見出し画像

治療に決定権はないが、病棟看護師が工夫できること。

誤解を恐れずに言えば、今の仕事はルーチンさえ覚えてしまえばそこまで頭を使わなくてもある程度できるようになるし、手を抜こうと思えばいくらでも楽することができる。

でも、私はやるべきことを業務として最低限こなすだけの仕事をするなんてすごくつまらないし、貴重な自分の時間がもったいないと思う。

よりよいアウトカムを出すために、さらに工夫できることはなんだろうか?
何を身につければ、何を変えれば、私の看護はもっとよくなるだろうか?

今の職場で働き始めてから、今まで以上にそれらを強く意識するようになった。

「看護は、アートなのよ」

大学3年生のとき最初に所属した成人看護学の研究室の教授が話してくれたこの言葉は、私が資格を取るだけじゃなくてやっぱり本当に看護師として働いてみよう、と決める後押しをしてくれたものの一つだ。

あの頃は「できる看護師って、決まったことをやるだけじゃなくてクリエイティブなんだ。すごいな〜」くらいにしか思えなかったけど、今ならあの先生の言葉の意味を、私なりの看護観で味付けして、理解をもう少し形にできるように思う。

仕事の裁量内で、看護師が工夫できること

私が働く病院は、とにかく回転が早い。それはつまり、入院期間が圧倒的に短い。

変則2交代勤務で働く私たちは、プライマリーナーシング制ではなく、受け持ち患者を日ごとに変えながら全員で病棟内の全患者を見るようなシステムを採用しているので、平均4〜7日間の入院期間で自分がその患者さんを担当するのは1〜2回、ということもざらにある。

患者さんが周術期を過ごす間、自分が受け持つこの1日で、より安全で安楽に過ごし、退院したあとの人生をよりよくするために、どうすれば最大限の療養の援助ができるだろうか、と一通りの仕事を覚えてからはよく考えるようになった。

実際、看護師に決定権があることなんてほとんどない。

その中で、自分の裁量で工夫できることのひとつとして、私は術前のオリエンテーションの仕方をまずブラッシュアップすることにした。

オリエンテーションで、何をどう話すか

入職してすぐの頃は、術後の経過を自分自身があまりよくわかっていなかったこともあって、クリニカルパスに書いてあることをほぼそのままなぞっているだけだった。

こんな説明の仕方はくそだなと自分でもよくわかっていたので、早く実のあるオリエンテーションができるように、先輩たちの説明にこっそり聞き耳をたてたものだった。

今では最低限わかっててもらわないといけないことを説明するだけではなく、相手の年齢やキャラクター、理解度に合わせてこの入院期間にどんなことが起こるのかをできるだけ具体的にイメージできるようなオリエンテーションを心がけている。

いつから食事が食べられるようになるのか。
いつから、どのように離床できるのか。
どれくらいの痛みが予想されるか。
術後の苦痛にどんな対処法を用意しているか。
創部はどんな状態になるか。

あまり詳しすぎても話の要点が相手の頭に残らないし、やたらと不安を助長させるのも本意ではない。

人によってはどっちでもいいこともあれば、他の人にとっては眠れないくらいの心配事だったりもする。

もう全部先生におまかせのつもりです、と何を話しても右から左の人もいる。

本人は人ごとのような顔をしているのに対し、ご家族のほうが熱心に色々話して質問してこられることもある。

同じ術式、同じクリニカルパスを説明するにしても、どんな説明の仕方が一番効果的かはその人によって全然違うなと、ルーチン色が比較的強い整形外科で働き初めて改めて実感するようになった。

聞かれる前に、不安にさせない配慮をしたい

「これから何が起こるか、ある程度の予測を立てる」というのは、私たち医療従事者が普段当たり前にやっていることだ。

だから、ともすれば「これからどうなるのか、何をしなければいけないのか、本当に全くわからない」という患者さんの気持ちを置いてけぼりにしてしまうことも、業務に追われて忙しいときなんかは特に起こりがちだ。

術後3時間は飲水できませんよ、とオリエンテーションのとき絶対に、間違いなく説明しているし、パスにもはっきりと書いてあるが、麻酔から醒めてまだ朦朧としている患者さん、無事に終わる前提ではあるけどやっぱり心配ではあるご家族の方の頭に、一体どれだけ残っているだろうか。

術後の定時観察で訪室するとき、大体は問題ないのでさらーっと終わってもいいのだが、私はなるべく今どの段階で、あとどれくらいで何ができるかを患者さん本人に、そして付き添っているご家族にいちいち言うようにしている。

「今で、お部屋に戻ってきて1時間くらい経ちましたよ。まだ眠いですが、あと1〜2時間でだいぶ目は覚めてきますからね」

「あと1時間ほど経って、お腹がしっかり動いてたらお水飲めるようになりますからね」

そんなの、当たり前のことだと思うかもしれない。

それに別にいちいち言わなくても、気になるならば向こうから聞いてこられることがほとんどだ。

でも、聞きたいけどなんか遠慮して聞けない人がいるというのも事実だ。

本来なら、相手が不安を感じて、タイミングをうかがったり、気をつかったりしながら質問しなければいけない状況をそもそも作らず、ただ安心して時間を過ごしてもらえる環境をちゃんと整えておくのがよりよい看護だと、私は思う。

こういう配慮をしたからといって、特別感謝されたり褒められたり評価に影響したりはしない。だけど、そういう問題じゃない。

私は、よりよい医療従事者でいたい。

知らないことやできないことはまだまだたくさんある。そもそも私が何を工夫したところで、病院全体としてはどうでもいいこともたくさんあるだろう。

でも、だからこそ、今目の前の患者さんのために、自分が責任を果たす範疇で、できることはできるだけ遂行したい。

どんな言葉をかけるかを工夫する。

これは、「看護はアート」という恩師からの言葉の、私なりの実践の一つだ。

読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、他のクリエイターを応援するために使わせていただきます。