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敵基地攻撃能力は本当に違憲なのか


そもそも敵基地攻撃能力とは

敵基地攻撃能力とは、文字通り敵基地を攻撃する能力のことです。反撃能力も同じ意味です。例えば日本と中国が戦争になったとき、日本は中国の軍事基地を攻撃していいでしょうか。敵基地攻撃能力が認められれば、必要性があれば中国国内のミサイル発射基地等を攻撃することが許されます。逆に敵基地攻撃能力が認められなければ、中国の基地から日本にミサイルが飛んできたとしても日本は反撃できず、日本上空でミサイルを迎撃するしかありません。

具体的に敵基地攻撃能力として想定されているのは長距離ミサイルなど、敵国本土に到達することのできる長距離打撃兵器です。

ここで問題となるのが、憲法9条1項です。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

憲法9条1項

それでは、まず最初に敵基地攻撃能力否定派の代表である日弁連の主張と政府見解をそれぞれ紹介し、その後に憲法学者である私の見解を述べたいと思います。

日弁連の違憲論

敵基地攻撃能力に関する日弁連の公式声明を見てみましょう。

憲法9条のもとでは、自衛権の行使は、外国の武力攻撃を日本の領域から排除する ために必要な最小限度のものに限られます。

だから、敵基地攻撃能力や反撃能力を持つことは許されません。

弁護士と一緒に考えてみませんか 敵基地攻撃能力や反撃能力を日本は持ってよいのか?

上の説明は一般の方向けのシンプルなものですが、詳細な内容はこちらです。

以上のとおり、政府が現在進めることとした「反撃能力」の保有は、憲法 9条の規範的・現実的解釈として、政府が積み重ねてきた憲法規範としての 個別的自衛権発動の3要件に照らしても、また、同条2項の戦力の不保持と 他国の領域に直接脅威を与える攻撃的兵器の禁止の原則に照らしても、憲法 上許容されない。これを認めるならば、戦争を放棄し、戦力を持たないとし た憲法9条の恒久平和主義は空洞化し、専守防衛は名のみと化し、日本は武 力の行使の制限規範を失って戦争をする国家へと大きく変容してしまう。

「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」の保有に反対する意見書

いずれにせよ、日弁連は、敵基地攻撃能力の保有は憲法9条違反だと明言しています。

政府見解

続いて、政府見解を見ていきましょう。

わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。

昭和31年2月29日 衆議院内閣委員会 鳩山総理答弁船田防衛庁長官代読

政府によれば敵基地攻撃能力は「法理的には自衛の範囲に含まれ」るため、憲法違反にはならないということです。日弁連の主張と真っ向から対立していることが分かります。

私見

それでは、日弁連と政府見解はどちらが正しいのでしょうか。

日弁連のロジックによると、必要最小限の自衛権の行使が憲法上許されることを前提に、敵基地攻撃能力は必要最小限の反撃を超えるものとして許されない、としています。

それに対し、政府見解は、一部の例外的な状況下において、敵基地攻撃能力は必要最小限の措置として自衛権の範疇に含まれ、憲法違反にならない、としています。

つまり、日弁連も政府も、必要最小限の自衛権の行使が認められることを前提に、敵基地攻撃能力の保有が「必要最小限」と言えるかどうかを問題にしているわけです。そして日弁連は敵基地攻撃能力の保有は必要最小限を超えるとしているのに対し、政府見解は一部の状況下では必要最小限の措置もありうるとしているわけです。

ここからは私の見解です。そもそも、どのような措置が必要最小限と言えるかどうかは、時代や国際情勢によって左右されるものだといえます。日本国憲法が制定された昭和20年代であれば、長距離兵器がそこまで発達していなかった時代ですから、本土上空の迎撃で事足りたのかもしれません。

しかし現在はミサイル兵器が発達し、たとえばウクライナ戦争では発電所などを意図的に狙ったミサイル攻撃が激しさを増しています。そのような場合に、敵基地攻撃が許されないとすれば彼我の差は圧倒的になり、専守防衛すらままならなくなってしまうのではないでしょうか。仮に敵基地攻撃能力が認められないとしてしまえば、中国やロシアはその弱点に漬け込んだ攻撃を仕掛けてくるに違いありません。

以上からすれば、現代の戦争においては、敵基地攻撃が必要最小限の反撃と呼べる場面も存在しうると考えるのが自然な気がします。

日弁連の違憲論というのも、よく読むと法律論というよりイデオロギー色の強いお気持ち表明になっています。

さらに、当連合会が一貫してその違憲性を指摘してきているいわゆる安保法制が施行されている現状において、集団的自衛権の行使などを通じて日本が戦争当事国になる危険が拡大している。その安保法制の下で日本が「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」を保有した場合、それが他国のために用いられて戦争に突入することとなる危険性がより一層高くなる。

そして、個別的自衛権の行使にせよ集団的自衛権の行使にせよ、相手国の領域を直接攻撃する「敵基地」等への攻撃は、当然に相手国の反撃を招いて武力の応酬に直結するものであり、その結果は多大な国民の犠牲と広範な国土の荒廃を伴って、再びこの国に戦争の惨禍をもたらすことになりかねない。

日弁連HP

日弁連は集団的自衛権が認められないという国際法的に奇妙な立場に立っていますが、それを前提に、敵基地攻撃能力の保有が戦争に結び付く、という独自の理論を展開しています。そもそも敵基地攻撃能力は相手の攻撃があった時に反撃の手段として検討されているものですから、敵基地攻撃能力が原因で戦争が始まるというロジックは成り立ちえません。これはむしろ敵基地攻撃能力ではなく先制的自衛が認められるかという問題と関係しており、日弁連はこれら二つの論点を混同しているといえます。

それに対し、敵基地攻撃は法理的には可能という日本政府の立場にはいくつかの条件が付されており、それらは、国際法上の自衛権行使の要件も適切にふまえたものであると評価できます。

結局のところ、日弁連は法的にいびつな主張であることを認識していながら、あえてこのような違憲論を展開しているのでしょう。果たして強制団体がこのような不正確かつ極めてイデオロギー色の強い公式声明を発表することに問題はないのでしょうか。

最後に、敵基地攻撃能力の関する日弁連の別の主張を紹介して終わりにしたいと思います。

そして敵基地等への攻撃が実際に行われた場合の 結果の重大性が直視されなければならない。

日弁連HP

日弁連は敵基地攻撃が行われた場合の敵国における被害の重大性には目が回るものの、敵基地攻撃が行えない場合のミサイル攻撃などによる自国における被害の重大性には目が回らないのでしょうか。








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