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会社への苦言が「指摘」になる人・「愚痴」になる人

「うちの会社は変わるべきですよね」

イラっとした。許されるなら、音楽ガンガンに流したイヤホンを装着したいくらい。隣に座った上司は、さらにその上の上司と話していた。会社にはこんな欠点があって、欠点の原因はこれで、こうなんなきゃいけない……話している内容は正しい。全く間違っている部分はない。それでも、上司の苦言は「指摘」ではなく「愚痴」に聞こえる。きいていてイライラする、黙れよって思ってしまう。

一方、同じ苦言でも別の人だとすんなり受け止められる。部長や他のグループ長が話すと、まっとうな「指摘」に聞こえる。相手が偉い人だからか?とも思ったけど、上司と同期のクールな女性が話していても、同じようにすんなり受け止められた。

「誰を見ているか」が最大の違い

同じ会社の悪口でも、人によってポジティブな「指摘」にもなれば、ネガティブな「愚痴」にもなる。その理由を考えた結果、その人が「誰を見ているか」によって変わるのではないかと思った。

①会社の悪口が「愚痴」になるケース

思い返すと、愚痴のように聞こえる人は欠点を他人のものとして語っていた。自分の不自由な思いを嘆き、「あの人たちはここがいけない、こうすべきだろ」と話している。正直、他人事として話している。

たしかに彼らの話す内容は間違っていない。でも他人への指摘は、道徳の教科書に書かれた一文のように当たり前の内容をことばにしているに過ぎない。教科書は中立的で、誰かのためにといった人情は込められていない。そのため他人事として出された苦言は、どうしても「愚痴」のようにネガティブに見えてしまう。

②会社の悪口が「指摘」に聞こえるケース

一方、会社の欠点を話しても「指摘」のように聞こえる人は自分事として話している傾向にある気がする。たとえば社内調整に苦労する部下だけでなく、その部下の調整先の部署の課題まで理解しようとする。「会社のこういうところがいけない。ただどちらにも~~~~という事情がある。だからこうなるべきだよね」といった感じに。

正直人徳や相手を好きかどうかもかなり関係していると思う。でも会社の悪口がポジティブに聞こえる人は、みな「分かってくれている」感が強い。ただ苦言を呈するだけではなく、当事者たちに共感をし、そこからさらによくなるための解決策を探る。自分たちをわかったうえでの発言であれば、苦言は「愚痴」ではなく「指摘」となると思う。

「分かってくれている」が伝われば好印象に

誰かを悪く言う苦言は、聞いていてい気分がいいものではない。でも会社をよりよくしていくためには、悪い部分に目を向けて「指摘」する必要がある。

指摘をするには、関係者の状況や事情を「分かっている」のが前提だ。つい管理職になったばかりだと、「マネジメントしなきゃ!」と言った気持で周囲の気持ちを忘れてしまうかもしれない。でも周囲への共感がないと、「あいつ自分のことばかり考えているよな」と愚痴を言っている人として扱われてしまう。

そもそも悪口なんて言わない方がいい。でもどうしても言わないといけないとき、周りへの共感を下敷きに話した方がいいと思った。以上、下っ端社員からの意見でした

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