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私がATCを目指したモチベーションの話。「資格を取る」より大事な、20代でやっておいてよかったこと

私がATC(アメリカのアスレティックトレーナー)になろうと思ったのは、内へ内へと閉ざされていた(ように感じていた)病棟看護師という働き方と生き方が、心底息苦しくなったからだ。

もちろんその後のビジョンはぼんやりとあったけど、どちらかといえばもっと「今いる世界から、とにかく脱出しなければ」という現在を否定するような気持ちや、焦燥感に煽られて発揮されたエネルギーだった。

当時の私は「テーピングを巻く」という行為が一体どういうことを意味するのかを見たこともないくらい"トレーナー"のことを何も知らなかったし、ましてや英語なんて話したことがなかった。使うために英語を勉強したことなんて人生で一度もなかった。

大学院を受験するまでのTOEFLの勉強をする日々は地獄のような苦しみだったし、アメリカの大学院での数年間も、心からの笑顔が消えるくらい余裕もなければ、心底メンタルがすさんでいた。

だから、その思いつきと出会ったのがもしも今だったとしたら。

「スポーツ医学をもっとちゃんと勉強したいなー。どうせなら本場のアメリカに行って、ついでに修士号も取っちゃおうかなー」なんて、もう絶対に思わなかっただろう。

29歳の今なら200%行っていないし、おそらく今から学校に通うことも考慮していない。あそこまで苦しい思いをしてまでATの能力と資格を手に入れるくらいなら、もっと別の道を考えたんじゃないかと思う。

あの若さで、あの状況だったからできた。

自分の活力と環境のタイミングがばっちり合ったからこそ、目標をクリアし今の自分の人生があるんだと思う。

ただし、それはただただ偶然に感謝するばかりではない。

少なくとも、25歳の私は"それ"を明確に予測し、意識していた。

「今を逃せば、もうこれにトライするチャンスは二度と来ない」と。

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親には留学を全力で反対されて職場の寮を出た後も実家には戻らなかったし、身近な人には誰にも話せなかった。

仕事を辞めてから試験結果と出願が出揃うまで一人で過ごした約5ヶ月間は、2交代勤務をしながらTOEFLの勉強をしていたハードな病棟看護師時代よりもあまりに辛く孤独で、ニートな状況を人に聞かれるのも嫌でほとんど誰にも会わず、不安から逃げる術もなく、夜は眠れず朝は起きれず、精神的にどん底になった。

だけど、絶対に自分はやればできる。そしてこれはそこまでしても必ずやる価値のあることだ。と心から信じていた。

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資格を取ることはその肩書きで一生仕事ができる保証ではないし、もちろん成功への切符でもない。

私が信じていたのは、アスレティックトレーナーとしてのキャリアを積むといった未来というよりは、自分が心から興味を持ってやりたいと思うことをやり続ける未来だったと思う。

もちろん大人だから、ただただ好きなだけではダメだし、その「得意なこと」を社会に価値として還元することで、報酬を得る仕組みを取り入れなければならないけど。

私は今も、その未来を信じている。

そして、ATのスキルそのものや看護師としての専門知識や経験はもちろん大事にしているし感謝しているけど、何より自分で自分の人生をどうしたいかを本気で考え、それに向けて勇気を持って行動を取るという過去を作ったことが、自分を「信頼できる人物」として認識できる人に格上げされたということがとても大きいと感じます。

やりたいことが見つかったときがやるべきときだし、

どんな資格を取るかとか、何を目指すかとかよりも、「自分はどう生きたいか」に着目した方が、本当に自分にとってのベストを見つける感度が洗練されると思います。

業界や周りを知ることも大事だけど、まずは自分は本当はどうしたいのかを知ることが、20代で一番やっておいてよかったことかなと私は思います。


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