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かつてmixiとアメブロは、こころを癒してくれた。

私が大学1年のころ、mixiがはやっていた。

それまでは自分の頭の中にある考えや気持ちをわざわざ文章にして人に見せる機会なんて作文くらいしかなかったが、書いた文章に友達が同調するコメントをくれたり、励ましてくれたりするmixiは、私にとってセンセーショナルな喜びと刺激を与えてくれるもので、気づけばどっぷりハマっていた。

そんな中、毎日mixiにアクセスしているうちに気づいたことがある。

それは、誰かと顔を合わせて話す言葉と、画面(と、自分自身)に向き合って語る言葉には、けっこう大きな差があるということだ。

あの子は意外とこんな一面を持ってたんだ。

あの人はこんなフレーズや語彙を使って物事を考えるんだ。

ある意味一方的な文章を書くという作業は、双方向へのコミュニケーションよりもいっそう、人の思考の深さや色や温度を如実に表すのではないかと思う。

mixiからアメブロへ

大学3年になった頃には、周りのmixiへのログインも徐々に減っていった。

私は看護学専攻の学生として、臨床実習が始まった。

実習は忙しく、嫌なことも多く、ストレスが大きかった。

あと数日でひとつのタームの実習が終わる(確か、外科実習のとき。私は整形外科で実習をした。まさか自分が将来整形外科ナースになるなんて・・・あのときは思いもしなかった)頃、あまりにもストレスが溜まって、もやもやして、特定の誰かじゃない誰かに私の気持ちを打ち明けたくて、勢いでアメブロを始めた。

身近な友人が見ていたり見ていなかったりする絶妙な半プライベート・半公共のような場所に文章を綴るのは、なぜか本当に楽しくて仕方なかった。

キーボードに向かって考えるでもなく頭を動かしているうちに、なんとなくスッキリせずもやもやした気持ちに言葉が当てはめられ、並べられ、意味をなす文章として整理されながら自分の中から外へと排出されていく。

鍵付き日記帳ではなく一応人が見ている場なので、あまりにひどい毒舌や、人の悪口や、ただただネガティブなだけの文章はさすがに書けず、どれだけ病んだ気持ちで書いた文章も、最後はなんとなく前向きに締めくくられていた。

今から考えれば、それがよかったんだと思う。

多少無理したとしても、前向きな結末に終着した文脈は、間違いなく自分から発っせられたものだったから。

書いて、自分が書いた文章を読んで、納得して、文字通り気持ちの整理がつくことも多かった。

私にとって文章を書くことは、お気に入りの入浴剤を入れた湯船で半身浴しながらふくらはぎのマッサージをしているようなものなのだ。

毎日コラム更新!

私は今、「スポメディ!」というメディアを運営している。

一応主張したいのだが、スポメディ!は私のブログではない。

spomedi.net

もちろん私の思考や意見は大いにはみ出してしまっているかもしれないが、基本的なスタンスとしては私自身に起こったことの日記やログ的なものではない。

誰も私が日記ブログを書いたところで興味はないだろうし、これはこれで大いに意義があるものだと思って更新している。

が。

やっぱりこういう気持ちもある。

「もうちょっと、自分の脳内ダダ漏れみたいな、その時思っていることを自由に書く場所が欲しい。。。」

みんなが面白いと思わなくてもいい。

ただ、私は頭の中でもやっている微妙な感情を、言葉で捕まえて整列させることで救われてきた過去がある。

最近ちょっともやることが増えてきた今こそ、あの手法を再現するときではなかろうか。

毎日文章を書くと何か見えそうな気がするし。

何かってなんだって感じだけど。

もちろん忙しい日もあるので、なるべくハードルを上げないように文中への挿絵(画像)はなしでいきます。

また、ひとつのエントリーにいろんな話がごちゃるのは美しくないので、できる限り1記事1トピックでまとめます。

よければゆるくお付き合いください。


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