「東京にもきれいな星はあるんやで」

過去の栄光は?と聞かれたら、ぜひ答えたい話がある。中学生の時、女子中学生向けの雑誌(ピチレモン 2015年に休刊)が開催する文学賞で、小説部門のトップを勝ち取った話だ。

間近にひかえた漢字検定の勉強をそっちのけで、私は小説を書いた。自分のPCもない時代、何度も紙に書き直しながら小説を完成させた。物語は明るくない。周りから無視されていた女子中学生が屋上から自殺しようとすると、イケイケ系の女子に「死ぬの明日にしよう」と言われて町へ連れていかれる。そのイケイケ女子との時間を通して、主人公の心に変化が生じていく話だ。

エンディングは驚くほどしょぼいが、なぜか審査員の心に響いたらしい。わたしは小説部門の章をいただけた。

しばらくして、雑誌に結果発表が載った。ページを開くと、思ったよりわたしの名前は小さかった。その代わり、中央にはわたしより年下の女子の名前が大きくのり、頭に「大賞」と書かれていた。わたしは小説部門でトップだったけど、全体のトップはほかにいた。非常にショックだった。

「どうせありがちなポエムを書いたんだろう」と思い、親のPCから大賞の作品にアクセスした。平凡なポエムを見て、審査員の大人は何も分かってねぇと言うつもりだった。だけど大賞のポエムを読んだ瞬間、嫉妬や憎悪はおさまった。「なるほど、これが1位なのか」と素直に感じられた。

地方から東京にきた女の子。周りに知り合いは誰もいない。地方の友だちからは「東京なんて空気が汚いやろ」「地元の方がええやろ」みたいに言われる。たしかに東京はさみしくて、地方より周りが冷たいし、空気もキレイではない。でも、東京にもきれいな星はあるんやで。 ……と東京暮らしを前向きに考える内容だ。

だから内容はあいまいだけど、「東京にもきれいな星はあるんやで。」の文ははっきり覚えている。この文章は、私は一生思いつかなかっただろう。とてもまっすぐでキレイな言葉だ。

この時、生まれて初めて負けをちゃんと受け入れた。もちろん負けた経験は過去にもある。でもどこかで「負けるのは仕方ないよ…」とか「本当なら負けてないし」と逃げ腰の態度だった。でもこの大賞の詩を読んで、自分より上位になっているのは素直に納得した。そして負けを認めると同時に、「すごい」と尊敬の念をいだいた。

負けた相手をリスペクトできたのは、この時が初めてだ。負けた時は悔しがるのが正しい思っていた。たしかに悔しさをばねに頑張るのは大事だけど、負けた相手に敬意を示して敗北を受け入れるのも大事だ。そんな人生の教訓を、私は「過去の栄光」から学んでいた。

今ごろ書いた人はどこで何をしているんだろうか。こういう時、検索エンジンは役に立たない。でもいつかまた再会できるなら、負けを受け入れる大切さを教えてくれたことに感謝をしたい。

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