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小説『衝撃の片想い』シンプル版【第四話】④

【利恵の利は利用の利。本当の恋人、利恵】



立ち上がった友哉の手にはいつのまにか拳銃が握られていて、彼らはそれにまた驚いた。銃口はまっすぐ桜井の胸に向かっていて、その距離も一メートルほどだ。
「だ、誰なんだ、あんた。こんなことをして、ただで済むと思っているのか」
思わず後退りをした桜井の声は震えていた。部下たちは硬直し、動けなかった。
ゆう子が、
「う、撃たないよね」
と言う。声が震えていた。
『おまえはこいつらをやっつけろと言った』
「そ、それは……」
『まあ、いい。リングが赤く光ってる。ワルシャワの時ほど眩しくない。つまり?』
「その刑事さんたちには殺意はないけど、今、友哉さんの敵」
「そうか。同行を拒否したら銃を使う予定だったのかもしれない。脅しで」
桜井真一を睨みながら、ゆう子に伝えた。
「四人のうちの誰かが異常に怒ったのね。位置情報を入力してなかった。介護だからってサボり過ぎです。すみません。すぐに転送の準備をします。間に合わなかったら、自分ではっきりと想像できる場所に移動してください。下に置いたポルシェの座席とか」
友哉は、ゆう子の指示を聞きながら、桜井真一に話を続けていた。
「口座は架空じゃないんだ。海外にいる友人から頼まれた。いや、譲られた。だから凍結とかすんなよ。そこの狸の置物、おまえもだ。今すぐ一億円を俺の車に持っていって、宮脇さんに渡しておけ」
富澤社長にも毒づく。
「わ、分かりました」
富澤が手を震わせながら、内線の電話を回した。
「血まみれのワルシャワの街に比べて、ここはまるで美術館みたいに静かだ。観葉植物まである。銃声も聞こえない。亡くなった人の悲鳴も」
友哉が、奇妙な脅し方をすると、
「早く、お金を持って佐々木様の車に行け!」
富澤が社員に怒鳴った。
豹変した友哉に、ゆう子は驚き、AZを持ったまま冷蔵庫の中の水を取りに行った。
――わたしにバカにされたら怒ったのか。しかも彼のダークレベルはそのままだ。じゃあ、怒ってないのか。脅しているけど、殺意もない?まさかこれで平常心? あ、脈拍が下がってる。わたしの意地悪で100を超えていたのに、70になっている。なんなのこのひと…。わたしの方が動揺してる。
ゆう子は、水でパニック障害に効く頓服薬を飲んだ。
「佐々木時はいない。おまえは誰だ」
「行方不明者にいるんじゃないか。警察は行方不明者の捜索なんか後回し、後回しだろ。警察庁と連携して全国を捜したのか。連携なんか出来ないだろ。プライドのぶつかり合いで」
「都内にはいない。口座の住所は都内文京区。そこに誰も住んでいない。十分だろ」
「バーカ。住所変更なんか三十分でできる国だ。誰でもな」
「場数を踏んでるな、兄ちゃん。ワルシャワの事件は殺人罪だぞ」
「あれが? 過剰防衛なのか。ワルシャワの当局は俺を国際手配してない。街の人たちは十人以上殺されて、それ以上の被害を俺が止めた。日本の警察はそれを過剰防衛と言うのか」
「……」
「テロリストをやっつけてくれたお礼の寄付金をジェイソン氏から受け取った。だから非課税にしてもらいたい」
「なに言ってんだ、おまえ。この世の幸せと成功を独り占めしたような面で」
桜井が手を上げている拳を握って、その手を震わせた。
「幸せにはなっていないが、テロリストを殺したのは世界レベルの大成功だ。分かるか、蛙の顔をした刑事さん。おい、狸の置物!」
また急に怒鳴った。まるで雷が轟いたようだった。富澤が腰を抜かしたのか、受話器を持ったまま座り込んだ。
――すごい。傍で見たい。そしてこの刑事たちがいなくなったら、彼はどう変わるのか。それも見たい。
ゆう子は、AZを見ながら、体の奥を熱くしていた。
女になってしまっているのが分かる。
数日前に優しく抱いてくれていた男が、巨悪権力と戦っていて、しかも優勢になっている。また、理想の男性像を見せられた。そう、片想いの彼に。
「名前を覚えるのが苦手でね。狸の置物、あんた、通報したね。俺のお金を俺が自由に引き出せるように、その口座を開放したままにしておけ。ササキトキ名義のカードでの引き出しを無制限に。本当は痛い目にあわせるところだが、口止め料として五億円差し上げますよ。蛙の顔をした公安のあんたには三億円。部下には一人、一億円。どうですか。それで、ここには俺がいなかったことに」
富澤がさかんに頷いた。殺されるところが逆に五億円をもらえるなら、誰でも了解する。桜井が、
「蛙の顔と言われただけで三億円か。それは嬉しい。俺の人生に初めて幸運の女神がやってきたか」
と笑った。
「俺は男」
「この辺りに天使みたいに舞い下りてるんだ」
桜井は両手を挙げている頭のあたりを指差した。そして、
「そんなことはできないが、考えてもいいぞ」
と、どこか苦渋の決断を迫られている顔で言った。
「答えの意味がわからない。そんなことはできないが考える?どっちなんだ」
「俺の判断ではどうにもできないが、この場を見逃してやってもいいってことだ」
「さっき、その坊やが立場って言ったな。まさに立場を弁えろよ。見逃してやる? 俺を誰だと思ってるんだ」
友哉の台詞にゆう子が目を丸めた。
――どういう意味? テロリストを倒した怖い男? まさか……。
ゆう子がAZの片隅に目を向けた。
『あまり自信過剰になられても困ります。友哉様はまだメンタルが安定してないので。あの背の高い男は腕のたつ日本の特別な警察官ですが、お金は必要みたいで迷ってます』
「必要?」
『母親の介護をしてます。警察の人間はより詳細にデータ収集しました』
「友哉さん」
ゆう子が呼ぶ。
『取り込み中だ』
「お金で解決してください」
「………」
「お願い」
友哉が黙って頷いたのを見て、ゆう子は胸を撫でおろした。
「一瞬であの世に行くか、三億円もらって退散し、二度と俺に付きまとわないかどっちだ」
「一瞬か。怖いな、あんた」
「三秒かからない」
「ち……」
―――これがトキさんが絶賛している彼の才能なのか。だけど、スイッチが入ると、こんなに饒舌になって行動力も増すなんて。どこかで訓練していたんじゃないか。まるで映画に出てくる諜報員だ。
「早く決めないと、システムがダウンしている間に、金をどこかに移動させてしまうぞ」
「システムがダウン?」
桜井真一がまた目を大きく見開いた。
「この銀行は毎週、金曜日、午前十一時五十九分に、システムが一秒ダウンする。今日の後、約二十分後だ。俺の秘書がその隙に、三百億円をどこかに移動させる。探すのに苦労するぞ。いいのか」
ゆう子が、
「さっきの件ね。でもわたし、そんなことできないよ」
と声を上げた。『はったりだ』と友哉が口の中で呟き、ゆう子に言う。
「本当か。富澤さん」
桜井が、富澤社長を見た。富澤は答えない。
「本当なら、大変な問題だ。汚い金がその一秒の間に洗浄されているってことだぞ。おまえはハッカーだったのか」
桜井が友哉を見て言う。
「ハッカー? そんな小物と一緒にするな!」
また怒鳴った。
富澤社長が、小さな悲鳴を上げた。すると、坊やと言われた桜井真一の部下が足を前に出した。
「おい、動くな」
今度は静かに言う。
「おまえら動かない方がいい。こいつは本物だ。ワルシャワの奴ならやられるぞ」
「桜井警部補、大変な情報です。クスリを売ったマフィアの金が侵入しているかもしれません」
桜井の部下が手を上げたまま、唸った。
「どうする? おまえたちの約六億円もなし。俺は逃げて捕まらない。CIAが守ってくれている」
――また嘘、吐いた。
ゆう子がため息を吐く。
「確かに、こいつが殺したのは潜伏先が分からなかった、元アルカイダのメンバーですからCIAが絡んでいるかもしれません」
部下が、桜井に耳打ちする。
「この社長はきっと地下組織のような奴らに脅されている。五億円はそいつらに渡して手を引くんだな」
「は、はい。ありがとうございます」
友哉の言葉に富澤が大きく頷く。
『ゆう子、今すぐ富澤社長の口座に俺の五億円を振り込め。一人ずつ黙らせるしかない』
「わかりました」
しかし、桜井真一が、
「だからと言って、おまえたちを…おまえをこの先、放置すわけじゃないぞ」
と友哉を睨んだ。
「まあまあ、皆で口裏を合わせて終わりにしよう。ササキトキの金は本当に寄付金。実は俺は不治の病にも犯されているから、同情された。だが、コンマ数秒の間にすばる銀行とすばる証券を行き来している金は、麻薬か政治が絡んでいるぞ」
友哉のその台詞を聞いたゆう子が、目を剥いた。
――口裏を合わせる? なんて汚い言葉を使うんだ。
「わかった。いったん、金で解決しよう。じゃあ、三億円出せよ」
両手を少し下げて「参った」のポーズを見せた桜井は、殺気立ってきた部下を制止するように一歩、前に出た。
「動くなって」
友哉が引き金を引くと、桜井の肩をかすめた赤い閃光が、応接室の観葉植物に命中した。しかし、葉は燃えることも落ちることもなかった。
PPKから弾丸ではなくレーザー光線のような光が出たのを見た桜井が、
「玩具か」
と呟くと、部下の一人が友哉に飛びつこうとした。だがその部下は足を撃たれて床に転がった。床に真っ赤な血が飛び散っていた。
「大輔! おい、おまえらやめろ!」
「おまえはさらに一億円。勇敢だった。急所は外した。バンドエイドでも貼っとけ」
友哉はまるでゲームで遊んでいるような顔で笑った。稚気を見せていたのだ。そして突然、
「お喋りは楽しいな!」
と叫んで、ゆう子と桜井たちを仰天させた。そして、またPPKを桜井の顔面に向けた。
――お喋りが楽しい? しかも撃っちゃった。
ゆう子は唖然としていた。支離滅裂だと不意に思うが、AZの数値に興奮や悪意は一切出てこない。刑事たち、つまり敵を混乱させるための芝居。封印している才能なのか。
少年時代から、『天才』と言われて母親が怖がったくらいの、天才の中の天才。しかも、戦いの……。
それともわたしが「やれ」と言ったから頑張っているのだろうか。いや、頑張ればできるものではない。なら、ものすごい二面性だ。だって、わたしにはとても優しく接している。過去の友人たちにも…。
『テロリストも父親だから』
『女と別れた途端に現れた女に飛び付くのか』
『君には自尊心はないのか』
『奥原さんがいいんだ。病院で待ち伏せしてくれたらよかったのに』
『昨夜はありがとう。俺はアウシュビッツに逝く』
『トキはいい奴だ。悩んでいた』
――まるで愛の魂が飛び交うこれらの言葉がなければ、今、わたしは濡れてない。怖いだけだ。そして、彼のこの冷静な怒り。冷静な情熱に惚れこんだ女が一人いた…。
彼が名を口に出来ないほど、愛し合って別れた女…。まだ生きているような口ぶりだったけどもうこの世にいないかも知れない…

水着の写真の女…。洗濯をしていた女。

きっと同じ女……。

部下を撃たれた桜井真一が観念したように、
「わかった。なんの銃か分からないが本気みたいだな。命には変えられない。三億円で手をうつ。おまえら、佐々木時はいなかったことにしよう。ワルシャワの日本人は本当にこいつだ。日本人に見えるが、どこかの国の諜報員だ。ここで殺されたらたまらん」
と言った。桜井の部下の若者三人が思わず頷いた。友哉が太ももから血を流している若い刑事に、
「君が悪党じゃなければ死ぬことはない。そういう銃だ」
と言って、
「じゃあ、社長さん。僕の口座から、彼らにお金を振り込んでおいてくれ。あとで、お金が入ってないから、また逮捕しにきたって、蛙の顔から言われたら困るから、一両日中に。そうしないと、警視庁の偉い人に…言っても無駄か。実はこの様子は録画しているから、しつこくしたらネットに拡散する。もちろん、俺の顔にはモザイクをかけてね」
と言った。
「録画?」
桜井真一が叫んだ。
「優秀なアシスタントが防犯カメラから録画している。おまえは賄賂を受け取る了解をした。もう俺を追いかけるな」
思わず防犯カメラを見る桜井。
――うわ、本当に蛙のような顔だ。
とゆう子が笑った。
友哉は指輪をちらりと見て、
「こういうことがあるから、五十億じゃ足りないんだよ」
と笑った。ゆう子はその話をスルーして、
「どこに転送しますか。彼女のいるポルシェ? そこから銀行の駐車場のポルシェの中なら、回復まで十二秒。仮眠はなし」
「口止めにはそれがいい。五秒後に頼む。…では社長さん、桜井さん、僕をマークしている政治家の人たちによろしく」
友哉が忽然と消えたのを見て、富澤と部下たちは腰を抜かしたのか、大きく体を揺らした。桜井は口をだらしなく開けたまま、声も出せなかった。

――くそう。逆に罠だったのか。しかも消えた。な、なんのトリックだ。
桜井真一は唇を噛み、手のひらの汗をズボンで拭った。



ポルシェの助手席に、テラーの宮脇が座っていた。そこに突然、友哉が現れたが、よそ見をしていた彼女は、友哉が普通に乗り込んできたと錯覚したようだった。
うっとりした目で、友哉を見て、
「お金が目当てじゃないです」
と微笑んだ。膝の上に友哉の鞄があって、抱かえるように持っていた。
――すごい威力だな、惚れる光…。
初めて試してみたが、効果は絶大のようだ。レベル2なら適当に抱いてしまってかまわないと、正直に思うが、レベル2の具体的な悪行はなんだろうか、と思わず首を傾げてしまった。
「名前は?」
「宮脇利恵です。利恵の利は利用の利」
と微笑んだ。
「おっと怖いね。すまないけど、車が狭いからそれは膝の上に置いておいてくれないかな。お茶をしてから家まで送ろう」
車は、銀座界隈にあるモンドクラッセ東京に向かった。
――利恵? 利恵の利は利用の利? 聞き覚えがある言葉……。
友哉が、助手席にいる利恵をちらりと見た。
――かわいい。すんなりと好きになれそうなルックス。スタイル。声……。こんな感情は初めてだ。
ボーダーの長袖のシャツに白いパンツスタイルの利恵は、「もっとお洒落をして出勤するべきですね」と、下を向いた。確かに、何も考えずに家から出て、電車に飛び乗ったような出で立ちだった。

……続く。

普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。