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友人の幸せを、心から嬉しいと思えることが、とても尊いと思った。

私は一人では生きていけないから、家族はもちろんだけど、いつも周りにいてくれる友達の存在には本当に助けられている。

でも、ネットが発達しすぎた現代に大人になって、そんな大切な友人たちの幸せそうなSNSの投稿を、心から喜ばしい気持ちで受け止められない時期というのが私にもあった。

特に、アメリカ留学時代。

自分の貯金を切り崩して学費と生活費全てをまかなっていた私は、常にお金がなくなる不安で押しつぶされそうだった。

しかも、私が渡米してから円安がみるみる進み、頑張って貯めた日本円の価値が勝手にどんどん下がっていってしまうというさらに悲惨な状況だったから、私は日々全力で節制し、食べ物をひとつ買うのにめちゃくちゃ神経を使っていた。

図書館で勉強しているとお腹が空きすぎるけど、カフェテリアで気軽に食事なんかとれなくて、実は学内の人目につかない場所にある「貧しい学生に食べ物を寄付する部屋」から、こっそりスナックやレトルト食品をもらってきて食べたりしていた。

そもそも海外の大学院に通って、教育を受けるお金を払えている時点で"貧乏"ではないので、そこまで自分を情けなく思う必要はないのかもしれない。

だけど、日本で社会人をやっていたころの「一人の自立した大人」としての生活基準を大きく下回る心細い日々は、ただでさえストレスフルな海外生活にチャレンジするぎりぎりの精神状態に、さらに追い討ちをかけた。

私がアメリカにいたのは、20代後半の、一番お金もエネルギーも時間もある年代。

同世代の友人たちは、おしゃれなカフェでのランチ、高そうなお店での頻回の飲み会、国内外の旅行、派手な結婚式、子育て向きの広い家・・・なんかの写真をばんばんSNSにアップしていた。

誰かを妬(ねた)ましい、とまで思ったことはない。

でも、食べ物も着るものも自分が望むレベルのものを買えなくて、美容院も行けず、毎日ほぼすっぴんでフーディーにスウェット、ぼろぼろのスニーカーにぼろぼろのバックパック、毛先だけ明るい色に伸びきったぱさぱさの髪で学校と実習先と家を往復する生活をしている自分と、周りのキラキラしてる友人たちの日常とのギャップを目にするのは、やっぱり辛い部分もあった。

正直にいうと、アメリカにATCになるために来ている他の日本人学生たちに対しても、思うことはたくさんあった。

彼らは、年は23〜28歳くらいの当時の私とそう変わらない年代の人たちが多かったが、日本で税金を払って社会人を経験したことはなく、学費や渡航費や生活費などのもろもろのお金を親が負担していることが多かった。

「お金のことは気にせず、勉強に集中するため」
「好きなことをやらせてくれて、いつでも応援してくれる親に感謝」

と、彼らは口を揃えて言う。

それについては、全く否定するつもりはない。いいことだと思う。

でも、一方の私は、フルタイムで働き、毎日2〜3時間残業し、月に5回、休憩ほぼ1時間しかない夜勤をしながら、できるだけキャリアに穴を開けずにすむように必死にTOEFLの勉強を同時進行でやった。

英語力がつくまで最初は語学学校に通う、なんて余裕ぶっこいてられなかったから、英語は話せなかったけどいきなり大学院に出願した。

家族に留学の目標を話しても全く理解されずにめちゃくちゃ否定され、退職後も一人で暮らして勉強と準備をした。

社会人の3年間で貯めたお金で、学費も航空券も生活費も全部自分で払い、

留学してからも前年度の年収によって徴収される日本での市民税や住民税の請求書の支払いをし、

勉強と実習をしながら3つの仕事をかけもちし、

一回だけB取っちゃったけど(笑)あとは全部Aで単位を取り、成績優秀のスカーフをもらって大学院を卒業し、BOCをパスして、やっと目標だったATCになった。

誰にだって人には見せないいろんな事情があるものだから、自分だけが辛いけど頑張った!なんて言うつもりはない。

自分一人で全部頑張ったんじゃなくて、もう感謝してもしきれないくらい、たくさんの人のサポートや優しさや割いてくれた時間のおかげで、留学生活を乗り切ることができたのは私も同じ。

ただ、お金も稼がないといけないことを、成績が下がる言い訳には絶対にしない。というのは、自分との誓いだった。

全部自分で選んだ道だから、辞めたいと思ったことなんてないし、別に不幸ではなかったけど、本当のことをいうと留学生活はすごく苦しくて、つらくて、ストレスフルで、心の底から笑える瞬間なんて留学後半になるまで冗談抜きでほとんどなかった。

いつも絶対に負けるか、くじけるもんかって歯を食いしばって、"優秀な日本人学生"という理想に手を伸ばし続けて、なりふり構わず必死に戦ってた。

大人になってから、悔しくてあんなに泣くことも、留学していなかったら絶対になかったと思う。

毎日精神的にぎりぎりで、苦しかったから、友人の幸せを一緒に笑ってあげられる余裕がなかった。

そのことが、余計につらかった。

人の幸せさえも喜べないなんて、自分は心の狭い、嫌な奴だ。

ださくて、弱くて、かっこ悪い自分が情けなくて、醜いと思った。

あれから、もうすぐ3年になる。

今だって別に完璧な人生じゃないけど、私は今、やりたいことをひとつずつ実現できている日々にとても満足していて、幸せだ。

最近、昔からの友人とメッセージのやり取りをしていて、2人目の子どもがこんなに大きくなったよとか、家を買ったとか、仕事で昇進したとか、素敵な人と出会って結婚したとか、旅行したとか、そういう人生に起こる色々な素敵なことの話を聞けるのがとても楽しい。

何より、私が大切に思っている友人たちが、幸せそうな顔をしているのを見るとこっちまで嬉しくなってしまう。

こういう気持ちを取り戻せたことが、純粋に嬉しいし、とても尊いことだと思う。

もしかしたら、これまで余裕がなさすぎた私の態度や言動で嫌な気持ちになったことがある友人も、少なからずいるかもしれない。

すごく申し訳ないけど、そういう部分も含めて変わらず友達でいてくれる彼らには、心から感謝している。

友人の幸せを一緒に喜べることがこんなに幸せなことだと、改めて実感する。

こうやってパブリックな場所に書いているから、こんな言葉もどこまで本気でそう思ってんねんと見える部分も、もしかしたらあるかもしれない。

でも、友達が幸せで、本当に嬉しい。

その気持ちは本当。

わざわざ時間を作ってこんな記事を書くくらい。

そして、そう心から思える自分のことを尊敬するし、あの頃の何倍も好き。


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