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エジプト旅行⑤ l ルクソール西岸観光、いろんなファラオの人生に触れる


エジプト旅行4日目。
この日の朝は7時出発予定だったので、ホテルの朝食ブッフェが楽しめた。
(とはいってもぎりぎりだったので食べる時間は10分もなかったが、、)

ルクソールのホテル Steigenberger Resort Achti
リバービューでゆったり朝の時間を過ごせるので、ホテルで過ごす時間の余裕があればかなりおすすめのホテルである。

広々ときれいな朝食会場
パンと焼き野菜が美味しかった。
ナイル川沿いのホテルなので、朝食場からの眺めはなかなか良い。
川沿いまで行ける。リゾートっぽい。


ルクソールは、エジプト新王国時代、太陽神アメン・ラー(Amon-Ra)の都市テーベだった。多くの建築物が遺されているため見どころ満載で、ナイル川を挟んで東と西で分けて観光するのが効率がよいようだ。

日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがある。

今回の旅では西岸から回った。

メムノンの巨像 Colossi of Memnon

まずは2つ並んだメムノンの巨像へ。
2つともアメンホテプ3世の像なのだが、呼び名はギリシアの伝説、トロイア戦争に登場するエチオピア王メムノーンに由来している。
高さ約18m。向かって右側の像は紀元前27年の地震によりヒビが入り、そのせいで夜明けになるとうめき声や口笛のような音を発していた。当時の人は「戦争でアキレスに討たれたメムノンが母に挨拶をしている」と思ったそうだ。今はそれは修復により改善している。
そもそもなんで由来がメムノンなのかを聞き忘れてしまった。ガイドさんのお話だと、おそらく発見されたときには葬祭殿がなかったからアメンホテプ3世の像だとわからずに、「石が泣く」ことが由来でメムノンの巨像と長らく呼ばれてきた?、ようだ。
今書いていてモヤモヤする。調べてもいまいちよくわからない。神話で最期石になるとか、明け方に泣く設定とか、あるのかな。

背後にはアメンホテプ3世の葬祭殿があったが、メルエンプタハ(ラムセス2世の息子)が自分の葬祭殿の石材を調達するために破壊したらしい。なんと。。

広場に巨像がふたつだけ立っていてちょっと不自然。もともとは他の神殿のように入り口を飾るファラオの像だったのだろう。
青空に映える
こちらが泣き声がしたという巨像。夜の間に冷えていた岩が朝日によって温められ、岩の表面が振動したころで起こった現象だと言われている。
まだ暗い明け方に唸り声や泣き声がここから響いてきたらかなり怖かっただろうと思う。


このアメンホテル3世葬祭殿跡地では発掘工事が今でも行われており、次から次への何かが見つかるらしい。
どこを掘っても遺跡が出て新築戸建も建てられないローマみたいだ。
エジプト人の作業はゆっくりしてるので、なかなか進展がなさそう。 


王妃の谷 وادي الملكات

続いてはファラオ以外の王族の墓が発見された、王妃の谷。入場料が高額なことで有名なネフェルタリの墓もある。
ネフェルタリの墓は人数制限があり、混んでいる時はかなり外で待つらしいので朝一番に行った。

ルクソールはアスワンほどではないがカイロよりかなり南で日差しが強いので、ここは暑い時期に行くと日陰がほとんどなくて辛い。王家の谷は最高57度まで上がったらしい。

周りは砂と岩なので、太陽光が吸収され反射され、アブシンベル宮殿より体感温度は暑い。
実際今回は朝早かったが歩くと相当暑くて、短時間であっても帽子と水は必須だ。

内部を周るためのチケットを購入。100エジプトポンド。
遠景はこんな感じ。一見すると大きな岩山で、お墓があるとはわからない。


ネフェルタリの墓 QV66 Tomb of Nefertari

王妃の谷自体に入るのとは別料金がかかるのだが、
なんと入場料が1400エジプトポンド(その日のレートで10388円)もする。10分の時間制限もある。
内部は門番さんがついてきて簡単な英語で説明してくれたりするが、人が増えてくるとなあなあになって、20分くらいいても全く怒られなかったし、バクシーシ(強制的なチップのようなもの)を要求されなかった。

内部は高いだけあり、他の墓とは比べ物にならないくらい鮮やかで美しいレリーフが残っている。内部はピラミッドと同じで奥へ行くほどすごく蒸し暑いので、空いている朝一で行くのをおすすめする。

ネフェルタリの墓は隣に休憩できる席があり、ここでガイドさんからの説明を聞く。待つ時はここで待機する。
外観はこんな感じ。
重い扉で施錠がしてある。
内部は静謐な感じだが、壁画は驚くほど鮮やかな色が残っている。
ところどころ剥がれているところはあるが、すべて彩色は当時のままだという。
いろんな色の牛
動物の皮?
かなり細かな描写にびっくりする。


壁画は主にネフェルタリと、神話に出てくる神。
アブシンベル小神殿といい、このお墓といい、ネフェルタリの特別感はすごい。ラムセス2世がこの女性を大切にしていたことが3300年の時を超えて私に伝わっているのが、すごいことだと思う。


↓こちらから詳しい資料がダウンロードできます。結構詳しく載ってます。


アメンへルケプシェフの墓 QV55 Tomb of Amenkopshef

ネフェルタリの墓以外にもたくさんあって、幾つか見て回った。
こちらはラムセス3世(メムノンの巨像のひと)の息子アメンへルケプシェフの墓。保存状態が良く壁画がきれいだった。
この王子は15歳で亡くなった。アメンヘルケプシェフの人形棺の中から6ヵ月程の胎児のミイラが見つかり、王子の死のショックで王妃が流産した児とと言われているそうだ。胎児のミイラもこの墓の中に一緒に保存されている。

色彩の鮮やかさはネフェルタリの墓に劣るが、思ったより綺麗な保存状態だった。



他にもお墓内部に入った気がするがどこだったか忘れてしまった。だいたい似たような雰囲気だった。


こちらのHPに詳しく紹介されていたので、知りたい方はぜひ。


帰りにはだいぶ太陽ものぼり、どんどん暑くなってきた。
観光客も続々とネフェルタリの墓に集まっており、おそらく入場のために待つだろう。ここは早めに来るのが正解。

太陽の照り返しがきびしい。長居するとだいぶ体力を奪われる。



ハトシェプスト女王葬祭殿 معبد حتشبسوت

次に向かったのは、エジプト初の女王、ハトシェプスト女王の葬祭殿。

ルクソール事件で記憶にある方もいるかもしれない。1997年にイスラム原理主義過激派が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。その現場となったのが、このハトシェプスト女王葬祭殿である。
この事件により日本人10名を含む外国人観光客58名と警察官2名を含むエジプト人4名の合わせて62名が死亡、85名が負傷した。なお、犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。(wikipediaより)

エジプトではサダト大統領が暗殺された1981年から観光客をターゲットにしたテロが続発していた。観光客を標的にしたのはエジプトの重要な歳入源である観光収入をテロによって激減させ、経済に打撃を与え、それに伴う政府への不満をあおって政府を転覆させ、イスラム原理主義政権を樹立させるという企みからだったそうだ。事実観光客は激減し、さらに2010年から2012年にはアラブの春という大規模反政府デモ運動もあった。

エジプトがこんなに落ち着いて観光できるような状態になったのも、かなり最近なのである。

さて、ハトシェプスト葬祭殿はそんな暗い過去を背負っていても美しい。

入り口から本殿までは遠いので、無料で近くまで運んでくれる(歩いても行ける)
均整が取れていて、他のエジプトの神殿となんとなく雰囲気が違う。
背後の岩山の絶壁も圧倒的存在感。



ここは岩窟神殿ではなく、切り立った断崖の下に建設されている。
太陽神アメンラーを祀った神殿であり、第1、第2、第3テラスというフロアに分かれた造りになっている。ソマリア(当時プント)との貿易が盛んだったので、外国の建築を取り入れてる部分もあったそうだ。

ハトシェプストはトトメス1世の娘で、ファラオであったトトメス2世の妻。夫が亡くなったあと、義理の息子トトメス3世がファラオのになる予定だったのだが、まだ幼かったためハトシェプストが摂政となって面倒を見ていた。その後いろいろあって自らファラオとなった。(共同政治のようなものだったとも言われる)

この葬祭殿には男装のハトシェプスト女王の立像があったが、ハトシェプスト亡き後にファラオを継いだトトメス3世によって一部破壊され、壁画のハトシェプストの顔も削り取られたりしている。
前回の記事でも書いたが、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプストがファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないか、という説もある。ファラオの威厳を保つため、「女性がファラオだった」という事実が圧倒的に残る遺物を仕方なく消したのではないかということだ。

ピラミッドが雇用機会を作るためにファラオが企画した事業だったとか、このハトシェプストとトトメス3世仲良し説とか、元のおどろおどろしいドラマ設定から最近はちょっといい話が多くなってきている気がする。


この葬祭殿、ハトシェプスト自身に関する壁画は残ってないが、ソマリア(当時プント)と貿易していた様子の壁画などはきれいに見ることができる。
ハトシェプストは権威を表すために牛の顔を持つハトホル神の子であるという伝説を作ったため、牛の乳を飲むレリーフが描かれているのも見れる。


像には元々赤い顔料が使われていて、顔に一部残っている。
奥の像は頭部が破壊されている。
ハトホル神(牛)のレリーフ。
ハトシェプストが乳を飲んでいる図らしい。
貿易の様子が描かれた壁には香料の山などが当時の赤色で残っている。
ルクソールが見渡せるいい眺めである。
破壊されたあとの修復作業。果てしない。


この時代は色々な人間模様やドラマがあって面白い。
今となってはわからないが、あーだこーだと歴史上の人物の考えていたことに思いを馳せるのは楽しい。
映画とか歴史小説とか、このあたりはいっぱいありそうなので、そのうち時間ができたら読んでみようと思う。


暑い中の観光で干からびてきたので、王家の谷に行く前に休憩のためお土産屋さんへ向かった。

石細工のお土産屋 Sekhmet factory Baster مصنع سخمت للالباستر

ルクソールの有名なお土産屋さん。石細工はルクソールの特産品らしく、アラバスターという大理石の一種や、黒くて硬い花崗岩の製品が買える。

エジプトっぽい外観。工場兼売店のような施設がこのあたりに幾つかある


入り口で実際の石細工の工程を触らせてもらえるサービスがあるが、自分が削る動作をする時に周りのスタッフが歌を歌ってくるのでとても恥ずかしい。
店内には色々な種類の置物があり、実用性はないが、小さいピラミッドなどはお土産に喜ばれそう。最初に提示される金額はとっても高いので購入意欲が下がるが、最終的には金額はかなり下がる。そもそも原価が相当安いのだと思う。ここの店長さんは相当儲かっているという話なので、高額で買ってくれる客がたくさん来るのだろう。
黒いスカラベを買うとヒエログラフで自分の名前を掘ってもらえるサービスがある。スカラベ欲しかったので購入。
黒いスカラベは色形がゴキ◯リに似ている。

ピラミッド、オベリスク、猫、エジプトの神話キャラの置物。
こぶりなピラミッドでも高級な石を使っているらしくて高い。
欲しかったスカラベが買えた。
おまけでカラースカラベが2個ついてきた。



さて、午前中最後は王家の谷である。
正直もう墓はいいっすって感じにもなってくるのだが、ここは見どころなので頑張らねばならない。

王家の谷 وادي الملوك

王家の谷は、古代エジプト新王国時代にファラオの墓がたくさん造られた場所。ピラミッドが墓泥棒取り放題だったので、今度は見つからないように岩山を掘り進んで墓にするようになったそうだ。なので一見するとただの岩山で、墓の入り口も地下にあって目立たない。

墓作りに集められたエジプト人は、以前は終わったあとに秘密を漏らさないために殺害していたとかいう怖い話があったが、現在の主流は目隠しをしてどこだかわからないようにしていた、というものだ。


王家の谷には全部で60を超える墓があり、10数箇所が公開されている。入り口でチケットを購入し移動する。入場チケットで好きなお墓に3ヶ所入れるが、ツタンカーメンの墓は別料金である。

昼前後は相当暑いので中央の休憩コーナーで適宜休みながら回った方がよい。割高だがアイスやジュースが売っている。

入り口のビジターズセンターに王家の谷のレプリカがある。
カルトゥーシュの読み方など、日本語の案内もある。
ここから大きいゴルフカートみたいなのに乗って近くまで移動する。
王家の墓の中心地。スタッフが仕事中。
お墓の入り口はだいたいこんな感じ


メルエンプタハの墓 Tumba KV8 de Merenptah

まず入ったのはこのメルエンプタハの墓。
メルエンプタハは古代エジプト第19王朝第4代目のファラオで、ラムセス2世の第13王子。ラムセス2世が長年在位したため、メルエンプタハが即位したのは60歳を超えてからだった。
聞き慣れない王の名前だが、出エジプトの時のファラオだそうだ。
この墓は、とにかくものすごい長い。ガイドさんいわく、この王家の谷の中で1番深く長いらしい。壁や天井には細かいレリーフがひたすら彫られているが、それ以上に聖櫃までの距離が長くて圧倒される。
当時この墓を掘ったエジプト人の気持ちを考えると果てしなくつらい。

ちなみにメルエンプタハは最初に行ったメムノンの巨像の背後にあるアメンホテプ3世の葬祭殿を破壊して、自身の葬祭殿の石材を調達した人だ。60歳超えてからだったから、いろいろ省エネだったんだろうか。

凄まじく長い墓。
ところどころ壁画がきれいに残っている。
石棺には細かい彫刻
一番深部の玄室。近くのフロアには降りれないようになっていて、おそらくスタッフにお金を渡すと近くまで行かせてもらえそうな感じだ。
太陽とスカラベ。こんなに大きいスカラベが壁画にあるのは珍しい。


ツタンカーメン王墓 Tomb of Tut Ankh Amun

追加料金が必要だが、ツタンカーメンのミイラが置いてあるので一見の価値あり。他の王の墓に入った後だとびっくりするほど狭い。発見時の財宝の置かれ方が展示されているが、引っ越し前のようにごちゃごちゃ家具が積み重なっていて、イメージと違う。
ガイドさん曰く、亡くなるのが早すぎて色々と準備が間に合わなかったそうだ。
年少で無名だったからこそツタンカーメンの墓だけがスルーされ財宝が残っていたというのも納得の小ささだった。現在それゆえに一番有名になったというのも、非情な運命を感じて切なくなる。

入り口は観光化され整備されている。
すぐに玄室があり、右側に石棺があり逆側にミイラが置いてある。
来世への旅が壁画に描かれている。


発見時の写真など。
このときの考古学者の興奮は計り知れない。


ラムセス6世の墓  KV 9 - Tomb of Ramses V + Ramses VI

ラムセス5世と6世の墓。
なんで二人分かというと、5世がもともと作っていた墓を、6世が作り替えたらしい。玄室まで直線で通路を掘ろうとしたら途中で他の墓にぶつかり、曲がった造りになっているそうだ。
レリーフは鮮明でとてもきれいで、そこそこ混んでいた。
門番が閉めて立ち入り禁止にしている部屋があり、手招きされて柵を飛び越えてこっそり見ていいよと言われたのでついうっかりのってしまい、当たり前だがお金を要求された。200エジプトポンド要求されたが10エジプトポンド渡したらOKだった。
ガイドさんに話したら、まず門番が勝手に部分的に立ち入れなくすること自体が有り得ないことらしい。墓の中は彼らのやりたい放題で無法地帯なんだなあと逆に感動した。
「秘密ね」「早く早く!」とか言われたけど、とんだ茶番だったわけだ。

このお墓は比較的レリーフが鮮やかに残っている
死後の世界にいる3つ頭の蛇の化け物だそうだ。
他のお墓に比べても保存状態が良い感じがする。
シュール


ラムセス9世の墓 Tomba di Ramses IX

最後、ラムセス9世の墓。
ここまでくるともうラムセス9世が誰かとかはどうでもよくなってくる。
さらっと短時間で見たが、他と比べてレリーフがユニークでお茶目だった。天井画もはっとする濃い青で素敵である。

イラスト感ある
局部が削り取られている。
どういうシーン
解釈が難しいモチーフが多い。
なんでしょう
天井画は青くて綺麗
複合型
全体的におしゃれなイラストで、発色もよかった。




ファラオの墓をピラミッドじゃなくて王家の谷という形に変えても、財宝はかなり盗難にあっていたようだ(そもそもピラミッドは墓ではないという考えもあるが)
しかし、歴代のファラオや王族のミイラは王家の谷や王妃の谷からいっぱい発見されている。
昔はミイラも薬として貴重だったらしいから盗まれることが多かったと聞いたが、幸い残っていたミイラから色々な歴史的研究が進んだのはとてもありがたいことだ。

西岸の観光はこれで終了で、このあと昼食をとりつつ、午後は東岸へ移動する。
ここまででルクソールは結構お腹いっぱいだが、東岸ではものすごく巨大なカルナック神殿と、その副殿であるルクソール神殿へ行き、夜はカイロに戻る予定だ。


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