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夫婦別姓を望むのはワガママなんかじゃない

苗字はただの文字じゃない。思い出がつまったことばだ。結婚を理由に、その思い出を手放すのは間違ってはいないだろうか。

10代、わたしは友達から下の名前ではなく、苗字の「はまかわ」と呼ばれていた。中学も高校も、同級生に同じ名前の「ゆき」という女子がいて、そのゆきの方が存在感があった。そのため自然とその子たちが「ゆき」と呼ばれ、存在感の薄かった私は自然と苗字呼びになった。ほとんどの女子が友達には下の名前で呼ばれるのに、わたしだけは苗字の「はまかわ」と呼ばれた。その例外感がうれしくて、わたしは苗字で呼ばれるのが実は好きだった。

あれから約10年、恋人と来年結婚する。そしておそらく今年の12月頃に入籍する。たぶん、入籍して恋人の苗字になるだろう。好きな人と入籍出来るのはうれしいし、相手の苗字も好きだ。ただ、結婚を機にいまの「はまかわ」の苗字を手放すのは悲しい。

恋人の苗字になるのが嫌ではないし、わたしの苗字で統一したいわけでもない。もちろん「女性差別だ!」とか言いたいのでもない。単純に、結婚したら苗字をそろえないといけないのはおかしい。なぜ苗字を変えないといけないんだろうか。そして、なぜ苗字を変える事実を、周りはすんなり受け入れられているのだろうか。

結婚して下の名前を変えろと言われたなら……

将来、結婚したら下の名前を変えなきゃいけなくなった。「浜川ゆきお」は、「浜川さやか」にしないといけない。もしそんな未来がきたら、相当数の人から猛反対に合うはずだ。

下の名前を変えてしまうと、過去を捨てて別人になった気がする。名前を変えるのは、親から与えられたプレゼントや思い出を捨てるのと同じだ。自分の名前を変えるなんて、ありえない!そんな風にみな怒るだろう。

苗字だって同じだ。もちろん苗字が好きじゃない、今すぐ変えたいって人もいるだろう。ただ一方、大事な苗字とともに人生を歩んできた人もいる。

わたしの苗字には、ことばの意味以上に大切なものが含まれている。大事な友人と過ごした10代の日々、そして10代の自分の考えや思い、挫折、成功、成長……「はまかわ」として生きた時間には、かけがえのない思い出がたくさんある。はたから見ればたった4文字の苗字を、なぜそこまで守るのか不思議かもしれない。ただわたしにとって苗字は下の名前の価値と同じで、その思い出が少し欠けてしまう喪失感が出てしまうのだ。

夫婦別姓はニュースの中の話しじゃない

ちょっと前、「夫婦別姓を検討するのさえ異常」と言われた女性の記事を読んだ。ニュースでは時々取り上げられるようになった夫婦別姓だけど、まだまだニュースの言葉でしかない。身近なテーマになるまでには至っていなくて、かなり残念な気持ちになったのを覚えている。

夫婦別姓を望むのはワガママではない。人によって理由は異なるけれど、苗字はわたしにとって大事な思い出で、この先もずっと歩んでいきたいから。「旧姓」として飾っておくんじゃなくて、ちゃんと自分の名前として生きていけるのが将来の理想だ。

先進国で夫婦別姓が認められていないのは、日本くらいだと聞いたことがある。結婚して新たな人生を歩もうと、生まれ持った苗字と過去の思い出とともに生きていったっていいんじゃないか。そんな立派な公約を掲げる議員がいたら、間違いなく選挙で投票するんだけどな……。

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