矢野勇樹

地に足つけて、地球と遊ぶ。

矢野勇樹

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マガジン

  • 育児日記

    子どもと一緒に暮らす中でのあれこれを綴っていきます。

  • プレイワーカーとして

  • 子ども時代の記憶

    自分の子ども時代の原風景の記憶を辿ってます。

最近の記事

血を流して痛みを抱えているのは誰か

今感じていることを記しておきたい。 今日、妻の第三子出産に立ち会った。 息子たちが寝静まって、妻に「寝る前に下の息子がはじめてトイレでおしっこが出来たよ」、と喜びのLINEをする。そして、「子宮が伸びすぎて後陣痛(乳を吸われると子宮の収縮が発動する)が痛いよー」と返ってくる。ほっと一息つくと、立ち会いの記憶がよみがえってくる。 自分にとって、これまでになく、血に触れて血を感じる、お産の立ち会いだった。 薄暗い照明のもと、外の冷気とは打って変わって汗をかくほどの温かい6

    • 桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか―個人化をもたらすリベラリズムの暴力』序章:リベラリズムの暴力

      桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか―個人化をもたらすリベラリズムの暴力』 序章:リベラリズムの暴力 著者の静かな怒りが伝わってくる。私たちがこの社会を生き延びることは、なぜこんなにも難しいのか。なぜ親は家族の暮らしを維持するためにこんなにも忙しく働かなければならないのか、なぜ子どもはこんなにも教育過剰な日々を過ごさなければならないのか。 なぜ子どもは遊ぶ時間もなくこんなに忙しない日々を過ごさなければならないのか、と問うてきた自分と筆者の疑問は通底している。この社会は何

      • 存在を表現としてみる

        2か月前の研究会の感想を改めて書き残しておきたい。  研究会では、『責任の生成』を課題図書に、「使う」ということはどういうことか、をテーマに発表をした。その検討の際に、引用したのが、『つかふー使用論ノート』。  研究会の中の言葉で、一番印象に残ったのが、「存在を表現としてみる」ということ。これはどういうことだろう。  鷲田さんの論考を國分さんの論考と対比したときに、考えていたのが、鷲田の言葉の生暖かさ、「ヌメっとした感じ」と言えばよいだろうか、その目の前の他者を撫でるよう

        • 「書く」という特権

          本当に、あっという間の2年間だった。昨日、2年間通った大学院を卒業した。 自分の中で言葉になっていない、何かがあったから、大学院に行きたくなった。 大学院なのは、そこに、一緒に考えたい相手がいたからだ。それが、指導教授だった。 先生の本を読むたびに、自分が揺さぶられる、揺り動かされる、今までの考えに疑問符をつけたくなる。そして、違った自分になっている、読むたびドキドキしている。これは一種の恋である。恋をした相手には、会いたくなる。至極当然のことだ。 会って、話して、繰り

        血を流して痛みを抱えているのは誰か

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        • 育児日記
          8本
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          4本
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          1本

        記事

          棚を作りたいけど家が狭い人はどうすればいいのですか?

          家から一歩外に出て、場所を探しましょうベランダの棚を作りたいと思ったのですが、ベランダでは作れなくて、マンションの前のごみ捨て置き場の目の前の道に、ブルーシートを広げて作る。このゴミ捨て場の前が、ちょうど車の動線に引っかからなくてちょうどよい。 棚の部材は部分的に組み立ててあって、今日の作業は、①部材の組み立て、②ペンキ塗り、をすること。12時くらいからスタート。 当然子ども達に遊ばれるでしょう組み立てたらペンキを塗りぬり。 子ども達も塗りたいと言ってくる。汚れてよい服に

          棚を作りたいけど家が狭い人はどうすればいいのですか?

          キャピタルと一緒に渦に巻き込まれてしまった話

          ドクターキャピタルって知ってます? 知らない人には、ぜひ知ってほしい、ドクターキャピタル。 ドクターキャピタルとはドクターキャピタルは、JPOPを音楽理論に基づいて解説し、自分でも歌ってみちゃう音楽博士兼ユーチューバー。アメリカの大学で教鞭を取るガチの音楽博士が、なぜかJ-POPの解説動画を作成しまくっている。 さしずめ、黒船に乗ってやってきたJ-POPの伝道師である。 なぜ僕はキャピタルにハマってしまったかなぜ出会ったかは忘れてしまったけど、ネットサーフィンをしながら

          キャピタルと一緒に渦に巻き込まれてしまった話

          虫を見る眼

          遊び場によく来ていた。 生き物を見つけ捕まえることが、 好きなあの子。 彼はいつも、 首から虫かごをぶら下げ、歩いている。 そしてたいてい、 その虫かごの中には、生き物がいる。 バッタであり、カナヘビであり、 カマキリであり、カブトムシであり、 その季節に出てくる生き物は、 いつも彼と共にいる。 つまり、彼は生き物を見つけるのが上手い。 生き物がよく見えている。 僕が同じ時間一緒にカナヘビを探しても、 全く見つからなかったのに、 彼は同じ時間で何匹も見つけて捕まえる。

          虫を見る眼

          「見ようとする」から「見える」ことがある

          『土中環境-忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』、高田宏臣、2020年、建築資料研究所 自然環境に人間が手を加えることは、昔も今も変わらず行われている。しかし何故いま、自然環境の劣化が際立って叫ばれるようになったのだろうか?それは単純に工事の規模や内容が違うからだけなのだろうか? 庭師(造園家)の職域には、土中の環境を整える作業が含まれている。そこでは地中を通る水の動き「通気浸透水脈」や海中の「湧水」など、水が重要な役割を果たしている。古来より存在する土木技術はいかにして

          「見ようとする」から「見える」ことがある

          土砂降りの雨と自由

          【土砂降りの雨と自由】 今日の現場は、土砂降りの雨だった。 9時に門を開けると、片道1時間以上かけて通ってくる、小学6年生の男の子がいた。 たき火を1から自分でつけて火の面倒を見るのが彼のここでの好きな過ごし方。今日は土砂降りの雨の中、雨漏りする屋根の下で、ほぼ2人きりでたき火を始めた。 薪が湿っていてなかなか火がつかない。 着火してもいつもより煙が出てきて目に沁みる。 廃材置き場から濡れてない薪をもってきて彼にパスをする。慣れた手つきで斧で薪を割り、くべる。 一気に

          土砂降りの雨と自由

          出来る、わかる、だけを目指していていいのか?

          ふと、他者からの指摘で、自分が出来ないこと、わかっていなかったこと、わかろうとしていないこと、があらわになる。 実はその自分を知っているのに、隠そうとしていた自分があらわになる。 その時に、感じる恥ずかしさ、イラ立ち。 停止や停滞、何かと比べて後退している自分、を受け入れることへの防衛反応が出てきてしまう。 なぜ防衛してしまうのだろうか。 何かが出来ている、知っている、わかっている。 そういう自分であることが、自分と周りの他者、世界との関係の安定、不安定、また自分の

          出来る、わかる、だけを目指していていいのか?

          裁判所が問えない本当の責任

          3つ子の1人暴行死 母親に実刑 殺害に至るまでの、子育ての状況について、裁判を傍聴したNPO法人ぎふ多胎ネット理事長 糸井川誠子氏は、ブログで以下のように語っています。 15日の判決まで、毎回、傍聴してきました。 そこでは、誰にも頼れず、やっとの思いで発信したSOSも見逃さ​れ、孤立した中で、1800g、1800g、1000gのみつご​を懸命に育児してきた被告の壮絶な生活が明らかにされました。 一番小さく産まれ、ミルクの吐き戻しが多くてなかなか大きくなら​ない次男を大きく

          裁判所が問えない本当の責任

          【ドイツ訪問記】子どもの権利を根っこに繋がる

          2日目は、現地団体のカーラさんからミュンヘン市内の歴史についてレクチャーを受けながら広場の散策、そして「子どもの遊びの日」イベントで、ミュンヘン市内の約30グループに混じって、遊びのブースの出店と交流。 思ったことをいくつか。 ・子どもが遊ぶことが当たり前にある。 マリンプラッツ広場、というミュンヘン市庁舎が隣接する広場で、面白い光景を目撃した。 広場のど真ん中で、子どもたちがチョークアートをしていた。市庁舎が目と鼻の先にあるような公共空間で、なぜかチョークアートが始まっ

          【ドイツ訪問記】子どもの権利を根っこに繋がる

          「出産に立ち会う」ということ

          先週の火曜日、日本代表のベルギー戦の日、第二子が産まれた。23:19分、入院してからほぼ24時間後、難産?だった。 23:19に産まれて、そこから約2時間後25:30過ぎに病院を後にし、ベルギー戦を見た。ベルギー戦を見終わった後の感想は、「大迫、半端ないって、」ではなくて、 「助産師さん、半端ないって、」という感想だった。 「絶対に負けられない戦い」だったのに負けちゃったベルギー戦については、1秒で忘れ、僕は、出産という、「絶対に出てくるんだけど、いつ出てくるのかは誰に

          「出産に立ち会う」ということ

          真似る人

          息子は、真似る、をよくする。 父がやること、母がやること、おじい、おばあがやること、家族のやることを、とにかく真似てみている。 息子(1歳2ヶ月)は、朝起きると掃除をする。ゴミは取れない。なぜなら、掃除機のヘッドだけを動かしているからだ。 息子は、お菓子の袋を僕から奪うと、ゴミ箱に入れる。たまにお爺の小さな黒い筆箱もゴミ箱に入れる。手のひらに収まるものを持つとゴミ箱に入れたくなるのだ。 息子は、ジョウロでお花に水をやる。フリをする。なぜなら、水が入ると持てないからだ。

          真似る人

          川の記憶

          朝の7:30、保育園に向けて、車を走らせる。保育園までの道のりの中に、飯能河原という僕の住む街を流れる大きな川が、眼下に見える道路がある。家から車で走って3分もしない場所だ。 物心ついた頃から変わらない、僕の原風景。15年前も、川は変わらずにそこにあって、変わらずに緩やかに流れていた。 川で遊ぶことは、夏の日差しに包まれた僕らにとって、日常だった。海に行くことは、ディズニーランドに行くような一大イベントだったけど、川に行くことは、家の近くのスーパーに行くくらい、お手軽なこ

          川の記憶

          ネガティヴ・ケイパビリティ

          ネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。 この言葉に初めて出会ったのは、プレイワークに関する海外の文献の中でだった。 その中で、プレイワーカーとして重要な資質、あり方とは何か、という文脈で、はじめて、このnegative capabilityと

          ネガティヴ・ケイパビリティ