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noteに出会って、クリエイターへの憧れが消えた

日本が誇るアニメ映画「天気の子」と花火大会には共通点がある。それは、それぞれを作り出したクリエイターがいることだ。

クリエイターがいなければ、天気の子も花火大会も、自分の目に入ることは永久にない。映画のエンドロールや花火のきらめきは、クリエイター1人ひとりの努力が積み重なってできたものだ。クリエイターたちはすごい。何かを生み出して、その作品で多くの人々の心を動かせるなんて。誰かが作ったものに感動するたび、「クリエイターっていいな」と思っていた。

ただその憧れは長く続かない。クリエイターはわたしにとって遠い存在だと思っていたからだ。デザイナーやアーティスト、芸術家のように特別な才能や経験がある人々がクリエイターを名乗れるけれど、わたしには何もない。なにかを作っても、それは遊びの延長線上で金銭的価値はない。わたしにクリエイターはむりだ。クリエイターは特別な人しかなれないんだ。自分を納得させるように言い聞かせていた。

noteでは誰もがクリエイターに

人生何があるか分からない。約1年前、わたしはなんとクリエイターになった。もちろん1年前に覚醒し、特殊な才能を手に入れたわけではない。でもクリエイターと呼ばれる人間になった。きっかけは、いま書いている「note」だ。

noteでは文章や写真、イラストを投稿する人をみな「クリエイター」と呼ぶ。noteはプロもアマも関係ないし、無料利用でも課金をしている人も関係ない。だれもがクリエイターだ。noteの運営企業である株式会社ピースオブケイクは、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」をミッションとしている。だからどんなものであっても、生み出す人はみなクリエイターと呼んでいるのだろう。

noteに出会ってから、「自分でもクリエイターになれるのか、なっていいのか」と驚いた。クリエイターは特別な人しかなれないと考えていたから。でもよく考えれば、”Creat(つくる)"という行為に才能はいらない。むしろ才能とか特別なものがないからこそ、つくってつくって、何個もつくっていって、だんだん特別を得るようになるのではないか。noteによって、考え方も少し変わってきた。

そして「特別じゃないからクリエイターにはなれない」はただの言い訳だと気付いた。だから自分の得意だと思っている文章で、クリエイターになろうと決意した。クリエイターになったばかりの頃は、あまりスキがもらえない時期が続いた。それでもクリエイターとしての自負を持って文章を書いた。何度も才能や根気のなさに愕然としたけれど、なんとか投稿をつづけた。

もはやクリエイターは憧れではなくて……

noteに出会って1年が過ぎた。結局まだ才能は手に入っていない。でもこの1年の間、ささやかながらクリエイターとしての喜びも感じさせてもらえた。いくつもスキをくれてフォローしてくれたり、わざわざコメントをくれたり、noteじゃない場所で記事をシェアしてくれる人がいたり……。映画や花火のような感動は与えられていなくても、「あーつくってよかった!!!」と思えている。

noteとの出会いで、クリエイターは憧れではなくなった。自分自身がクリエイターとなれたからだ。そして世の中にいる素敵なクリエイターは、憧れというより尊敬になった。自分がクリエイターの立場になって、ほんの少し近づいた気がしている。自分の勝手な考えでしかないけど、その思い込みで毎日が楽しくなったのなら文句はないだろう。あぁ、やっぱりnoteに出会えてよかった。

今後はnoteの外の世界でも、クリエイターと呼ばれる日が来たら……考えるだけでニヤッとした。いつか誰かに尊敬されるクリエイターになれるよう、これからも頑張っていきたい。

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