見出し画像

高校生に「大学に入ってよかったと思いますか?」と聞かれて戸惑った話。

今日、センター試験を終えたばかりの高校生にこんな質問をされた。

大学に入ってよかったと思いますか?

僕はその場では「よかったと思う」と答えたが、帰宅してからいろいろ考えたとき、今の時点でよかったか悪かったかジャッジできないなと思った。

大学は人生の終点ではなく、途上に過ぎない。未完全な若者が集まる場所だ。当然僕も未完全な人間。大学に入ったら完璧な人間になれる、なんてことは決してない。大学に入ったら人生バラ色なんてこともない。結局長い人生のなかで大学生活の学びをどう意味づけするか、それによって大学の入ってよかったか否かがわかると僕は考えている。

今の時点では良いと思っていても、後から後悔したり、その逆もありうる。

ただ、卒業まであと2ヶ月を残すのみとなった身として、大学生活を振り返ってみて、大学に入ってよかったんじゃないかなと思う節がいくつかある。

大学に入ってよかったことを2つほど紹介したいと思う。

1. 失敗を味わえた

僕は、大学は死なない位程度の失敗を安全に経験できる場所だと思う。

例えば大学時代に立ち上げた学生団体やサークルで失敗したところで人生台無しになるわけでもないし、飯が食えなくなるわけでもない。

僕は、大学生で失敗しかしていない気がする笑。

無言で部活を辞めたり、彼女に振られたり、フィリピンの大学生とのプロジェクト立ち上げに失敗して引きこもりになったり、退学しかけたり・・・。

でも僕は死んでいないし、失敗で飯が食えなくなったことはない。

小中高ではなるべく失敗せず、100点を取るよう教育されてきた。だから大学生になっても失敗を恐れて行動できない人が多い。僕もその一人だった。でも一回失敗してわかったことがある。

「その失敗、気にしてるのお前だけだよ。」ということ。

人は失敗をすごく過大評価して捉えがちだ。

失敗したことが世界の環境問題に影響を及ぼすが如く。でもそんなことは決してない。

一大学生の失敗なんて、1日も経てば誰も覚えちゃいない。ある意味、無力だ。一方、恵まれているとも思う。大学生にとって失敗は財産だ。一生の財産になる失敗を、ほぼノーリスクで経験できるのは大学生の最大の恩恵と言えるだろう。

2. 自分と向き合う時間が取れた

晴れて大学生になれた暁には「余るほどの時間」という特典が用意されている。

考える時間は腐る程ある。こんなに何も気にせず思考できるのは大学生の最大の特権と言っていいだろう。

高校3年間を思い出してほしい。先生に言われるがままに大量の課題をこなし、辺りが暗くなるまで部活に明け暮れ、家に帰ったら友達とLine。ゆっくり考える暇なんてなかったはずだ。

それが、大学生になったら時間しかない。

僕は今思えば無駄だな〜と思うくらい考え事に没頭していた時期がある。

大学1年の秋ころだ。部活をやめようか、辞めた後はどうしようか、自分は大学で何をしたいのか、そもそもそれってやる意味あるのか、など終わりのない議論が僕の脳内では四六時中行われていた。

時には自転車に乗りながら、時には家の近くの川沿いを散歩しながら、時にはカメラ片手に町歩きをしながら、ひたすらに思考を巡らせた。

あの時間、もっと友達とわいわい酒でも飲めただろうに。あの時間、もっとサークルでわちゃわちゃ楽しくできただろうに。僕は大学生というモラトリウム期間を「考える」ことに使ってしまった。

それがよかったかどうかは今はわからない。

でもはっきり言えるのはあの時考えることを諦めなかったおかげで、僕は自分の気持ちに素直に従って行動できるようになった。

どうでもいいこと、非効率で、非生産的なことを考えられる時間は本当に貴重であると思う。

社会人になったら効率で生産的、現実的なことばかりを優先して考えることになると思うから。

もう一度、冒頭の話に戻るが、「大学に入ってよかったと思いますか」に対する答えはもちろん人それぞれだし、立場によって意見が異なると思う。

自分がもし教員だったら「うーむ。わからないわ。」なんて言えない。何らかのアドバイスをしてあげなきゃという気持ちになると思う。

でも今の時点での僕の答えは「うーむ。わからないわ」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?