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先回りがやさしさとは限らない

「すみません確認したいことがあって、A……」
「Aさんからきたメールの内容だよね?」

先読みした行動は素晴らしいものとされている。相手が無駄に労力を使う手間を省き、意思疎通を簡略化できる。今年の上司と話すと、わたしが話す内容を先回りされる時がしばしばある。わたしは説明しなくて済んでいる。話す手間が省けて楽になっているはずだ。

でも先回りされてポジティブな気持ちは全くわかない。むしろせっかく用意したことばが行き場を失って、悲しいような残念なような気持を感じる。話を遮られると、わたしのことばが「いらない」といわれたような気がして、普段は話すのが苦手なのに「あ~あ、話したかったのに」と思って、ついついイラっとしてしまう。

ずっとまえの朝日新聞の天声人語で、こんな内容の詩が掲載されていた。「そんなに急かさないでください。靴を履かせようとしないでください。靴ひもを結ぶくらい自分でできるので、もう少し待っていてください」(全然文章違うけどニュアンスはこんな)

高齢者を見かけたら、声をかけて手伝ってあげるのが正しいと言われる。若い人より体が不自由だと思われるから。でもこの詩をみて、先回りがやさしさになるとは限らないと思った。自分がやりたいこと、できることを勝手に奪われるのはつらい。まるで自分の居場所を奪われているように感じる。わたしも言いたかった内容を先回りされてしまった時、頑張ってつくった報告書の中身を見ずに捨てられた気分になった。

先回りは、何かを捨てるのと同じだ。先回りするとつい「自分偉い!」「さすが自分、すごい」といった気持になってしまうけど、誰かの居場所を奪ってないか気を付けたい。

そして今度上司に相談するときは、さっさと用件をいって先回りされないようにしたい。「すみません」や「あの」のような枕詞は取っ払い、「Aさんのメールについてですが!!!」といってもいいかもしれない。ただ今度は自分自身が先回りしすぎてしまうかもしれないけれど……笑


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