる態度をとる人もいた。

ある営業マンから、「〇〇社の契約書はちゃんと送っているか?」と聞かれた。アシスタントのわたしに、営業マンが新規提携先との契約書を先方に郵送する業務を任されていた。証拠はないけど、わたしは確かに送った記憶があった。でも先方に届いてないと連絡があったようだ。念のため手元の書類を見てみたけれど、当然契約書はなかった。

あの時、わたしは普通郵便としてポストに入れていた。本来なら契約書は書留や信書として送るべきなので、リスクのある送り方をしたのは自分が悪い。でも契約書送付を頼まれた日、わたしは封筒を持ったまま会社を出て、会社の目の前にあるポストに入れた。先方側で紛失しただけで、わたしのせいじゃない可能性だってある。

しかし、営業マンはわたしが無くした可能性があると上司に報告していた。営業マンは悪くないので、当然の報告内容かもしれない。わたし自身も自分の記憶だけが頼りで、全く自信はなかった。それでも「私が悪い」と明確に人に言われるのは、怖くてしんどい気持ちだったのを覚えている。

今回の朝日新聞映像報道部のお詫びでは、不特定多数の人が見るTwitterという場で「内勤が悪い」と書いていた。言葉通り、内勤の方が100%悪いミスなのかもしれない。でもわざわざつぶやきに書く必要があるだろうか?誰が悪いかは社内の報告書に記載するのにとどめておいて、つぶやきでは「誤っていた」だけでいいはずだ。

私は今の仕事で、数えきれないくらいのミスをした。中にはすごく単純な表記ミスで、100万円以上の出費になったときもある。100%私が悪かった。そんなときも、上司や部長はわたしを責めはしなかった。そしてクライアントに会社として一緒に謝ってくれた。

故意でなければ、また個人情報流出など重大な事故でなければ、会社はミスを「誰かのせいだ」と社外に言うべきじゃない。会社は、日々頑張っている従業員を守る存在であってほしいな~と改めて感じる出来事だった。

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