他人を認める、褒めることは自分を肯定すること

ボクが高校生の時に1度、ピアノのコンサートに行った事があります。
かしこまったモノではなく、同い年くらいの男の子や女の子が出るようなヤツです。
有名なピアノのクラシック曲を数曲ずつ弾いて評価を受けるわけですが、かなりの練習を重ねたのだろうことが伺えました。

しかし、あの頃のボクは負けず嫌いの絶頂であり、弾いたこともある曲が数曲あったため、一緒に見ていた子とハードル高めの批評をしていました。

「あそこのフレーズはもっと気持ちを込めて…」
「少し丁寧さがないね」
「俺ならあーやって弾けるのに」

ホントに生意気という言葉を具現化したかのような物言いでした。
弾ける曲が数曲あったので、帰宅後、聴いた曲を試しに弾いてみました。
明らか発表した子より下手でした。
そんな事を認めたくないボクはこの曲は、今は弾けなくなっただけで、昔はもっと弾けたんだと思い込むようにしました。

言語化するとカッコ悪い。ホントにカッコ悪い。

今思えば、他人を認めるという行為は20代後半にならないとやってきてなかったように思います。
特にピアノなど自分もある程度自信のある分野では、誰にも負けないと思い込んでしまっていたようです。それは明らかに自分の実力が足りないことからくる嫉妬だったんだろうと思います。

ボクの性格的な問題もあったのかもしれませんが、凄いなと思ったことを素直に「凄い」とアウトプットする事に高いハードルがありました。
社会人になって、後輩ができて、そこでも渋っていたボク。

そんな時、会社の先輩がボクの仕事ぶりを褒めてくれました。
先輩は明らかにボクより、他のチームメンバーよりも知識量も作業量もコミュニケーション力も上なのにも関わらずです。
いや、むしろだからなのかもしれません。
ボクが以前書いた記事
「他人を認められるのはそれ以上の実力があるから」
という言葉に感動した旨を書きました。

見ていて、その先輩と同じチームにいる人は仕事の成長スピードが速かったのが分かりました。

その先輩や、前の記事で書いたキャラクターの言葉などの刺激を受けてボク自身も考え方が変わったと思います。
その先輩に会っていなければ今のボクはなかったなぁ、と。

他のチームの方々はこれまでのボクと似たように、他人を褒めるという事をしませんでした。
むしろ、新社会人の研修でも
「社会人は褒められる事が少ない。できて当たり前だからだ」
と釘を刺された事があるくらいです。
もしかしたら、それも正解かもしれない。

しかし、褒めるということはとの人を認めるということ。そして自分の実力も褒められるレベルにあるということ。
褒めないということは認めた事を伝えないということ。そして、自分の実力が足りないということ。

このような考えに切り替わってからは、素直に人を褒められるようになりました。
それが自分を肯定することにも繋がるからです。
そして、人と仕事をすることが楽しくなったような気がします。
後輩も育つようになった気がします。
どちらが良いのかの判断を強制はしませんが、ボクは素直に褒める褒められるをできる関係の方がメリットが大きいような気がしました。

最後に、注意書きとして・・・
ボクはいわゆる「褒めて伸びるタイプ(笑)」ではありません。
昔から何しても自分のペースにしか伸びませんでした。
それでも褒める、褒めないということの重要性はあると思います。
謙遜・尊敬・信頼という3つが大事だという話です。

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